現場の補完捜査権の廃止が引き起こす偽りの改革
イ・ヨンドク
今年7月31日、検事の直接捜査権限を全面的に廃止する内容を盛り込んだ刑事訴訟法改正案が国会本会議を通過し、8月4日の閣議で議決された。改正案は、捜査と起訴を完全に分離し、検事の直接捜査を廃止する内容を盛り込んでいる。検事の補完捜査権(検事による直接の補完捜査は廃止し、警察に対する補完捜査の要求のみ可能)と直接令状請求権も廃止される。
10月2日、検察庁は解体される。起訴と公訴維持のみを担当する公訴庁と、汚職・経済・防衛産業・麻薬・内乱・外貨・サイバー犯罪など6大重大犯罪の捜査を担当する重大犯罪捜査庁(中捜庁)が設立される。政府と民主党はこれを検察改革の完成と呼んでいるが、国民の力は法治主義の破壊だとして、李在明大統領の拒否権行使を要求している。
現在、政府と与野党は、検察機関と警察のどちらの機関がより多くの権限を持つかを、検察改革の核心的な争点であるかのように掲げている。しかし、核心は権限をいかに分けるかではない。本質は、その権限をどの階級の利益のために、どの階級の統制の下で行使するかにある。
捜査と起訴の分離は検察改革の必須手段か?
政府と民主党は、検察改革を名目に改正案を強行した。検察が起訴権と捜査権の両方を握っているために、過剰捜査や人権蹂躙が発生したと主張した。捜査権を持つ検事が起訴権も持っていれば、捜査はそのまま起訴を意味することになり、つまり捜査した内容を起訴せざるを得なくなり、過剰捜査が起きると主張した。起訴権を持つ者が捜査まで行えば、「有罪判決を引き出さなければならない」という考えから、様々な懐柔や脅迫を通じた捜査を行う危険性が高いというのだ。検察が補完捜査権を武器に、政治的目的のための標的捜査や別件捜査を恣行してきたと主張した。
ところが民主党は、検察が李明博や朴槿恵を標的として捜査・起訴した際や、特別検事が朴槿恵に対して同様の強大な権限を行使したときには、これを手放しで歓迎していた。検察の捜査が曺国をはじめとする身内の不祥事に及べば「過剰捜査」と非難し、政治的対立勢力に向かえば「正義」と持ち上げるのは、あまりに身勝手ではないか。
尹錫悦の内乱クーデター発生に際し、公職者犯罪捜査処は自ら起訴せず、案件を検察に移送して起訴を要請した。公捜処の制度上、判事・検事・警察官を除く高位公職者に対しては捜査権のみが認められ、直接の起訴権が制限されているためである。この過程で甚大な混乱が生じた。それは、単に権力を分散させるだけでは、その権力が正義かつ責任ある形で集約・行使される保障にはならないことを如実に物語っている。
捜査権と起訴権の分離自体が、労働者や民衆の権利を保護したり向上させたりするわけではない。権限が分離されると、起訴機関が捜査内容を十分に把握しないまま起訴の可否を判断する事態が生じかねない。多くの重大犯罪の場合、証拠関係が複雑であり、被疑者も専門の弁護士を動員して防御しようとする。このような状況で、捜査を通じて事実関係を把握した者が起訴や公訴維持を担当しなければ、国家機関間の責任転嫁や不十分な捜査が、さらに極悪な様相を呈する恐れがある。
補完捜査権の廃止も、検察改革の必須手段とはなり得ない。釜山「回し蹴り事件」被害者のキム・ジンジュ氏や、故キム・チャンミン映画監督の遺族らは、警察によるずさんな捜査の実態を指摘し、検察の補完捜査権を維持すべきだと訴えた。また、女子高生が犠牲となった光州のチャン・ユンギ事件でも、警察による隠蔽や捜査の粗雑さが大きな問題となり、検察の補完捜査権維持を求める声が相次いだ。
労働者や民衆は、検察による抑圧や弾圧だけでなく、警察による抑圧や弾圧も数え切れないほど経験してきた。警察もまた検察同様に腐敗しきっている。民衆の上に君臨し、人々の権利を根底から抑圧する権力機構にすぎないのだ。労働者や民衆が不当な扱いを受けた際、いくら警察に通報しても、警察が捜査すら行わないケースは後を絶たない。だからこそ、正当な怒りが噴き出しているのだ。
検察はどの階級によって、どのように改革されるべきなのか?
もちろん、現在の検察は改革されなければならない。さらに、名前を変えるだけでなく、完全に廃止されるべきだ。民主的正当性を与えられていない検察機構が、主権者である市民や労働者の上に立ち、不当な権力を振るうこと自体が制度的矛盾である。その姿勢は、権力者や資本家には寛大でありながら、民衆には極めて抑圧的という明確な二重基準に貫かれている。資本家による不当労働行為、未払い、労災致死、違法派遣に対する不問の態度と、労働者のデモやストライキに対する苛烈な法執行を比較すれば、その階級的偏向は一目瞭然である。
「サムスン奨学生」「賄賂検事」「スポンサー検事」といった言葉が象徴するように、検察は幾重もの無数の鎖で財閥と強固に癒着している。資本家による悪質な搾取や違法行為、犯罪を徹底的に処罰するために権限を拡大するというのであれば、労働者の側としても支持の余地はあろう。だが、労働者や民衆の最も切実な訴えを無視し、抑圧することに牙を剥く検察の本質を思えば、そのような変化など望むべくもない。
大衆の憤りをいくらか反映させなければ自らの支配権を維持できないため、時に議員や政治家を脅かしてみせることもある。しかしその本質は、政府や資本家政党の中枢を水面下から操り、国家権力を影で支配する「資本家政治の隠れた実力者」にほかならない。数多くの検事が政界とコネを持っており、情報力と捜査権を基に政治家たちを威嚇し、自らの力を誇示して権力ピラミッドの頂点に立った。
かつて尹錫悦は、「検察の捜査権を完全に剥奪することは、政治・経済・社会分野の有力な勢力に治外法権を与えることだ」と規定し、「民主主義の後退であり、憲法精神の破壊だ」と主張したが、それは検察の権力と既得権を守るための策略に過ぎなかった。
民主的選出を経ず、単に法解釈の知識を誇るに過ぎない司法官僚層は、民衆の過酷な生活実態から乖離したブルジョア的特権を享受している。階級的に隔絶された彼らに、労働者・民衆の権利や闘争に対する捜査・起訴の権限を委ねる合理的根拠はどこにもない。
検察官の資格・任用基準を単なるロースクール教育や国家試験に求める制度設計は抜本的に改められるべきである。公捜処や中央捜査庁をはじめとする検事の選任権は主権者たる労働者・民衆に付与されるべきである。
労働者や民衆の選択によって正当な代表権を獲得し、その民主的統制に従う検察組織であれば、資本家層や政治権力の不法行為を処罰するための十全な捜査・起訴権限を保持することに異論の余地はない。むしろ、それこそが求められる必然の姿である。この原理は司法府全体においても貫かれなければならない。その第一歩として市民陪審員制度を抜本的に拡大すべきである。そして言うまでもなく、その審理を担う陪審員の圧倒的多数は、労働者や民衆の代表によって占められるべきなのだ。
検察と警察の両方に立ち向かう闘争
捜査権が廃止されたとしても、検察の権力が大幅に弱まることはない。検察に代わって設置される公訴庁は、事実上引き続き起訴権を独占する。民主党は、児童虐待や家庭内暴力、性暴力、児童・青少年に対する性犯罪、ストーカー行為、障害者虐待、高齢者虐待など、弱者を対象とした7つの犯罪の場合、警察が容疑なしと判断した不起訴事件まで公訴庁に引き渡す、いわゆる「全件送致」を導入しようとしているが、検察の権限は引き続き強大にならざるを得ない。検察は、司法警察官に対する補完捜査要求権・是正措置要求権、再捜査要求権を持つことになる。警察が検察に送致しなかった事件であっても、事件記録はすべて検事に通知され、検事は職権により3カ月以内に警察に再捜査を要求することができる。
検察と警察はともに「法と秩序」を叫びながら、資本家の支配に抵抗する労働階級と民衆の闘争を無力化し、その支配を正当化してきた。互いに牽制し合っているように見え、自らの権限が侵害される時には互いに唸り合い、実際にいくつかの点では対立することもあるが、「法と秩序」という大義名分のもと、労働者や民衆を抑圧することにおいては一体となっている。警察がスト破りの代替要員を擁護して組合員を凄惨に弾圧し、ソ・グァンソク烈士の命を奪ったこと、さらに検察が矢継ぎ早にストライキ参加者への逮捕状を請求した闘争の実状を見れば、その暴走ぶりは明らかだ。
検察と警察を解体し、労働者・民衆自身の力によって、労働者・民衆の自主的な組織の力によって世の中を運営していかなければ、労働者・民衆の解放は決して実現しない。仮に制度の変革に至る前であったとしても、労働者の闘争がどれほど苛烈かつ大衆的であったかによって、法や制度の改善、さらには権利保障の水準が左右されてきたという歴史的事実を、私たちは決して忘れてはならない。労働者階級は、民主党や国民の力をはじめとするいかなる支配層政党にも従属・同化することなく、警察や検察の不当な権威に対して断固として立ち向かわなければならない。既成政党による「身内のリーグ」で繰り広げられる改革など、労働者や民衆の現実に変化をもたらし得ないからだ。
8月6日
(「社会主義に向けた前進」より)
The KAKEHASHI
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