9・27米軍横田配備・基地の強化反対集会・デモ
オスプレイ配備をやめろ
基地反対6団体が主催
【東京】9月27日午後2時から、米軍横田基地の前の福生フレンドシップパークで、「横田配備/基地の強化反対集会とデモ」が行われた。オスプレイ横田配備反対連絡会(横田基地を考える会、横田基地もいらない市民交流集会実行委、横田・基地被害をなくす会、横田基地公害訴訟原告団、横田基地の撤去を求める西多摩の会、第3次新横田基地公害訴訟原告団)が主催し、70人が参加した。
司会を棣棠淨(横田・基地被害をなくす会) さんが務め、「オスプレイ連絡会で開催する集会は三回目になる。屋久島で横田基地のオスプレイが墜落し、たいへんな事態が生じた。その後オスプレイは全世界的に運航を停止した。多くの仲間と共に署名を集め、院内集会を開き政府・防衛省を追及してきた。にもかかわらず再開した。それに抗議する集会を、昨年はずっとここで座り込みを続けている撤去の会の皆さんと共同して集会を持った」と経過を説明した。
65人の命が
オスプレイの犠牲に
「2018年、米軍横田基地に空軍仕様のCV22オスプレイが5機、その後1機が追加された。それ以後オスプレイによる横田基地上空での飛行や基地内での夜間ホバリング訓練が繰り返されるようになり、騒音や振動、事故や墜落の危険などにより、住民の生活破壊と恐怖が高まるようになった。
オスプレイは開発段階から、構造上の欠陥による墜落事故や離着を繰り返し、これまでに65人もの尊い命が犠牲になった。2023年11月に、横田基地所属のオスプレイが屋久島沖で墜落し、乗員8人全員が死亡したが、その後、原因究明が不十分なまま飛行を再開して、現在に至っている」。
繰り返される緊急着陸
「墜落に至らないまでも、緊急着陸が頻繁に繰り返されている。今年だけで3回目。横田では通算12回。今年の8月10日、陸上自衛隊の北宇都宮駐屯地でも起きた。このように危険なオスプレイを横田基地に10機に増強する方針はいまだに変わっていない。格納庫や駐機場などの施設の建設が進んでいる。
周辺住民の被害が深刻化するなか、10機体制になれば、騒音や墜落、事故などによる被害の増大は計り知れない。
一方、横田基地では基地機能の強化が進められている。従来は第5空軍司令部が兼任していた在日司令部司令官が在日米軍の指揮を担当することになり、それは今年3月に、第5空軍司令部から分離された。これは昨年3月の陸海空自衛隊の統合指令機能再編に対応したもので、日米軍事一体化、戦時対応のための組織強化だと言える」。
グローバルホーク配備
「また、今年8月に高高度無人偵察機・グローバルホークの常駐配備が決まり、特殊作戦を任務とするオスプレイ部隊の存在と合わせ、横田基地は様々な任務をかせられた危険な基地へ変貌している。いつでも戦争ができるための基地の強化が進んでいるとしか考えられない。
そして、昨年11月に立て続けに起きたパラシュート降下訓練事故のように、危険で無責任な訓練が私たちの居住地の上空で日々行われている。安全で静かな空を取り戻そう。平和な日本を実現させよう」。
全国各地から連帯のメッセージ
撤去の会の高橋さんが第七版の「オスプレイは飛ぶな!」リーフレットについて説明した。連帯のあいさつを東京平和委員会、東京全労協を中心に横田米軍反対の実行委の大森さんが「横田基地に対する闘いは今年で14年目を迎える。毎年六月頃に福生公園で集会・デモを行っている」と発言した。
7団体のメッセージの紹介。第三次普天間米軍基地から爆音をなくす訴訟団、大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会、瀬戸内海の静かな環境を守る住民ネットワーク、神奈川平和運動センター・三浦半島地区労働組合センター・原子力空母の母港化に反対し基地のない神奈川をめざす県央共闘会議、厚木基地爆音阻止期成同盟、オスプレイはいらない!習志野・八千代・船橋ネットワーク、三多摩平和運動センター。
米軍立川基地拡張反対闘争の歴史を島田清作(横田・基地被害をなくす会、元立川市議)さんが発言した。(別掲)
基地反対運動団体が闘いを報告
横田基地問題を考える会の佐々木さんは、「1年間の闘いの報告。2カ月に1回、福生・立川・昭島の3駅で署名活動やアピール・リーフレット配布などを行ってきた。延べ参加人数96人。集めた署名は147筆」と報告。
撤去する会の古田さんは、「2018年の10月1日は何だったのか。CV22オスプレイが正式配備された日だ。この日を絶対に忘れない。撤去まで闘う。第2ゲート前でスタンディング行動を続けている。毎月、第2ゲート前で午前11時から12時前でスタンディング抗議行動を行っている。
10月17日、市民交流集会を毎年取り組んできていて、今年で17回目になる。今年は高校生のダンスとスピーチが入る。東京全体の多摩川中央公園を利用した11月22日にも集会。こんなにアメリカ言いなりに空を使いまくられている国はほかにない。オスプレイ40数機が日本の空を飛び回るなんて信じられないことだ。普天間では配備された24機はいま、20機になっている。それは使えなくなっているからだ。事故は絶対に起きる。絶対に許せないオスプレイ」と訴えた。
第3次新横田基地公害訴訟原告団団長の奥村さんは、「墜落の問題、パラシュート事故の問題、さまざまある。施設整備が着々と進んでいる。横田基地が軍事拠点をささえる拠点になってきている。基地の実態をしっかりつかんでいくこと。何が起きているのか、このことが一番大事であり、この横田基地に配備されている欠陥機オスプレイを何としても、ただちに撤去、飛行差し止めをする」と表明した。
集会後、横田基地の横を通り、福生駅までデモでオスプレイ配備中止、横田基地撤去を訴えた。 (M)

「オスプレイ配備中止、横田基地撤去」のシュプレヒコールを響かせた(9.27)
島田清作さんの発言から
立川基地拡張反対闘争の歴史
1922年に立川に旧日本軍の飛行場が作られた。その立川飛行場の付属飛行場として、この地域に多摩飛行場が作られた。そして、太平洋戦争で日本が負けて、米軍が進駐してきて立川飛行場は米軍立川基地、多摩飛行場は米軍横田基地になった。この二つがアジアに対する侵略戦争の拠点としてずっと使われてきた。その中で、三多摩地区の労働組合や平和を求める立場から、戦争に反対し基地に反対する立場から、立川基地・横田基地に反対する運動を続けてきた。
特に1954年から始まった立川基地拡張に反対する砂川の農民たちを中心とした砂川闘争では三多摩の労働組合も全学連も一生懸命共に闘ってついに、1968年に立川基地の拡張を阻止し、立川にいた米軍は立川基地を放棄して、全部横田基地に移った。したがって三多摩の労働者は立川基地をなくした成果を生かして、今度は横田基地を撤去し、世界の平和のために闘っていこうと現在も三多摩平和運動センターというのがこの地で闘い続けている。
私はその1955年から始まった砂川闘争の中で、1957年基地の中の土地の返還を求めて闘ってきた。基地の中の土地を測量しようとする国家権力に対して、米軍基地の柵を押し倒し、基地に立ち入って、その測量を阻止しようとした。そこで、23人の労働者、学生が逮捕され、裁判になった。基地に入る全学連の最先頭に私がいた。
この人たちが裁判をやる中で、東京地裁の伊達昭夫裁判長は、基地に立ち入ったと言うことで起訴された全員に無罪判決を出した。なぜかと言うと、アメリカ軍の基地が日本にあることは平和を求めるを定めた日本国憲法に違反する。アメリカ軍の基地が日本にあることは憲法上許されないことである。許されない米軍基地に立ち入ったからといって、罪にはならない。そういう判決が出された。1959年ことだ。
それ以来私たちはこの伊達判決を生かして、すべての米軍基地を撤去させようと、平和憲法を守っていこう、こういうことで現在も活動を続けている。(発言要旨、文責編集部)

島田清作さん
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