南米侵略と江戸幕府の鎖国政策

コラム「架橋」

 江戸幕府は1639年にポルトガル船の来航を禁止し、1641年にはオランダ人を長崎に移して鎖国を完成させた。それに先立つ1587年に豊臣秀吉はバテレン追放令を出し、キリスト教徒への大弾圧を行った。
 ザビエルがキリスト教伝道のために鹿児島に来着した1549年前後は、ラテンアメリカからの収奪を背景にしたスペインの全盛期であった。しかし、スペインの無敵艦隊は1588年にイギリス艦隊に敗北する。
 これ以降、スペインは衰退に向かい、ラテンアメリカでもイギリス、フランス等が台頭していく。重商主義から資本主義へ、そして、帝国主義へ至る道の開始である。
 また、短期的に見れば、スペイン無敵艦隊の敗北はカリブ海でのスペインの制海権の喪失を意味し、スペイン本国との貿易路は不安定化していく。そうした事実も相まって、太平洋に面したメキシコのアカプルコとフィリピンのマニラを結ぶ航路=東洋の生糸とメキシコの銀の交易ルートが盛んになっていく。
 侵略とキリスト教の布教は車の両輪であった。キリスト教団は自らの利益のために積極的に新大陸の侵略に加担していた。そのためにイエズス会(ジェズイット教団)は2万丁の銃を所有していたと言われている。
 日本でキリスト教を布教したのはイエズス会である。天正遣欧使節に同行したヴァリニャーニが本国に送った報告書には、九州支配について記載されていた。
 アカプルコからマニラ経由で、あるいは、その航海の途上で難破し日本の沿岸に漂着した船乗りから、豊臣秀吉が、徳川家康が、直接間接に新大陸侵略におけるキリスト教団の役割を聞いたであろうことは、大いにありうることである。
 禁教令や鎖国令は、単にキリスト教が神の下での平等を説いたからではなく、新大陸侵略に果たしたキリスト教の役割を恐れたからであり、その意味で世界史の中に明確に位置付けられる事象だと私は考えている。 (O)