21世紀のファシズムとどう闘うのか?③

ヨーロッパと南米の経験から

エンツォ・トラヴェルソとのインタビュー

新興右翼の特徴は過去への回帰、語るべき未来の不在

Q あなたは1920年代や30年代との類推が可能かもしれない点として、私たちが現在、単なる経済的・政治的危機に直面しているのではなく、より深い地殻変動、ある種の長期的な構造的危機に直面していることを指摘しました。1920年代や30年代には19世紀の自由主義的秩序の崩壊が問題となっており、その文脈ではファシズムの台頭は第一次世界大戦後のドイツのような、特定の勢力の衰退と関連しているように見えます。あなたはこのような関連性が現在にも成り立つと思いますか? 言い換えれば、新しい極右勢力の台頭を伴う今日の状況は、より広範な、西洋の衰退とアジア、特に中国の台頭というプロセスと関連している可能性があるのでしょうか? あなたはこの地政学的な争いが、台頭する極右の運動の間接的かもしれないけれども重要な誘因になっていると考えますか?

A いいえ。そういう意味での類推はできないと思います。比較は可能ですが、根本的な違いがあります。戦間期には19世紀の自由主義的秩序(自由放任の資本主義、アルノ・J・メイヤーが言う「近代化された永続的アンシャンレジーム国家、代議制ではあるが民主的とは言えない制度)の崩壊に直面して、二つの代替モデルが登場しました。一つは社会主義であり、解放、平等、革命のユートピアを掲げていました。もう一つはファシズムであり、国家、民族、支配を称揚していました。どちらも未来のビジョンであり、人々の生活を根本的に変えることを約束する包括的な社会モデルでした。
 今日の新興右翼にはそれに類推できるものは見当たりません。ユートピアの未来も、文明の発展のためのプロジェクトもありません。だから私は「ポスト・ファシズム」という概念が有用だと考えたのです。彼らの衝動は前向きではなく後向きです。彼らが擁護する価値観、つまり主権、家族、国家は、彼らを結びつける赤い糸のようなものを成しています。
 たとえばトランプは米国には男性と女性だけが存在すると主張して他のジェンダー・アイデンティティの存在を否定し、LGBTのコミュニティを脅威として描き出します。これは多様性や困難な闘いによって勝ち取った権利を象徴するあらゆるものものに対する反動的な攻撃です。この伝統への回帰は環境保護主義への敵意、気候変動に関するグローバルな課題の拒絶、国際的な協定よりも国内生産を優先する姿勢にも表れています。「米国を再び偉大に」は未来へのある種の想像力を喚起するスローガンですが、それは退行的な想像力です。これは新しい提案というより過去の理想化です。

ミレイのアルゼンチンは新自由主義の極限化を指向

 ハビエル・ミレイのアルゼンチンのように、あたかも新しい文明モデルを建築する試みのように見える場合もあります。彼は自分を極限的な新自由主義によって鼓舞される新しい社会の建築者に見立てています。しかし、その国でさえこのプロジェクトは実際には新しいものではありません。私はアルゼンチンの状況について深い知識を持っていませんから、外部の批評者として発言しているのですが、彼の演説や立場表明を読むとハイエクの考えと明確に対応しています。ハイエクの代表的な著書である『隷属への道』ではなく、完全に市場によって支配される社会について述べている『法と立法と自由』に示されている考えです。これがミレイを鼓吹しているモデルであり、それを「権威主義的新自由主義」、「新自由主義的ポスト・ファシズム」、あるいは別の名前で呼んでもかまいません。
 何か新しいものがあるとすれば、それは国家が今、このモデルを究極の結末まで引っ張っていこうとしていることです。過去にも新自由主義が強い影響力を持ったことはあります。英国のマーガレット・サッチャー、米国のロナルド・レーガン、チリのアウグスト・ピノチェトに率いられた時期です。しかし、これらの政権の下ではニューディールや戦後のケインズ・モデルを通じて実現された福祉国家の成果を解体することが目的であり、「純粋な」市場社会をゼロから確立することが目的ではありませんでした。しかも、多くの場合、まだ非常に強力だった国家が主導しました。たとえばチリではピノチェト独裁政権は反革命によって生まれた超集権的な体制でした。
 ミレイが現在意図しているのは新自由主義モデルを新たな文明の中核に据えるということです。しかし、強調しておきますが、これは新しいプロジェクトではありません。これは古典的ファシズムが称揚していた「新しい人間」ではありません。これはすでにグローバル化した世界を支配している人類学的モデル、つまり個人主義、競争、市場といったモデルを急進化したものにすぎません。ヴェーバーの用語を借りれば、それは新自由主義という人類学的モデルを構成する固有の「生活態度(Lebensf?hrung)」と決別するものではありません。ミレイはそのエートス(精神)を発明したわけではありません。彼がやっているのはそれを極限まで押し進め、そこから新しい社会が生まれるかのように装うことです。しかし、それはすでに存在するものの強化であって、歴史的な代替物ではありません。そのことを考慮しておかなければなりません。
 このプロジェクトは確かに深く反民主主義的で権威主義的な特徴を持っていますが、1970年代にプーランツァスが考えたような国家の強化とは反対のものです。ポスト・ファシズムは歴史上のファシズムのような国家主義ではありません。トランプは米国国家を解体しようとしているのであり、これが大きな違いなのです。

グローバルな左翼の危機

A 本誌(『ジャコバン』誌)では国際情勢に関する仮説を検討しており、前号でその内容を発表しています。その内容を紹介して、あなたの意見をお聞きしたいと思います。私たちの考えによると、この10年間のどこかの時点で(正確な日付を特定するのは難しいですが)、グローバルな政治的サイクルの一つの転換が起こりました。その象徴的な日付を選ぶとすれば2015年から2016年にかけてでしょう。この時期に非常に重要な出来事が相次ぎました。ギリシャにおけるシリザの敗北あるいは屈服がグローバルな左翼に強い影響を与え、同じ時期に米国ではトランプが、英国ではブレグジット(EU脱退派)が勝利しました。それはまたラテンアメリカの進歩主義の危機が始まった瞬間でもあり、アルゼンチンでは右翼が勝利し、ブラジルではディルマ・ルセフに対する議会クーデターが起こりました。
 私たちが感じているのは、この時期から2008年の危機によって発生した不満の政治的方向が逆転したということです。それまでは左翼はこの不満に方向を与える一定の能力を持っていました。ヨーロッパの「インディグナドス(怒れる者たち)」、ギリシャのゼネスト、ラテンアメリカの進歩的サイクル、アラブの春などです。しかし、それ以降に私たちが目にするのは、むしろ失敗、停滞、敗北です。ラテンアメリカの進歩派は危機に陥り、ヨーロッパの左翼は重大な打撃を受け、アラブの春は災禍となり、北米の左翼も停滞に入りました。
 私たちがそこから考えたことは、あの時期に起こったことはグローバルな転換であり、左翼はほぼすべてのところで守勢に回り、極右が攻勢に立っているということです。あなたはどう思いますか?

A 非常に興味深い仮説で、私もほぼ同意見です。少しニュアンスを付け加えたいと思います。私たちが今、新しいサイクルに入っているというのは事実です。先ほどパンデミックの前後に起こった転換について話しましたが、この新しい右翼の台頭の条件の一つが、まさにグローバルな規模での左翼の危機です。あなたが指摘した要素はすべて重要です。
 さらに付け加えたいことは、アラブ革命の混迷と敗北は重要な分岐点であり、現在ガザで起きていることは、その最も悲劇的な結果の一つでもあるということです。

「二〇世紀の革命」の歴史的サイクルの終わり

 また、1990年代にラテンアメリカで生まれた抵抗モデルの危機があります。それは新しいモデルではなかったですが、そこには大陸規模で新自由主義の攻撃に抵抗するモデルが確かに存在しました。今日、この抵抗の主体は危機に瀕しているか、完全に信用を失っており、これが深刻な政治的影響をもたらしています。ベネズエラやボリビアのケースについてはここでは触れません。アルゼンチンにおけるミレイに対する敗北や、この地域で最も重要な国であるブラジルで左翼がルラ以外のリーダーを立てられないという事実にも言及できるでしょう。これもこの危機の反映です。
 ヨーロッパでは、あなたが指摘しているように、左翼を再編成し、新しいモデルをテストする重要な試みがあり、シリザとポデモスがそのサイクルの先頭に立っていました。それらは非常に大きな期待をもたらしましたが、残念ながら、期待が大きかった分だけ失敗した時の影響も大きかったです。米国では状況が異なります。そのような決定的な敗北はありませんでしたが、左翼と民主党の「もたれあい」と「曖昧な関係」が前進を阻む巨大な障害物になっています。
 このようにポスト・ファシズムの登場が左翼の政治的・戦略的危機を基盤としていることは事実です。しかし単にそれだけではありません。この危機はもっともっと長いプロセス、つまり一連の歴史的な敗北の蓄積の中の一つです。長期的視野に立てば、私たちが今経験しているのは「二〇世紀の革命」という歴史的サイクルの終焉の諸結果です。それらは長期的な敗北であり、その影響が私たちの「今」を形作っているのです。そう考えれば2015年と2016の一連の挫折は、一つの結節点の構成要素であると同時に、グローバルな規模で左翼が敗北し、まだ新しいモデルを携えて再浮上することができていないという長期的傾向の一つの表現でもあります。
 左翼の再建について考えるのは簡単なことではありません。しかし、私はバーニー・サンダースの最近の発言に深く心を打たれました。彼は 「トランプが設定した議題には応じなければなりません」と注意を喚起します。左翼の間には極右が持ち出すすべての議論に反論しようとして、極右と同じ議論の枠組みの中でそうしている傾向があります。しかしサンダースは「私たちはトランプが言っていないことについて話さなければなりません」と警告しています。それは左翼の議論であるべきです。今日の支配的な議論に完全に欠けている社会的議論です。

西側民主主義の限界・植民地主義とのつながりを克服できるかが問われている

 結論ですが、私は今日の左翼が1930年代のように反ファシズムだけで再建できるとは考えていません。なぜなら、第一に民主主義は今日、当時と同じ方法では擁護できないからです。そして第二に、反ファシズムの闘争は他の基本的な次元での闘争、すなわち社会・経済・環境問題をめぐる闘争や、「文明の発展」を標榜する新自由主義的な社会モデルとの闘争を連携していなければならないからです。この明確なアプローチが不可欠です。
 さらに、グローバルな世界はもはや20世紀前半のような世界ではありません。古典的ファシズムには自身の歴史がありましたが、当時の反ファシズムは普遍的な言説ではありませんでした。それは西側世界の外では正統性を欠いていました。植民地主義とのつながり、民主主義が西欧世界に限定されていたこと・・・これらのすべてがその普遍性を限界付けていました。同じことが現在も起こっています。
   (おわり)

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