光州の記憶を超えて問う誰のための自由なのか

チャ・ヨンジュン

 最近、培材高校の野球部の生徒たちが光州第一高校との試合中に、5・18民主化運動を嘲笑するスローガンを叫ぶ事件が発生し、多くの怒りを招いた。しかし、今回の事態のより深い本質は、李炳泰規制合理化委員会副委員長の発言によって明らかになった。
 彼は「5・18が聖域になってしまった」と主張し、さらにこれを「金日成の写真が雨に濡れるのを見て泣き叫ぶ朝鮮の姿」になぞらえた。批判が高まると、彼は「表現の自由」を掲げた。彼の論理に従えば、5・18を嘲笑し歪曲することもまた、保護されるべき自由ということになる。激しい批判の末、結局李炳泰氏の辞任でひとまず決着はついたものの、私たちは一連の事件を単なる「未熟な学生たちの過ち」や「高位公職者の個人的な妄言」程度と片付けて済ませてはならない。
 この事件は、1980年5月の光州事件から半世紀近くが経とうとする今もなお、「5月の光州」がなぜ絶えず論争の渦中に立たされなければならないのか、そして韓国の支配階級が光州の革命的な記憶をいかに統制し、抑圧しようとしているのかを明確に示す「階級闘争」の一面である。
 極右・保守の国民の力勢力と、「進歩」を自任する民主党勢力を問わず、ブルジョア政治勢力は、5月の光州が内包する労働者・民衆の闘争とその爆発力を恐れ、それぞれの方法でその革命精神を消し去ろうとしている。
 さらに極右勢力は、5月の光州を嘲笑する権利すらも「表現の自由」という名目のもとに正当化している。今回の論争は、私たちに問いかけている。私たちが要求する自由は誰の自由であり、何のための自由なのか?
 
極右勢力の「光州抹消」と憎悪ビジネス
 
 国民の力に代表される極右・保守ブルジョア勢力は、1980年以降、一度も光州の闘争そのものを完全に肯定したことがない。これらの勢力は絶えず5・18の歴史的正当性を毀損し、抗争の主体たちを悪魔化しようと企図してきた。陣営側が掲げる歪曲の論理は極めて執拗かつ体系的である。
 第一に、朝鮮軍600人の特殊部隊が介入したという荒唐無稽なデマ、第二に、市民が先に武器庫を奪取したという式の「武装暴動」という枠組み、第三に、有功者名簿の非公開を口実とした偽の有功者への特恵をめぐる論争、第四に、新軍部首脳部による発砲命令の否認および戒厳軍の自衛権行使の主張である。
 こうした主張は、すでに数回にわたる国家真相究明委員会の調査、1997年の最高裁判決、さらには米国務省の機密解除文書を通じて、すべて明白な虚偽であることが判明している。それにもかかわらず、否定論者たちが真実から目を背け、非難を止めない理由は何だろうか。それらの事実を知らないからだろうか。決してそうではない。これには極めて明白な「階級的意図」が込められている。
 その究極の目的は、国家に立ち向かい自ら銃を手に取った労働者・民衆の「武装抗争」そのものを、歴史から消し去りたいということだ。被支配階級が団結し、武装してクーデターに立ち向かった5・18の先例は、それ自体が不穏であり、永遠に隔離すべき恐ろしい記憶である。支配階級にとって労働者・民衆とは、統制と搾取の対象に過ぎず、決して自ら歴史を築いていく主体になってはならないからであり、5・18はそれに抗したあまりにも明確な例だからである。
 ここに、高度に発達したニューメディア時代の資本主義的収益構造が組み合わさり、状況は最悪の事態へと突き進んだ。YouTubeをはじめとする各種ソーシャルメディア・プラットフォームのヘイトビジネス生態系において、5・18に対する極端な嘲笑や歪曲は、すなわち莫大な支援金と高い再生回数に直結する。李炳泰副委員長の傲慢な態度や、学生たちによる「タンク・デイ」への嘲笑は、歴史を利益創出の道具へと転落させたこの浅薄なヘイト産業の生態系と、これを通じて強硬な支持層を結集させようとする極右勢力の露骨な共同作品である。真の責任は、このヘイトの構造を幇助し、利益を得ている者たちにある。

極右勢力が掲げる自由、その階級的本質
 
 極右勢力や李炳泰らが5・18への貶めを正当化するために掲げる論理は、他ならぬ「表現の自由」だ。李炳泰は金洙暎の詩を引用し、「ソウルの真ん中で金日成万歳と叫んでも許されるべきだ」と述べ、自らを原則的な自由主義者として装った。しかし、李炳泰が表現の自由を語るのなら、まず金洙暎の詩をきちんと読むべきだ。
 1960年、金洙暎は自身の詩『金日成万歳』の中で、「韓国の言論の自由の出発点は、これを認めることにある」と記した。金洙暎が要求した自由とは、国家と支配階級が禁止したことを語る自由、支配階級の抑圧に立ち向かい、労働者や民衆が語る自由であった。
 私たちは問わなければならない。金洙暎が語る「自由」と李炳泰が語る「自由」は同じものなのか? 民衆が血を流して獲得した「自由」と、その自由を獲得した民衆を嘲笑し、歴史を歪曲する「自由」は、果たして同じものなのか? 軍事独裁時代、表現の自由などあったのか?
 この事態が浮き彫りにする最も痛ましい矛盾は、極右勢力が語る「表現の自由」こそが、1980年の光州における労働者・民衆の闘争をはじめとする数多くの犠牲によって獲得された権利であるという点だ。こうした勢力が叫ぶ表現の自由は、歴史的文脈を徹底的に切り捨てた欺瞞に過ぎない。
 李炳泰が語る「自由」の本質は、彼の反労働的な行動からもはっきりと見て取れる。彼は企業に「解雇の自由」を保障すべきだと述べた。下請け労働者たちが闘争で獲得した元請けとの交渉権利についても、「契約の自由の原則を正面から侵害する」として非難した。彼が望む自由は、結局のところ無制限の搾取の自由、支配階級の自由に過ぎない。
 現在の極右勢力は、民衆が血を流して獲得した権利にただ乗りしただけでは飽き足らず、その自由を口実に、まさにその自由を生み出した偉大な闘争を嘲笑し、攻撃している。結局、こうした勢力は「歪曲の自由」、「労働者・民衆を搾取し弾圧する自由」を要求しているに過ぎない。
 民主党に代表される勢力は、光州を真心で継承しようとしているのだろうか?決してそうではない。むしろ、同勢力はより巧妙に5・18の精神を毀損している。この勢力は、5・18光州民主抗争の歴史的な後光と道徳的優位性なしには、自分たちの政治的存在理由を証明できない。したがって、毎年5月になると、こぞって光州へ赴き、涙を流しながら5・18を追悼するが、その方式と目的は徹底して自分たちの階級的利益に奉仕するものである。

民衆の闘争と労働者階級の権力へと向かう道

 私たちが歪曲の沼と剥製の枠を打ち破り、再び復元すべき光州の真実はただ一つだ。それは、全斗煥新軍部の軍事反乱と暴力に立ち向かった、能動的な「労働者・民衆の闘争」であった。
 抗争が爆発した過程を振り返ってみよう。初期は全南大学の学生や知識人による戒厳令解除要求デモから始まったが、空挺部隊の銃剣と警棒が舞う無慈悲な流血鎮圧が始まると、街頭に溢れ出て闘争の主導権を握ったのは、この地で抑圧されてきた基層民衆だった。タクシーやバスの運転手たちは約200台の車両を率いて戒厳軍に立ち向かい、市場の商人や主婦、女性労働者たちは路地ごとに握り飯を作って運びながら、闘争に加わった。
 何よりも、戒厳軍による集団発砲の後、市外縁部の予備軍武器庫を開けて「市民軍」を結成し、最前線に立ったのは誰だったのか?「私たちを忘れないでほしい」という最後の放送を聞きながら、道庁に残り死を迎えた指導部の多くは、食堂の従業員、建設現場の日雇い労働者、靴磨き、家具店の職人、夜学の労働者など、私たちの社会の基層で蔑視され搾取されていた平凡な労働者階級だった。国家の無慈悲な暴力の前で生命の脅威を感じながらも、民衆は死を恐れず連帯し、自ら武装した。これこそが5・18の精神であり、真実である。
 
過去の記念日を超えて、今日の闘争へ
 
 李在明をはじめとする政治家たちが、李炳泰副委員長の妄言を「人事検証の失敗」、「国民統合を阻害する行為」程度としてごまかそうとする企図は、事態の本質を巧妙に回避するものだ。今回の論争の本質は、単なる「統合」の問題ではない。なぜ今なお、5月の光州は嘲笑と歪曲の対象となっているのか?その根底には、国家権力に立ち向かい、自らを組織し武装した革命的な民衆を抹消しようとする支配階級の階級闘争がある。「表現の自由」という歪曲の名分もまた、この卑劣な闘争の一環である。
 極右は嘘と嘲笑によって光州の歴史を悪魔化し、物理的に抹消しようとし、民主党系は光州を涙なしには見られない受動的な犠牲の悲劇としてのみ包装し、体制内に吸収しようとする。手段や方法は異なるが、「労働者・民衆の主体的な武装抗争」という革命の導火線を解体しようとする目的において、この二つのブルジョア政治勢力は同じ船に乗った同業者である。
 響き渡った憎悪に満ちた嘲笑と、支配階級の傲慢さを永遠に終わらせる唯一の方法は、光州の精神を取り戻すための闘争である。その闘争とは、1980年5月、名もなき日雇い労働者や靴磨きたちが道庁を守り抜く中で示した、あの痛切な階級闘争の連帯と精神を、今日、非正規雇用の撤廃と労働解放のために闘う数百万の労働者たちの中で、現在進行形の炎として蘇らせることである。
7月10日
(「社会主義に向けた前進」より)

朝鮮半島通信

▲金正恩総書記は7月26日、停戦協定締結73周年で中国人民志願軍烈士陵園を訪れた。
▲ソウル中央地裁は7月27日、公職選挙法違反の罪に問われた尹錫悦前大統領に懲役1年6月、執行猶予3年の判決を言い渡した。

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