読書案内「イギリス炭鉱ストライキの群像」(下)
熊沢誠著/旬報社/1870円 2023年
新たな闘いの長い道のり
投稿 西島志朗
新自由主義と闘う労働運動のレジェンド
51週間に及ぶ激闘の末に、闘いは敗北する。ストライキを闘い抜いた労働者たちは、堂々と職場に復帰する。「ウェールズのマーディー炭鉱では753人が、横断幕、組合旗を掲げ、ブラスバンドを先頭に行進した。頭を上げ威厳を示す整然たる群像だった。・・・ここではストが始まって以来、1人の脱落者もなかった。その名誉ある敗北の映像はマスメディアを通じて広く全英に流布された」。
警察権力を前面に押し出して、サッチャーの新自由主義が勝利した。「サッチャーは、なかま同士は競争しないという義理を守り、どこで働いても労働条件の『共通の規制』を獲得しようとする組織労働者ではなく、労働市場の競争の中に身をさらして懸命に身過ぎ世過ぎする未組織労働者を『イギリスを救う』人々とみなした。その労働者観は、明らかに企業間競争・個人間競争の開放をめざす新自由主義のそれであった」「サッチャーは、80年代半ば、労働党政権のもとで社会民主主義の極北に近づいたイギリスでは、抑制なき産業民主主義の行使へのあまりの寛容さが、新自由主義への改革を妨げるばかりか、『民主主義』の統治を危うくしていると認識していた」。
ここでいう「民主主義」とは議会制民主主義である。つまり、「労働条件は議会で決める」ということである。「産業民主主義」は「議会制民主主義」と衝突した。著者の言うように「ふつうの労働者にとって、産業民主主義なくして民主主義はほとんど虚妄である」。
著者は「産業民主主義」を以下のように定義する。「産業民主主義とは、周知のように法律的には労働三権(労働組合の結成権、団体交渉権、争議権)の保障のことであるが、労働者の権利擁護にとって枢要のポイントは、労働三権の保障がその権利行使の具体的な行動の自由、例えば争議形態としてのストライキやピケッティングの選択の自由と、その行使への民法上・刑法上の免責をふくむことである」。
労働者の力を選挙での「一票」に切り縮めて、自らの労働条件を議会の議論にゆだねるのではなく、団結した労働者の経営との交渉と闘争によって決定すること。その争議権の行使は免責されること。ここに「産業民主主義」の本質がある。
著者は、「私は労働研究の全過程を通じて産業民主主義・産業内行動の信奉者であった」(その通りであり、だからこそ尊敬すべき研究者である)と言いつつ、「考察は抽象的で、視野は狭隘であった。端的に言えば、職場労働社会を支えるムラ・コミュニティへの関心が希薄だった」と真摯に振り返っている。そして、「ストライキやピケはアトム化した労働者個人にはできない。労働者が日常的にそこに属し、構成員の強い絆が息づいている、ある種の共同体・コミュニティにおいてのみ、それは可能となる」と述べて、これが「長期的で強靭な産業民主主義の営みが実践できる主体的土壌」であるとする。著者の結論は正鵠を射ている。そして重い。
「産業民主主義」の復権は可能か
著者の言う「主体的土壌」こそ、日本社会が失って久しいものである。「階級意識」の基盤である労働過程の自己決定権は「マニュアル労働」に解体され、職場の仲間意識、同じ境遇にあると感じる連帯感、働く者が社会を支えているという自負に基づく権利意識は、極端に希薄化した。クラウドワーク(在宅勤務)やギグワーク(スポットワーク)が労働者の「アトム化」をさらに拡大している。「主体的基盤」としての地域の共同体どころか、労働者は職場の内部でも地域でも分断され、孤立している。スマホの求人に応募して、プラットフォームのアルゴリズムの指示に従って働くギグワーカーは、その象徴的な存在である。
労働組合の組織率は低下し、労働運動は社会の中で陥没している。労働組合は、ストライキを忘れて久しい。春闘は「形骸化」どころか、「官製春闘」となった。政府や財界が「物価上昇を上回る賃上げを」と騒いでいる。資本と政府は勝ち誇って、「賃金を上げるのは組合ではない。政府と経営だ。組合は必要ない」と言っているのである。組合の要求水準があまりにも経営を「忖度」し過ぎたものになり、「要求を上回る賃上げ」や「要求が出される前の賃上げの発表」などが目立つ。
しかも、そもそも大半の労働者にとって、「春闘」は別世界の出来事である。「中小企業での賃上げが重要」とマスコミも繰り返し報じているが、従業員100人未満の中小企業の組合組織率は、わずか0・8%である。
著者の言う「主体的土壌」の形成を含む「産業民主主義」の復権は可能だろうか。欧米では、その伝統が復活しつつあるように見える。もちろん日本でも、少数とはいえ闘い続ける労働組合や、新たに闘いを組織し始めたアマゾンやウーバーの労働組合、「非正規春闘」を展開する労働組合の人々の粘り強い闘いが継続している。
「産業民主主義」の伝統は、労働運動のレジェンドとして、本書にしっかりと銘記された。しかし、私たちが直面する現実と、この伝統はあまりにもかけ離れている。長すぎた後退と敗北の半世紀を経て、私たちはほとんどゼロから始めるしかない。おそらく、「労働組合を作ろう」「仲間を作ろう」という地域での実践の中からしか、新たな長い道のりは始まらないのだろう。困難な道のりであるが、その目指すところだけは、本書が明確にしてくれた。
(6月5日)
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