投稿 映画「新・厚い壁」を見て――
「感染」で収容、えん罪で死刑執行
再審請求で問う最悪の国家犯罪
7月14日の東京新聞地域欄に、「菊池事件」を題材にした映画の上映集会の情報が載り、予約後に参加した。
主催したのは「風を紡ぐ会」。同会は「ハンセン病問題を学びながら、高齢であっても障がいがあっても一人一人が尊重され、安心して暮らせる地域作りをともに考えていくグループ」と会の目的を掲げている。
上映を待つ多くの人々
上映会場は東京・北区の「赤羽文化センター」視聴覚室。上映作品名は「新・厚い壁」(2007年作品/カラー/111分)。中山節夫監督も参加してトーク会も行われた。
本作品は1952年に熊本県で実際に起きた「菊池事件」を題材にしたフィクションである。ハンセン病患者とされた男性が強制的に隔離収容され、さらにそのことを恨んで役所の職員を惨殺したと疑われて死刑判決を受け、再審請求にもかかわらず刑が執行された事件である。「ハンセン病史上最大の人権侵害事件」と言われている。弁護団は現在も再審を求めて福岡高裁に抗告している。
連日の猛暑が続くなか、赤羽駅前の会場には早くから参加者が訪れ、開会を待っていた。午後1時45分、会の代表・藤田恵津子さんのあいさつのあと、副代表のNさんが、自身がハンセン病を知り活動に関わった経緯を語った。
「新・厚い壁」の紹介
作品を簡単に紹介する。若いルポライターの卓也は、良い記事を書きたいと知り合いの野宿者から「菊池事件」の話を聞く。編集長に旅費や取材費の捻出を頼みつつ熊本へ出かけ、事件の真相を当時の関係者から聞き出す。同じ編集部で働く女性は、卓也の恋人の母親で、陰ながら彼を応援している。
キャストには、左時枝、ケーシー高峰、河原崎健三、小倉一郎、常田富士男、夏八木勲らベテラン俳優を配した。ハンセン病に対する厳しく非人間的、非人道的な差別と偏見。家族の絆すら簡単に壊してしまう感染症への恐怖と無知。国と役所の問答無用の隔離抹殺政策。狭山事件で昨年、無念のうちに他界した石川一雄さんは、逮捕後に手錠をかけられたまま取り調べを受けたが、菊池事件の容疑者は、警察官に右腕を撃たれたまま――銃弾が貫通している――治療も施されずに取り調べを受けていた。
現地を訪れた卓也の取材に応じた当時の関係者は、事件の経緯を説明して被告の無実を訴える。卓也は真実を知れば知るほど、その理不尽な仕打ちに憤る。
殺人犯に仕立て上げられた主人公の吉村勇吉(作中名・以下同)は、厳しい取り調べに耐えきれず自暴自棄に陥る。警察に追われ、身を隠していた彼には、親戚の小屋にいたというアリバイがあるが、身内すら感染と差別を恐れて、「お願いだから死んでくれ」と彼に懇願する。これほど絶望的な宣告が他にあろうか。
「らい予防法」の制定で
1931年、悪名高き「らい予防法」が制定された。国と県は収容所と病床の拡大を進め、感染者と疑われる人々を次々とそこに放り込んだ。それまで集落に住んでいた患者たちを一網打尽にし、一度入ったら死ぬまで出られない恐怖の絶滅収容所へと送り込んだのである。村落の住民が相互に監視し合い、「〇〇村の○〇は、らいに感染しているようだ」と役所に密告した。農家の稼ぎ手である吉村は、2つの大病院から非感染の証明を得て家族と共に安心していたが、問答無用で摘発された。
弁護士が繰り返し面会を重ねる中で、吉村もようやく相手を信頼するようになり、事実を語り始める。しかし裁判所は再審請求を不当に却下し続けた。
事実関係では、1962年9月11日、法務大臣が死刑執行指揮書に許諾の押印をする。同月13日、熊本地裁は第3時再審請求を却下。懲役刑および死刑の確定後も、吉村は通常の刑務所や拘置所に移送されることなく、菊池恵楓園内の医療刑務支所に収容されたままだった。そして14日午前中、吉村は突然福岡拘置所へ移送され、同日午後1時ごろ死刑が執行された。
恐るべき「いい加減さ」
映画では、刑務支所長が吉村の移送直前に本人に「お別れですね」と告げる。だが吉村はその言葉の意味が分からず、「所長が異動になる」と勘違いしていた。弁護士は、「福岡に移送される時こそ執行される時」だと確信していたから、「移動命令があっても絶対に行くな」と吉村に警告していた。
敗戦後の新憲法に保障された当たり前の人権概念、人権意識、人権感覚が、実は市井の市民とは程遠いところにあり、ファシズムと警察国家、治安弾圧体制を引きずったままの専制政治の「いい加減さ」が、「民主国家」でも変わることなく続いてきた。病気への無知と無理解による厳しい差別と偏見が、官憲の残虐非道を側面から後押しながら、家族すらあっさりと分断してしまう悲劇を、映画は再現している。
捜査の過程で登場する凶器などの証拠、殺害のストーリーも「まず犯人ありき」で捏造されていった。
中山節夫監督について
上映会に駆けつけた中山節夫さんは、自身の熊本県時代の回想を中心に話を進め、満員の参加者は熱心に聞き入っていた。(講演要旨・別掲)
映画監督の佐藤忠男氏は、本作品について以下のように評価している。「実際にあったひどい裁判を再現し、実にいい加減な理由で死刑になった。捜査も取り調べも公判も信じられないくらいいい加減で、本当にこんなことがあったのか。あまりにもひどい」。「中山監督の慎重なうえにも慎重で誠実な映画の作り方~相手を批判するために推測や憶測を事実のように加えることはいっさいしない。はっきりと分かっていることだけで事件と関係者たちの言動を描き、想像はできても証拠で事実だと証明できないことは描かない。その節度はもう見事なほどである」。
追悼拒否する高市政権
6月22日、ハンセン病追悼式典が東京・霞が関の厚生労働省で開かれた。「らい予防法廃止」から30年という節目の今年。ハンセン病患者、元患者、家族らが名誉回復と追悼を求めた。高市早苗は出席せず、2009年の式典開始から現役首相として出席したのは、2011年の菅直人ただ一人。この年は除幕式も兼ねていた。菅は、らい予防法が廃止された1996年に厚生相だった。
今年の式典でマイクを握った国賠訴訟原告団協議会会長の樫山勲さんは、高市の欠席を「被害者の名誉回復にも追悼にも値しない」(6月23日・東京新聞朝刊)と厳しく批判した。
頑固に残る差別の意識
私は今回の上映会に参加して初めて「菊池事件」を詳しく知った。熊本県合志市にある「菊池恵楓園」は、今なお国内最大のハンセン病療養施設である。過去にもこの病気をめぐる別のドキュメンタリー映画を見た(※)。作品によって差別や迫害へのアプローチが異なるのは当然ではある。ならば自身が謙虚に学習し、感染症を口実とした理不尽な差別隔離政策、終身刑そのものの収容所の負の歴史を問い続けなければならないだろう。
私の好きな俳優・夏八木勲は作中、裁判所の書記官役で登場する。死刑執行後の教戒師との会話に、こういう台詞がある。「自分は証拠のタオルを割り箸でつかんだ。被告をぼろ雑巾のように扱ってしまったのです」。遅きに失するが後悔の念を打ち明ける瞬間だ。
たまたま病気にかかっただけで、感染が疑われただけで、人々に忌み嫌われ、ろくな治療も受けられず、家族と離れ離れになって年老いていき、一生を終える。この苦難の人生が、らい予防法が廃止される1996年まで、法律上では患者たちに強制されたのである。
裁判に勝利しても、制度が変わっても、人々の心理の奥底にうごめく差別意識は、そう簡単には消えていかない。偶然に見つけた上映会の記事によってまたひとつ、史実を検証する宿題を出されたような気がした。
会場の参加者は110人。質疑応答では「なぜこれほどのえん罪事件と差別が問題にされないのか」など率直な感想も出された。
東京・北区福祉会の会長が閉会の言葉を発した。「この映画の主題は過去のことではない。今のことだ。今日は皆さんありがとうございました」。
(桐丘進)
※ドキュメンタリー映画「かづゑ的」熊谷博子監督/119分/2023年作品
「菊池事件」とは何か
今から75年前の1951年8月1日、熊本県菊池郡で村役場衛生課職員Aの自宅にダイナマイトが投げ込まれ、本人と子供が軽傷を負った。警察は当時29歳の農民・吉村勇吉(映画作品中の仮名・敬称略)を逮捕。ハンセン病に感染したと疑われ、施設への強制入所措置を恨んでの犯行と決めつけられた。国立ハンセン病療養所・恵楓園内の熊本刑務所代用留置所(外監房)に勾留され、裁判は「熊本地裁菊池恵楓園出張法廷」で行われた。1953年、最高裁で懲役10年の刑が言い渡された。
ところが翌年7月、職員Aが惨殺死体となって発見された。吉村はその半月前に施設から脱走し、所在不明で指名手配されていた。警察と村民の山狩により、死体発見の1週間後に吉村は逮捕された。警察官は逃げようとする吉村に拳銃4発を発射し、弾は吉村の右手を貫通した。
公判は前述の恵楓園出張法廷で行われた。机や椅子を簡単に並べただけの粗末な法廷で、権威も正当性もなかったが、感染者に対する共通のやり方だった。裁判で検察は、犯行を「執拗に殺害を計画し、一回目は失敗し、二回目に達しており、復讐に燃えた計画的犯行」であるとした。1953年8月29日に熊本地裁は吉村に死刑を宣告した。
この1カ月後には、「全国ハンセン病患者協議会」が「公正裁判」を求めて起ちあがった。他に文化人や著名人なども署名運動を支援し、5万筆が集まった。「救う会」には共産党の野坂参三、中曽根康弘元首相も名を連ねていたという。
吉村と弁護団は控訴・上告したが、1957年8月23日に最高裁が上告を棄却し死刑が確定した。
中山節夫監督の発言から
この映画は今から18年前、私が70歳のときに作った映画だ。事件は熊本県の私の実家から10キロの所で起きた。菊池恵楓園は今でも国内最大の収容施設である。覚えているのは6歳の頃。高い塀と堀に囲まれた場所で、面会に行くときは動物園にでも行くような感覚だった。誰ともなく「らい病」の患者が入れられていて、一生そこから出られない、と聞かされていた。
菊池事件の報道によると、ダイナマイト事件の被害者は全治2日、被告はその罪で懲役10年だ。殺害された事件では被害者に20ヶ所の刺し傷があった。加害者の恨みが強く、はたして一人でやった犯行なのか。
私はハンセン病を正しく理解する映画を作ろうと思った。当時、患者から生まれた子どもは殺され、ホルマリン漬けにされた。その処理が自分の村で行なわれた。「施設に入るくらいなら死んだほうがマシだ」という風潮が広がっていた。
子供時代は自分も「差別する側」として育ってきた。自分にも差別する心があった。患者さんに誘われたが、一緒に入浴ができなかった。私の動揺する心を、相手に見透かされているようで、そんな自分が嫌になった。
袴田事件では、お姉さんが頑張ったから弟さんが救われた。菊池事件の抗議集会では被告の弟さんが「兄の敵を討つ」と言った。とはいえ差別の激しさは、そのまま怒りに変わるわけではない。長い年月が経つと、人々はつらい過去に触れて欲しくない、大きなトラウマになっていく。そうやって誰もが沈黙を守る。それほど差別の厳しくて過酷な原体験は、差別された人に深い傷として残るのだ。私は、「差別を自分のこととして捉えてほしい」と、この映画を作った。(要旨・文責筆者)

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