読書案内「エコロジスト宣言」(第4章 医療・健康・社会)を読んで

アンドレ・ゴルツ著 緑風出版1983年 2200円+税

投稿 西島志朗

「文明病」と「医療のハイテク化」

 「資本主義文明は、一方で破壊するものを人々に消費させ、他方で破壊を修復するものを人々に消費させる。最近20年間の加速度的成長はこの点に主要なバネを見出してきた」とゴルツは言う。「最も広まっている流行病は、すべて文明による変性疾患である。ガン、心臓・血管の病気、リュウマチなどなど、医学が予防することも治癒させることもできないものである。これらの病気は、ますます大規模となる治療技術の使用にも関わらず、住民の中のますます増大する割合の人々を襲っている。すべての兆候からして、これらの病気はわれわれの生活様式と生活環境に結びついていると考えられる。われわれの文明と異なる諸文明はこの種の病気を知らないのだ」(P218―219)。
 「・・・とりわけ心臓・血管の病気、高血圧、高コレステロール血症などは、原始的と言われる民族では、個人の年齢の如何を問わず、極めて稀であることが立証されている。これらの病気は、ただわれわれの文明においてのみ、老年性の病気なのである」(P248)。
 同じことを、「脱成長」という言葉の提唱者でもあるセルジュ・ラトゥーシュは、「癌は、我々の社会が作り出した病気であり、それは大部分において我々の環境汚染によって誘因されてきたことがわかった。・・・癌の原因の80~90%は環境破壊によるものである。最近20年間において癌患者は35%増加した」(「脱成長」P37脚注より)と記している。
 農薬、食品添加物、大気汚染、核実験や原子力発電によってまき散らされた放射能・・・。戦後、急激に増加した様々な疾病の主たる原因は、環境汚染である。資本は、環境(人体を含む)を破壊するものを消費させ、その修復のためと称して「医療」を消費させる。資本の生産力主義が気候危機を招き、それを解決する手段と称して、原発を推進し、電気自動車を普及させ、「気候工学」で巨大で新たな「需要」を作り出す・・・。「文明病」の増加と「医療」のハイテク化は、「気候危機」に対する資本の対応と全く同じ構図だ。
それでも人々は、テクノロジーの力が、いつの日か難病を克服すると期待している。「テクノロジー信仰」、それは資本のイデオロギーである。「かつて彼らは奇跡(呪文や祈祷)を信じていた。今日彼らは科学を信じている」(P260)。

「医療」の限界、その社会的機能

 「うつ病」が増えている。厚生労働省の「労働安全衛生調査(2021年)」によれば、2020年11月1日から2021年10月31日の1年間に、メンタルヘルス不調により連続1カ月以上休業した労働者がいた事業所の割合は8・8%。メンタルヘルス不調により退職した労働者がいた事業所は4・1%。どちらも増加している。労働者に対する「個人調査」の結果によると、現在の仕事や職業生活で、「強いストレスとなっていると感じる事柄がある」とした人は53・3%。ストレスの内容(主なもの3つ以内)をみると、「仕事の量」が43・2%、「仕事の失敗、責任の発生等」が33・7%、「仕事の質」が33・6%、「対人関係(セクハラ、パワハラを含む)」が25・7%となっている。
 「労働の劣化」こそが「うつ病」増加の原因である。長時間労働、マニュアル労働、ハラスメントなどが「強いストレス」となっている。「うつ病」は労働過程で痛めつけられた体と心の「異議申し立て」なのである。
 しかし、病院に行っても、医者は(当然にも)原因を取り除くことに関与することはない。症状を緩和することしかできないのである。ゴルツの指摘は問題の核心をついている。「医者の所へ病気を持って行くように仕向けることによって、社会は、人々が自分の具合の悪さの根本的・永続的な理由と真正面から対決しないようにさせてしまう。病気を偶発的・個人的な異常と取り扱うことによって、医療は、本当は社会的であり、経済的でもあり、政治的でもある、病気の構造的理由を覆い隠してしまう。医療は、受け入れがたいものを受け入れさせるための技術になっている」(P219)。「医療」は、本来は「受け入れがたい」労働環境を受け入れさせるために機能している。
 「諸個人は、単に技術的治療によって治癒可能な、外的かつ偶発的な病気を病んでいるだけではない。彼らはまた、極めてしばしば、社会と自ら送っている生活とにも病んでいるのである。病気の社会的起源を問題にせずに病気を治療できると称する医療は、曖昧きわまる社会的機能しか持ち得まい」(P244)。
 「うつ病」だけではない。ガンなどの治療が困難な難病の増加について、まるでそれが「自然現象」であるかのように所与のものとして、社会的・エコロジー的本質を覆い隠し、罹患を「偶発的・個人的な問題」に切り縮め、その「治療」のために、重粒子線治療や遺伝子治療などの高度なテクノロジーの開発競争が展開され、それは資本に莫大な利益をもたらしている。「医療」は、支払い能力がある人々に提供される「特権」となり、人類の福祉に奉仕する代わりに、経済成長に奉仕している。

テクノロジーの「検閲」

 コロナパンデミックの際、「イベルメクチン」の有効性が議論になった。2021年1月22日の朝日新聞は次のように報じている。大村智北里大特別栄誉教授によると「欧米など26カ国で治験が始まり、ペルーでは承認され投与が始まった。重症化を防いだり、致死率が下がったりする効果が報告されている。大村さんは『重い副作用の報告はない。安くて発展途上国でも広く使える』と話す」。大村智教授は、抗寄生虫薬「イベルメクチン」の開発者。2015年にノーベル賞を受賞している。「イベルメクチン」は、熱帯地方で流行する河川盲目症の特効薬で、多くの人を失明から救っている(アフリカ・中南米を中心に年間約 3億人が服用)。日本では、ダニの寄生による皮膚感染症(疥癬)の治療薬として、介護施設などで広く利用されている。
 実際には、「DNAワクチン」や「mRNAワクチン」などの遺伝子技術を使った高価なワクチンや治療薬が開発された。安価で重い副作用がなく、すでに普及している「イベルメクチン」がなぜ採用されなかったのか。理由は簡単明瞭だ。高度なテクノロジーによって作り出される「稀少性」こそ、資本の利潤の源泉なのである。誰にでもたやすく手に入る、すでに普及した薬は、資本に期待する利潤率を約束しない。つまり経済成長に貢献しない。「科学的知識が支配階級の利害やイデオロギーと合致しない時、常に無視され、いわば検閲によって削除されてしまう・・・しかもこの選別は、科学的知識自体を、工業化した資本主義社会の支配的イデオロギーと両立する存在、そして現在の社会関係の中に統合しうる存在とするようなやり方で行われている」(P270―271)。
 医療技術に限らず、テクノロジーの発展は「中立的な」ものではない。「没階級的」な発展はありえない。テクノロジーの発展の方向性そのものが歪められ、核技術やゲノム編集やロボットやAIの開発が進む。人類の福祉のためではなく、資本の利益のために。「技術の資本主義的な利用」が問題なのではない。それらの技術はすでに捻じ曲げられているのである。

軽視される「一次医療」

 コロナパンデミックに対するもっとも有効な防疫は、結局、「マスク・うがい・手洗い」であり、「三密の回避」だった。同様に、様々な疾病は「公衆衛生」の改善によって克服されてきた。
 「工業化はその初期において、結核の激しい急増を伴った。結核は50年から75年後に(すなわち1800―1825年頃)その頂点に達し、ついで、治療法とは独立に、規則的な下降線をたどり、くる病(イギリスでは)とか、ペラグラ(アメリカ合衆国では)といった栄養失調の症候群に取って代わられた」(P226)。ゴルツは、特効薬の抗生物質が処方される前に、結核はすでに減少していたことや、ジフテリアやはしかなどの予防接種が始まる前に、それらはすでに減少し始めており、予防接種を実施したことで減少速度が速くなったという証拠はないということをデータで示している。
「結局のところ病気は、環境や食習慣や居住条件や生活様式や衛生に由来する諸要因の関数として、現れたり消えたりするのだ。コレラや腸チフスの消滅、結核やマラリヤや産褥熱のほとんど完全な消滅は、療法の進歩にではなく、飲料水の処理、下水の普及、労働・居住・食事条件の改善、沼沢地の干拓、産婆や産科医による石鹸と殺菌済みのハサミや綿の使用などによるものであった。医者はこれら予防的習慣の発展に貢献したが、これらの習慣が完全な有効性を獲得したのは、衛生と無菌法が・・・医学的技術であることをやめて、万人の行動となった時においてである」(226―228)。
 疾病を減らすのは「公衆衛生」であり、「養生」である。しかし、保健所は統廃合が進められ、新業務が追加され、少ない人員で広い地域を担当し、住民密着の業務は困難になった。自治体は財政的裏づけもなく保健所業務の一部を肩代わりさせられ、市町村の保健センターも常勤職員が減っている。
 その一方で、「西洋医学の職業機構は、構造的にエリート主義的である。それは、稀な病気に特権を与え、ほんの少数者だけがあずかれる高い費用のかかる技術を特権化している。それはまた、病気の95%を占める普通の病気に対し確実な効き目を持つ、簡単で金のかからない治療法や衛生措置を無視している。それは、大掛かりな研究と英雄的な手術に法外な資金をつぎ込み、最もありふれた病気(かぜ・流行性感冒・リュウマチ・喘息など)に対しては・・・無力のままでいても心穏やかである」(P271)。
 最先端の「医療」を可能にする大学病院よりも、住民の「公衆衛生」を担う保健所や保健センターの方が、つまり「一次医療」の方がはるかに重要なのである。新たなパンデミックがいつ襲うのか、それはわからない。しかし、「一次医療」の分野への投資こそ、その被害を最小限に抑え込むことを可能にするはずだ。

 「脱成長」と「医療」

 「賃労働の一般化とともに、勤労者は、彼らの労働時間・労働強度・労働のリズム・労働条件の主人公であることをやめた。彼らはもはや、職人の親方や自作農のように、自分の欲求に従って、働く時間や休憩・休息・睡眠の時間を決めることができなくなった。自らの生活にリズムを与える可能性を奪われるとともに、彼らはまた、労働の文化と労働の〈衛生〉をも奪われてしまったのである」(P262)。そして「環境破壊」が、さらに現代的な疾病の原因を作り出す。「医療」は、疾病の社会的・エコロジー的な真の原因を隠蔽し、個人的・偶発的な問題として疾病に対処する。「医療」は、「一次医療」を蔑ろにしながら、高度なテクノロジーで利潤を追求する。
 「健康の奪還は、強制賃労働の廃止を前提とする」︵P263)。同時にエコロジーを前提とする。それは、「医療」の「脱成長」である。
 本書は、1970年代末に執筆された論文の集成であり、1983年に邦訳が出版された。40年も前である。しかし、その思想は生きている。今、「脱成長」をめぐる議論が様々展開されているが、その思想の深さで、アンドレ・ゴルツは際立っている。その深さを十分に伝えることができたとは言えないが、ぜひ手に取って読んでいただきたい一冊である。
8月28日

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