クリーンルームオペレーターチェ・ユソンの物語(1)
イム・ダユン(バンオルリム)
バンオルリムは、半導体産業に従事する労働者の健康維持と人権保護に尽力する市民団体です。私たちは、半導体職業病被害者であるチェ・ユソン氏の労災申請の過程の取材を通じ、個人の闘いを社会の記憶に留める重要性を痛感しました。本稿は、一人の労働者としての彼女の歩み、そのライフストーリーの克明な記録です。
今でも当時の夢を見ることがあります。その夢の中で、私は繰り返し同じ言葉を呟いています。「なぜ私は、またここに来てしまったのだろう。あんなに苦しんだ場所だから、また同じ痛みに襲われるのが怖くてたまらない」という思いが、今も私の中にトラウマとして深く残っています。ですから、見た瞬間にその場の全体から半導体特有の雰囲気が漂ってくると、それだけで息が詰まってしまいます。それは夢の中でも同じことです。ものすごく息苦しくて、何かが私を強く圧迫してくるのです。それでも、その夢の中でさえお金を稼がなければならないのに、私には他に行く場所がありません。「行く場所がないから、またここに来てしまった。ここでまた体が痛くなったらどうしよう」。夢の中でも、ずっとそのような恐怖を抱えていた記憶があります。半導体に関わることは、私にとって喜びではありません。私の痛みは、今もなお進行中なのですから。
私が面倒を見なければならない対象
学校に通っていた頃は、もともと家が裕福ではなかったので、家族は私にとって「ただ面倒を見なければならない存在」でした。もちろん、子供だった私が実際に家族を養えたわけではありませんが、自分が家長であるという強い自覚を抱きながら生きてきたのです。母についても、父とは長い間一緒に暮らしておらず、父が亡くなってからもすでに長い年月が経っています。そうなると、母が一人で二人の子供を育てなければならず、それは本当に大変なことだったはずです。ですから私にとって母は、自分が大きくなったら支え、面倒を見なければならない対象であり、心のどこかで「可哀想だ」という気持ちがよく湧いていました。また、弟も私の大切な弟ですから、やはり世話をするべき対象としてしか考えていなかったようです。私が大人になったら、この人たちのことをしっかり面倒見るのだ、と。そのような思いをずっと抱き続けてきました。
私(チェ・ユソン)は1977年に生まれ、幼少期を全羅北道益山で母と弟と共に過ごしました。長女だったため、用事を済ませ弟の面倒を見たりするのは私の役目でした。
幼い頃は家に男性がいなかったので、練炭を運ぶ際にも手押し車を使って私が運びました。母がどこかへ出かける時には、自転車で毎日送り届けたものです。ですから私の記憶では、中学生の頃は前に弟、後ろには母を乗せて、毎日必死に自転車をこいでいたことを覚えています。母の通勤にも送り届けましたし、弟の用事にもいつもそのように対応していました。あの頃は、自転車こそが我が家の自家用車だったのです。当時はそれが当たり前のような日々でした。それに重いお米も積んで用事を済ませ、スーパーなどに行けば、必要な品物をたくさん買って帰ったのだと思います。
子供たちは、「親にお金があるかどうか」を自然と知りました。幼い私は空気を読み、欲しいものがあっても言わず、食べたいものがあっても我慢した。それでも欲望が爆発した瞬間もありました。
ある時、こんなことがありました。自分の家の家計では、絶対にそんなことはできないと分かっているのに、友達がソウルへ行ってきました。親戚の家に遊びに行って、頭からつま先まで綺麗な服をぴっちりと買い揃えて、それを着て帰ってきました。私はその日、普段は決してそんなことを言う子ではなかったのに、母にひどく駄々をこねてしまったのです。「あの子はあんな風に服を買ってもらえたのに、どうして私は買ってもらえないの?」と。無理だと分かっているのに、買ってもらえないと知りながら、駄々をこねてしまいました。幼き日の自分を不憫に思う痛みと、母もまた人知れず苦悩の淵にいたのだろうという思いが、胸の中で静かに交錯します。当時はこう思っていました。「お母さんはこんなに一生懸命働いているのに、どうしてうちの家は、いつも何かが足りないのだろう」と。だってお米さえ無い時もあったのですから。それで、ものすごく悩み、心を痛めていた時期がありました。
普通の人たちが生きるように生きたかった
正直に言いまして、私は勉強がそれほど得意なほうではありませんでした。いつも周りの親戚たちが口にすること、特に母方の親戚から言われていたのは、「お母さんがあんなに苦労したのだから、お前が犠牲になりなさい」という言葉でした。今になって思えば、それはおかしな話ですよね。「女はたくさん学んでも、別にそれほど学ばなくてもいい」という話を、いつも聞かされながら育ったような気がします。
私は長女として家族のための犠牲が当然視され、これは「女は学んでも無駄だ」という女性蔑視的な偏見と結びついていました。私の同世代が大学に進学した1990年代後半の大学進学率を見ると、男性の進学率が女性の進学率より5ポイントほど高かったです。今日の女性の進学率が男性より高い状況とは対照的に、当時の社会的認識を窺わせる点でした。
もともと大学にはどうしても行きたくて、母には内緒で大学に行きたいと伝えていたのですが、担任の先生も知っていました。私の家が非常に苦しい状況にあるということを。それに母と先生は知り合いでもあったのです。そういうわけで、母が私の願書の提出を知ることになりました。大学に入ろうとしていたことが分かってしまい、家の中は大騒ぎになりました。その時、母からはひどく叱られました。「お前が今、大学に行けるような状況ではないと分かっていながら、なぜそんなに頑なに主張するのか」と。親戚たちも皆、私を説得しようとするのです。「お母さんを助けなければいけないのに、お前がそんなふうにいなくなってしまったら、お母さんは辛くてどうやって生きていけばいいの」と。そう言われているうちに、ただ、そのような結末になってしまったのだと思います。ただ自然に、自分という存在はこの家がまず生きていくため、そして家族が食べていくために尽くさなければならない存在なのだと思い込んでしまい、自分の夢を広げるなんてことは、全く考えもしなかったのだと思います。
普通の人たちが送るような人生を歩みたかったです。皆と同じように、高校を卒業したら大学に行き、大学を出て時が来たら就職して、お嫁に行く、そういう形で進みたかった。その思いが、当時はすごく強かったのだと思います。何か特別な、すごい夢があったというわけではなく、自分なりに、少しだけかっこよく生きたかった。キャンパスもちょっと歩いてみたかった。そんなささやかな憧れを抱きながら、育ってきたような気がします。
心が離れていたこと
母と周りの親戚たちの強硬な主張に、私は自分の夢は後回しにして、まず家を養うことを決心しました。そうして高校3年生だった1995年12月から、サムスン電子の器興工場で働き始めました。
正直なところ、すごく不慣れでした。本当に。適応するのが少し大変でした。でもどうしましょう、適応するしかありませんでした。家に帰りたいという思いを、通いながらもよく抱いていました。見知らぬ場所に知らない人たちがいるからこそ、そのように感じたのだと思います。
寂しかったですね。本当に寂しかったです。通いながらも、ただ学校に行きたいという思いが、人一倍強かったのです。ですから、塾にもたくさん通った記憶があります。あれこれと、色々なことを学んでみました。それゆえに、なおさら強い孤独を感じました。そこで「この仕事こそが自分の進むべき道だ」と思って働ければよかったのですが、この仕事は自分の本当の仕事ではなく、ただお金を稼ぐための手段に過ぎませんでした。自分が心からやりたいことは別にあったからこそ、そこから生まれる孤独がとても大きかったのです。
私は学ぶことへの欲求が強い人間でした。仕事をする時も半導体の原理や特定の作業をする理由を理解していればもっと楽しめたはずですが、理由も知らずに繰り返す作業には全く興味が湧かなかったです。
正直、半導体とは言うものの、私たちが目にしているのは丸い基板にチップが載っている程度のものでした。そこに大きなメリットを感じるわけでもありませんでした。ただ化学薬品を吹き付け、膜厚などの数値だけを追うような作業。削る工程が生じれば当然トラブルも起きるし、汚染も避けられない。そんな予定調和な繰り返しの中に、心を動かされる瞬間など、微塵もなかったのだと思います。仕事の意義や背景を少しでも深く理解しようと努めていれば、きっと面白みを見出せていたはずです。当時は、決められた工程をこなすことや、報酬を得ることだけが目的になってしまい、自ら楽しむ姿勢を欠いていたのだと感じています。
母に「もう辞めたい。ある程度勉強して、それから別のところに就職したらダメかな」と言いましたが、当時母も失業中であったため「絶対にそんなことはだめだ」という返事が返ってきました。
2月4日
(「チャムセサン」より)
【次号へつづく】
朝鮮半島通信
▲韓国で3月10日、労働組合および労働関係調整法第2条・第3条の改正法が施行された。
▲駆逐艦「崔賢」からの戦略巡航ミサイルの試射が3月10日に行われ、金正恩総書記が映像を通じて視察した。
▲金正恩総書記は3月11日、第2経済委員会傘下の重要軍需工場を視察した。
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