気候危機資本主義とヒマラヤの政治経済学

ネパールの危機

エコロジー災害とは階級的災害でもある
クナル・チャトパディヤイ 26年8月30日

 8月26日、ネパール・チベット国境[チベットは現在、中国の「自治区」となっている]に位置するランタン・リルンの北側斜面において、氷河の一部とその下の岩盤層が崩落した。標高7234メートルのこの山から崩れ落ちた氷と岩石による雪崩の衝撃はすさまじく、マグニチュード5・2の地震に相当する地震波を発生させるほどだった。
 その後、土石流はレンデ・コラ川を経由してボーテ・コシ川からトリシュリ川水系へと約100キロメートルにわたって駆け抜けた。集落は破壊され、ネパールと中国を結ぶ主要道路は遮断され、少なくとも6基の水力発電所が被害を受けた。現在までに届いている報道によれば、ネパールとチベットで五百人以上の死亡が報告されており、二千人近くが今なお行方不明となっている。

エコ社会主義者の分析

 このような災害は、ランタンの歴史においてまったく新しいものではない。2015年にはマグニチュード7・8の地震が記録されており、同じ山からの氷と岩石の崩落によってランタン村が岩石に埋もれ、三百人近い人々が死亡した。
 しかし、これら二つの出来事の間には重大な違いがある。2015年のマグニチュード7・8の地震には直接の原因が存在したが、2026年の事例ではそのような地殻変動の引き金を示す証拠は見つかっていない。むしろ山の一部が崩れ落ち、当初はその雪崩自体が地震と誤認されたのである。
 しかし、ここでは自然災害という言葉そのものが問われている。ヒマラヤで氷河が崩壊すること自体は過去にもあり、氷河湖決壊による洪水も新しいものではない。新しいのは、その中でこうした自然現象が発生している社会経済システムなのである。
 ネパールの山々は過去30年間で氷のほぼ3分の1を失った。ここ10年間における氷河の融解速度は、過去と比較して65%近くも増大している。地球温暖化によって、氷が解け、永久凍土が弱まり、凍結と融解のサイクルが変化した結果、山の岩石を一体に繋ぎ止めてきた氷と固い土壌の安定性が失われつつある。
 科学者たちはまだ、今回の8月26日の氷河崩壊がもっぱら気候変動によるものである、あるいはその主要な原因が気候変動にあるとは述べていない。しかし、このような災害が発生する可能性と深刻さが増している状況において、それが人間によって引き起こされた地球温暖化と関係していることを疑う余地はほとんどない。
 これこそが、エコ社会主義者による分析が出発点としなければならないところである。気候危機は「人間が作ったもの」であるという広く使われている概念は不十分であり、ひいては事実にも反している。すべての人間が平等に化石燃料を燃やしているわけではない。すべての社会が同じ量の炭素を排出してきたわけでもない。
 そして、すべての階級がこの破壊から同じように利益を得ているわけでもない。資本主義生産の内部的強制力——永久に続く蓄積、市場の拡大、そして自然をタダ同然の投入物として利用すること——こそが、私たちを命の限界点との継続的かつ直接的な衝突へと追いやっているのだ。

気候変動と崩落

 ネパールは地球温暖化に対して歴史的にはほんのわずかな責任しか負っていない国であるにもかかわらず、裕福な工業国や大量の炭素に依存する大経済圏のために、命で代償を払わされているのはネパールの山岳地帯に住む人々なのである。これこそが、気候不正義の階級的・帝国主義的特徴なのである。
 ここで気候変動の問題が浮上するが、注意が必要である。今回の崩落が気候変動によって引き起こされたということがきっちりと確認されたわけではない。岩石や氷の雪崩においては、地質、斜面の形状、氷河の動態、水、永久凍土、そして多くの局所的要因が複合的に作用するからである。
 特定の事象を詳細に分析するには、数ヶ月、あるいは数年を要する場合がある。2021年にウッタラカンド州チャモリで発生した危機[訳注]も、気候変動がこうした事象の可能性を高めると警告されてはいるものの、気候変動に直接起因するものとはされていない。したがって、エコ社会主義的な批判は科学的見解の枠を越える必要はない。
 しかし、確定している事実だけでも十分に致命的である。1940年以降、このランタン・リルン地域の夏季の気温は10年ごとに0・29度ずつ上昇している。1996年から2025年にかけての平均気温は、1961年から1990年の平均よりほぼ1度高かった。2022年から2025年の間には、過去86年間で最も暑い夏のトップ5に入る夏が4回も記録された。2026年7月は86年間で2番目に暑い7月となり、8月の最初の3週間は過去すべての8月における記録を超える平均気温を示した。2026年8月26日、山の一部が崩壊したのはこのような状況下での出来事だったのである。

永久凍土の弱体化

 さらに重大なのは、永久凍土の弱体化である。1957年から現在までに、東ヒマラヤの氷河は平均して厚さ30メートルに相当する氷の質量を失った。その半分は今世紀に入ってから発生したものである。
 今回の災害現場からわずか10キロメートルしか離れていないヤラ氷河は、1970年代に初めて調査されて以来、66%縮小し、784メートル後退した。2012年から2025年にかけての年間平均質量損失は水当量で0・92メートルだった。2024年には1・9メートルに達した。さらに深刻なことに、ヤラ氷河の平衡線(氷河の蓄積と消耗が釣り合う境界)が上昇しすぎたため、現在では氷河全体が実質的に「融解ゾーン」の中に入ってしまっている。
 ランタン流域全体において、氷河の面積は小氷期にあった頃と比較して約42%減少した。1815年から1964年までの減少率は0・11%であったが、1964年から2023年には0・49%に急増し、最も速い増加は2000年以降に発生した。氷床が失われるにつれて大きな氷河は小さく孤立した氷河へと分裂し、その数は58から115へと増加した。これと、いわゆる「人間が作った」(実際には炭素を大量消費する大資本が作った)気候変動との関連性は疑う余地のない話である。
 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、1990年代以降の世界的な氷河の後退は主として人間の影響によるものであると結論付けている。しかし、それはすべての人間によるものではない。ごく一部の大企業、炭素を極端に排出する一部の国々、そしてそうした国々やその他の国々のエリート層によるものである。ただし、地球規模での氷河後退を一般的に語ることと、8月26日の特定の崩落事故の原因を究明することとは異なる問題である。この区別は政治的にも重要である。過去の雪崩を引き合いに出して地球温暖化の役割を否定することは、完全に非科学的である。

ネパールはリスクを
絶えず増大させてきた

 危険の度合いは、山にどれだけの量の氷があるかにだけ依存しているのではない。その氷やその下の凍結した地盤がどれほど急速に変化しているかに依存している。氷河が薄くなると、急峻な岩壁を支えていた氷も薄くなり、補強効果が減少し、融解水が新たな亀裂や破砕面へと侵入する。そして永久凍土が温まって解けると、破砕した岩石を接着していた氷が弱まる。言い換えれば、安定した冷たい氷河と比較して、比較的急速に変化している氷河・岩石システムははるかに危険となり得るのだ。
 しかしながら、外部の要因だけに責任を負わせるならば、ネパール自身の政治経済を覆い隠してしまうことになる。過去数十年間にわたり、水力発電はネパールの発展への主要なルートとして称賛されてきた。その目標は、発電、輸出、外貨獲得であり、経済基盤の開発による近代化の達成であった。水力発電は確かに石炭や石油とは異なっている。化石燃料の支配から脱却するためには、水力発電による電力が必要となってくる
 しかし、あるプロジェクトが再生可能エネルギーであるからといって、それが社会的、環境的に公正であるとは限らない。道路建設のために山を爆破することで、川を堰き止めたり流路を変えたりすることで、大規模な水力発電コンプレックスや送電回廊を建設することで、さらにこのような不安定な地質学的現実の上に国境貿易のためのインフラを開発することによって、ネパールはリスクを絶えず増大させてきたのである。
 研究によれば、ネパールにおいて水力発電は主に純粋な技術的・経済的問題としてとらえられており、川に依存して暮らす地域コミュニティのニーズや知識は意思決定プロセスから排除されてきたことがすでに示されている。
 したがって、この災害が残酷にも象徴しているのは、気候変動に対するグリーン・オルタナティブとして推進されてきた水力発電自体が、気候変動によってダメージを受けたという点にある。今回の洪水はいくつかの水力発電施設を破壊した。それ以前の2015年の洪水の際にも、同じ地域で多くの水力発電プロジェクトや中国・ネパール貿易の重要なインフラが破壊されていた。言い換えれば、私たちはエコロジー危機と、山・川・氷河がそもそも交換可能な資源として扱われてきた特定の開発モデルの危機を同時に目にしているのである。
 階級の問題はこれと切っても切れない関係にある。洪水はすべての人に平等に影響を与えるわけではない。適切な家、蓄え、車、保険、政治的コネを持ち、他の場所へ避難する能力のある人々は、山の斜面で耕作する農民、労働者、小規模事業者、輸送労働者、そして一般の貧困家庭に比べてはるかに被害を受けにくい。
 2015年に同地域で起きた洪水でも、労働者、トラック運転手、小規模店主、そして地域の生計に依存している人々が、国境貿易の停止によって長期的な打撃を受けたことが示された。つまり、エコロジー災害とは、同時に階級的災害でもあるのだ。

エコ社会主義綱領の提起

 この文脈においては、ネパールで近年起きた政治的爆発も関連している。2025年の若者による反汚職運動は古い政治秩序を大きく揺るがした。警察の発砲により抗議参加者が死亡し、凄まじい怒りが巻き起こり、最終的にKP・シャルマ・オリ政権は崩壊した。2026年の選挙を経て新政府が誕生したものの、汚職、過度な中央集権的意志決定、社会的差別、そして国家の責任追及に関する懸念は消え去っていない。したがって、エコ社会主義的な視点からは、エコロジー民主主義と政治的民主主義を明確に切り離すことはできないのである。市民が国家の決定に対して実質的・民主的な統制を維持できない社会においては、川、森林、山、そしてエネルギー・インフラに関する地域コミュニティの民主的統制もまた脆弱なままであり続けるからだ。
 そのため、エコ社会主義綱領は、単なる炭素削減の綱領にとどまらない。私たちは、ヒマラヤのエコロジー的計画を必要としている。必要なことは、氷河、永久凍土、斜面の長期的なモニタリングであり、効果的な早期警戒・避難システムであり、リスクの高い河川回廊における建設工事に対する厳しい規制であり、水力発電や道路プロジェクトに対する地域コミュニティによる民主的意志決定権であり、気候適応が民間投資の保護ではなく人の生命と生計の保護であることを確実にすることなのである。
 歴史的に主要な炭素排出国であった国家や大企業は、気候資金への寄付、技術移転、損失と損害に対する補償をおこなわなければならないと要求することが必要である。それと同時に、その資金が地元のエリート、建設ロビー、大規模インフラ資本の手に入るならば、問題は単に再生産されるだけに終わるだろう。
 したがって、今回のネパールにおける悲劇はまた、未来への警告でもある。問題は単になぜ氷河が崩壊したのか、だけではない。問題は、どの社会システムが地球をこれほど急速に温暖化させているのか、誰がそこから利益を得ているのか、誰がその代償を払わされているのか、そして人間と自然との関係を決定する権力は誰の手にあるべきなのか、ということなのである。
 エコ社会主義者の答えは、生態系としての生存を資本蓄積の強制力の下に置き続ける限り、この危機を解決することはできないというものである。生産、エネルギー、土地、インフラに対する民主的な社会的統制を確立することが必要である。利益ではなく人間のニーズを発展の尺度とし、自然の限界を再生産する必要性を発展の尺度とするような、計画的変革が必要である。この警告は、インドのシッキム州や西ベンガル州のダージリン地域においても特に切実である。これらの地域でも全く同じ種類の「開発」が行われており、シッキム州ではすでにエコロジー危機の警告が発せられているからである。
[訳注]2021年2月7日、ヒマラヤ山脈ロンティ山の氷河で雪崩が発生し、巨大な土石流が下流を襲い、ウッタラカンド州チャモリにある水力発電所の地下トンネルに流れ込んで多くの作業員が閉じ込められて死亡するなど、約二百人が犠牲となった。

▼筆者は、ラディカル・ソーシャリスト(第四インターナショナル・インド支部)のメンバーで、ジャダプール大学の比較文学教授である。
(「インターナショナル・ビューポイント」8月30日)

ネパールは氷河と岩盤層崩落で深刻な事態になっている(8.26)

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