植樹祭とは何なのか
天皇制延命のための翼賛運動はいらない
海田 昇
5月25日の秩父駅前における天皇埼玉来県抗議行動は、大挙した街宣右翼の妨害(あるいは埼玉県警の準備不足)のせいで大変消耗させられる結果となった。総体として、警察は右翼となれ合って暴力行為を黙認し、表現の自由、集会の自由を弾圧し、天皇警備を完遂した、ということになる。
実行委からは、過剰警備の不当性、憲法違反の行幸(「公的」行為)、予算の無駄遣い、自然環境破壊の産業構造を利することこそあれ、告発することはない、ということなど、問題点として挙げられたと思う。
神奈川県の全国植樹祭反対闘争から
天皇行事の問題に無関心な人、天皇は「お仕事」を熱心にされていると本気で思っている人に対し、どう訴えるべきか。植樹祭のこと一つとっても論点は多い。
「帝国日本と森林―近代東アジアにおける環境保護と資源開発」(勁草書房)という本には、天皇制の告発という視点には届かずとも、考える糸口がいくつか紹介されている。
私は2010年に神奈川県での全国植樹祭に対する抗議行動に際し、神奈川県に植樹祭開催予算の情報公開などを求める行動に加わったことがある。印象に残ったのは、自治体担当者が林業振興の一環として全国植樹祭を行うという建前を述べるだけで、ほんとうの意味で林業振興、森林資源をなんとかしようとしている気配は全く感じられない、ということである。無難に天皇行事をやり過ごしたいとでも言いたげな態度なのである。
森林行政の問題はなかなか深刻で、住宅建設に必要な丸太材で言えば、国産ひのき、スギなどは1980年代に暴落し、2020年現在半分以下の価格で停滞して、外国産木材に凌駕されている。かつては山を持っていればひと財産とされたが、今は山を相続しても負担になるだけ、という話を聞く人は多いだろう。林業を担う人材は不足し、荒れた森林から野生動物がやってきて田畑を荒らしに来るニュースは後を絶たない。長い間社会現象として定着した花粉症も、森林の放置と関連付けられてきた。グローバルな工業資本の拡大が続く20世紀以降、農業とともに森林はあたかも忘れられた存在であるかのようでもある。
そういう現状からすれば、天皇が登場して森林育成の必要を説くという行為は、学芸会的な茶番劇、時代錯誤にすぎないと言いきっても間違いではない。ただ、日本帝国主義が天皇を「お上」としてあがめられた時期をさかのぼれば、天皇が植樹祭の名のもとに各地域へ行幸することの犯罪性が明らかになる。
帝国を名乗り、植民地、支配地を増やすことは、具体的には支配する領海面積を広げ、都市とともに森林をどう管理するかということが内実として問われる。
例えば台湾では、日清戦争後の割譲以降森林の相当部分を生活の根拠地とする先住民族居住区域を「蕃地」と名付け、時には懐柔し、統制し、あらゆる挑発の末に武装闘争を誘発し排除していった。その台湾ではセルロイドの原料である天然樟脳の原料としてクスノキの伐採が盛んだった。1920年代以降合成樟脳の開発、戦後のプラスチックの普及で、今や樟脳といえば防虫剤の用途しか思い浮かばないが、資本蓄積のためにこれほど森林資源が不可欠の時代だった。高地伐採の必要から先住民族の排除を急いだという事実は、日本帝国主義が資本家の要請と密接に結びつきながら、抵抗する人々を武力で平定した歴史を特徴付けた。
日本帝国主義と森林破壊
台湾の巨大樹木といえば、靖国神社、明治神宮の鳥居などにも、阿里山で伐採されたヒノキが用いられている話は有名だ。強奪というにふさわしい所業をどう振り返ればよいだろう。2005年から2006年ごろにかけて「高砂義勇隊」として日本帝国主義のために戦地へ送られた先住民族の人たちの遺族が、靖国神社合祀取り消しを求めて行動を起こしたことも記憶に新しいが、神社境内への立ち入りが良いか悪いかという議論で済む話ではない。日本帝国主義が行った強奪行為から目を背けることにつながっていく。
旧満州においても、日露戦争の原因、結果を象徴する莫大な森林利権をもとに、鴨緑江採木公司が立ち上げられた。日本・中国合弁という事情で植林が行われず解散に至った経緯が企業形態の矛盾として語られることも多いが、むしろ日本「本国」などへの供給が優先され、東清鉄道開発などを経て遼寧・吉林、黒竜江の森林被覆率が半分に低下したという事実に日本帝国の収奪の激しさを見る。北海道でも鉄道枕木、炭鉱の坑木需要の増大、やがてパルプ需要の増大をへて、ある種補完的に樺太産のパルプ材が増産されるようになる。 1925年皇太子時代の天皇裕仁が樺太「行啓」訪問最初の視察先が、王子製紙の工場内であり、行啓日程の中で樺太神社、真岡第一小学校などにおいて数回の植樹をしたエピソードは、林業資本と天皇家の結びつきの深さを知らせてくれる。東南アジアも、敗色濃厚な日本帝国内の代替資源として森林伐採はおこなわれたが、北方と同じ水準で収奪のスタイルをまっとうするには至らなかったようだ。
全国植樹祭の狙い
全国植樹祭の根底をなすものとして強調されるべきは、記念植樹などに見られる、緑化運動としての性質だ。敗戦前は愛林日なるものが定められ、神武天皇誕生日とされる4月3日近辺に設定したのち、1938年以降は4月4日を愛林日と定めたという。
1895年に牧野伸顕によって導入されたという記録もあるが、ここで重要なのは、愛林思想の普及は、実際には朝鮮半島で集中的に実施がはかられた後に日本で定着していく、という事実である。朝鮮半島では焼き畑農業、土地の入会い使用などによる民衆による伐採が進み、はげ山の割合が高かったという報告が日本人によってもたらされている。整然とした森林植生こそ帝国日本の役割だという自負が多くの官僚、学者の発言から見てとれる。 そして1910年の韓国併合直後から韓国皇帝なども臨席しての記念植樹は始まり、徐々に定着させられていく。もちろん現在も天皇行事で「日の丸」小旗を持たされる民衆よろしく、朝鮮半島民衆に過酷な動員を強制したはずである。こうした愛林「思想涵養」において学校林の保護育成は中心的分野だった。学校生徒を、実際の学校林管理要員として、また、啓蒙を担う世代的な波及元としてみなす一方、学校林周辺では地元住民との軋轢が生じていたという報告も絶えなかった。森林保護という美名と森林資源の確保、資本への活用を帝国主義国家は正当化して民衆に押し付けたが、民衆からしたら焼き畑(火田)農業、小規模伐採が理不尽に規制されたことにしかならないのだから。
植民地開発全般に言われることだが、それは収奪なのか、あるいは近代化をもたらす側面があったかという議論は研究者の間で尽きないようで、森林保護に関しても同様のようだ。しかし天皇を前面に押し出した緑化運動は、森を守ろうというロマン主義と、森林資源をどう活用するかという実利主義がいびつに混ざって続いてきた代物である。天皇家をはじめとして私たち日本人民は加害者としての責任をまったく果たしていない以上、収奪者としての側面から、現在進行中の森林、あるいは土地資源の問題に近づいていくしかない。
天皇奉祝運動に反対していこう
また、かなり忘れ去られているが、最盛期には300万ヘクタール、GHQによって国有地へと放出させた時点で130万ヘクタール以上を占め、皇室財産の中核をなしたといわれる御料林についても、緑化運動、全国植樹祭とどのように関係しているかもう一度考えていかなければならない。日本「本土」においても森林など入会い使用が弾圧されていく過程というのは各地で記録されていて、天皇家の名のもとに民衆の権利が駆逐されて、資本だけが天然資源へのアクセスを強めて行く構造は強化されたはずである。2025年は天皇らが沖縄に続き、広島を訪問するなど活動的である。各地方で未成年児童らをも巻き込んで組織される奉祝奉迎運動に断固反対していきたい。
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