投書 金子文子の叫びが聞こえる
私も「金子文子 何が私をこうさせたか」
(Kaneko Fumiko)を観た
「天皇制廃止・刑務所民主化・水平社会実現のために闘え」 SM
『かけはし』第2908号(2026年4月20日号)で立原龍三さんが映評を書いている映画「金子文子 何が私をこうさせたか」(監督:浜野佐知、英題:Kaneko Fumiko、2026年、日本映画)を私も観た。Morc(モーク)阿佐ヶ谷で観た。金子文子を菜葉菜(なはな)が演じている。
人間の平等のために
金子文子は語ったという。「現に在るものをぶち壊すのが私の職業です」(旦々舎発行の映画パンフレット24ページ)。「私たち哀れな階級のために、私の全生命を犠牲にしても闘いたい」(映画パンフ16ページ)。「全ての人間は人間であるという、ただ一つの資格によって人間としての生活の権利を完全に、かつ平等に享受すべきであると信じています」(映画パンフ7ページ)。
朝鮮人虐殺の責任を隠すために
1903年1月25日、金子文子は横浜市に生まれる。1919年、朝鮮で三・一独立運動が起きる。これを目撃する。1921年11月、社会主義者の集まる「岩崎おでん屋」に勤める。1922年2月、朴烈(パクヨル)の詩に出会い、強く惹かれる。1923年4月、朴烈と共に不逞社を設立する。日本の帝国主義、植民地主義を批判する活動を開始する。1923年9月1日、関東大震災。1923年9月3日、二人は「予防検束」の名目で橘(淀橋)警察署に連行される。1926年3月25日、大審院で「大逆罪および爆発物取締罰則違反」により死刑判決が下される。1926年4月5日、死刑判決から11日後に恩赦で無期懲役に減刑される。文子は特赦状を刑務所長の面前で破り捨てる。朴烈も恩赦を拒否する。複数の研究者が「転向圧力の存在」を指摘しているが、文子は最後まで転向を拒否する。1926年7月23日、栃木刑務所(宇都宮刑務所栃木支所)で23歳で亡くなる。日本側の公的記録では獄死(死因不明)とされる。日本国家は朝鮮人虐殺の責任を隠すために「金子文子・朴烈事件」を政治的に利用した。「事件」は、フレームアップ性が極めて強いとされる。
何が「獄死(原因不明)」だ、権力による殺人だ
死刑判決を受けたら「万歳」と叫び、減刑されたら減刑状を破り捨てる。映画で金子文子の「行動」を観て、すごいと思った。私の記憶が正しければ、文子は「日本人が大きらいだ」と叫んでいた。共感を覚えた。この映画を観て、文子は第一に天皇制国家に殺されたのではないか。第二に、同じことかも知れないが、刑務所に殺されたのではないか。文子の死は、権力による殺人ないしは「ある種の殺人」と考えるのが正しいのではないか。私が映画やパンフの制作者なら、「マスコミ仕掛けの現代天皇制」と最前線で闘っている天野恵一(あまの・けいいち)さんや桜井大子(さくらい・たいこ)さんらのコメントや「反天皇制デモ」の動画・写真をのせただろう。「この物語は遠い過去の悲劇ではない」(北村匡平〈映画研究者/批評家〉、映画パンフ13ページ)。「あなたはどう生きているのかと問われている」(大田美和〈歌人・中央大学教授〉、映画パンフ15ページ)のだ。
日本と世界の「現代版アウシュヴィッツ」
この映画を観て、私は刑務所についても興味をもった。日本の刑務所は、北欧(ノルウェー・スウェーデン)・西欧よりは民主化が遅れ、アメリカ・韓国よりは人権基準が高いという中間的な位置にある。アメリカのグァンタナモ収容所とイスラエルの刑務所は、国際機関から強く非難されており、現代の「民主国家」が維持する拘禁施設としては最も深刻な問題を抱えている、という(AI〈COPILOT〉)。
この映画と金子文子は、民衆に「天皇制廃止・刑務所民主化・水平社会実現」のために闘うことを呼びかけているのだ。私は、そう思う。
(2026年7月5日)

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