映画案内 『マミー』 

二村真弘監督作品・2024年・119分

怠慢捜査とメディアが作り出す虚像

えん罪を一掃する運動の発展を今こそ

 ドローンが青空をゆっくりと、穏やかな波が光る海面を進む。やがてカメラは海岸線を越えていく。私たち観客は、この長閑で穏やかな光景に拍子抜けする。これが、あの謎だらけの事件を取り上げた映画なのか、と。
 1966年、静岡県でみそ会社の専務一家4人が殺害された事件。今年9月26日、静岡地裁は死刑が確定した袴田巌さんに対し、再審で無罪を言い渡した。そして最高検は10月8日、控訴を断念すると発表した。事件発生と不当逮捕から58年を経たこの瞬間に、袴田さんの完全無罪が確定した。メディアはこの未解決事件について「袴田事件」と書くことを、ようやく止めた。

再審開始の流れに加速を

 この決定と軌を一にして、1986年に福井市で中学3年の女子生徒が殺された事件についても、名古屋高裁金沢支部は10月23日、再審開始を決定した。頑なに冤罪を認めなかった裁判所の判断には、時流がある。「殺人犯」の濡れ衣を着せられて人生を棒に振り、あるいは無念で獄死した冤罪被害者たち。当事者と支援者たちにはうれしい流れだが、余りにも遅すぎる。
 1998年7月。和歌山県和歌山市園部で、夏祭りに提供されたカレーに毒物のヒ素(亜ヒ酸)が混入。食べた67人が中毒症状を起こし、うち4人が死亡した。「和歌山毒物カレー事件」である。本作は、この事件で死刑が確定した林眞須美さんの無実を、間接的に訴える作品である。

写真週刊誌の全盛時代に

 私は東京都北区田端にある、行きつけのミニシアターで見た。実は以前からこの事件には関心があり、冤罪ではないかと疑っていた。本作鑑賞でその思いは、確固たる信念に変わった。
 なぜ私がこの事件を冤罪と疑っていたのか。答えは簡単である。「犯人」とされた眞須美死刑囚が、余りにも「犯人らしかった」からである。写真週刊誌が全盛を極めた1980~1990年代。世間を震撼させる大事件が発生し、容疑者が逮捕・連行されると、メディアは一斉に群がってカメラを向け、ハイエナのように食い物にした。新聞やテレビはいつも警察発表を鵜呑みにしてそれを垂れ流した。容疑者の冷酷さや凶悪さをこれでもかと演出、加熱して報道した。その怒涛のような、洪水のようなキャンペーンの渦中で、逮捕された被疑者はもとより、村八分にされた家族・親族の人権、誤認逮捕・冤罪を疑う余地は、微塵に吹き飛ばされた。

犯罪報道こそ疑って読む

眞須美さんの自宅の塀によじ登って撮影しようとする多くの「突撃カメラマン」に向けて彼女がホースで水を浴びせるシーンは、今でも目に焼きついている。この行為と映像が全国津々浦々まで届き、悪役イメージとして人々の思考に刷り込まれた。それはまさにあの松本清張の名作「疑惑」の主人公・鬼塚球磨子そのものではないか。桃井かおりの迫真の演技で立ち回る球磨子は、そのふてぶてしさ故にメディアから犯人視されるが、弁護士によって最後には冤罪が晴らされる。
 こうした映画作品や、ジャーナリストである浅野健一氏の著作「犯罪報道の犯罪」、「過激派報道の犯罪」等に触れていれば、大きな被害を出した刑事事件、公安事件、解決が長引く難事件ほど、市民は警察の捜査と発表を疑って見るべきであり、その視点が重要になると理解することができる。こうした理由で私は「眞須美さん犯人説」に首を傾げつつも、彼女を支援する運動の存在を知らなかった。本作では支援者らも登場している。

保険金詐欺を淡々と語る

 物語全編を通じて進行役となるのは、林家の次男・浩次氏(仮名)である。かたや眞須美さんの夫・健治氏は実名で登場する。死刑囚として拘留されている彼女のセリフは、代替の声優が演じている。
 最期まで落ち着いた、冷静なシーンが続く。特に健治氏は、自分が愛した妻が極刑に処される身でありながら、声高に無実を叫ぶでもない。それどころか、事件前に自分たち夫婦が関わった保険金詐欺の数々を、あるいはギャンブルにのめり込んだ過去を、悪びれもせず、淡々と語るのだ。億単位の金銭を詐取しながら、家を焼かれ、今は一人施設で暮らしている。苦労人の彼が、何の不自由もなく育った眞須美さんと結婚したいきさつを、嬉しそうに吐露する。コツコツとまじめに働いてきた人々とはまるで別の世界の、二人の波乱の生涯と言えるかもしれない。事件を検証したドキュメンタリーのリアルさこそが、装飾を施さない編集こそが、見る者の胸に真実を突きつける。

目撃者は本当に見たのか

 本作は、「前提」として私たちの記憶にある事実関係の真偽を、改めて問いかけている。
 カレー鍋を見守っていたのは眞須美さん一人ではなく、次女と二人だったこと。その姿は「目撃者」の家の窓から、ほとんど見えなかったこと。そして「見えた」という窓が後になって「1階」から「2階」へと変更されたこと。林家にあったヒ素とカレー鍋のヒ素が同一のものとは言えないこと。二人の専門家によるヒ素の鑑定では、その異同について真っ向から対立していること。当時この地域には、害虫駆除にヒ素を使っている家が多かったこと。
 牧歌的なオープニングから後半に進むに従って、事件の核心部分に近づき、息詰まる展開を迎える。二村監督みずから現場周辺を聞き込みで歩き回るが、どの家も取材を拒否、重く口を閉ざす。彼は関係者の車にGPSを仕掛けて警察の取調べを受けたという。ラストシーンの直前。眞須美さんに惚れてよく林家を訪れ、健治氏と一緒に行動していた仮名・イズミ氏は、次男と健治氏の突然の訪問にたじろぐ。このイズミ氏の親戚には、警察関係者が多いという。

冤罪を訴える駅頭情宣で

 猛毒のヒ素を自分から舐め、瀕死の状態に陥ってまで保険金を得ようとする。自分で自分の膝を叩き潰し、交通事故に見せかけようとする。当時の保険会社の、保険金支払いに対する審査の甘さも際立つ非常識なエピソードではある。だが、こうした健治氏の告白の信ぴょう性が、カレー事件の真実に平行移動して違和感がない。駅前で情宣をする少数の支援者と、眞須美さんを犯人と信じて疑わない通行人のやり取りも象徴的だ。
 冤罪とは、警察―検察―裁判所が結果的に一体となった恐ろしい権力犯罪である。無実の人間に「犯罪者」の汚名を着せて人生を台無しにし、闇から闇へ葬ろうとする国家による犯罪である。捜査機関の「正義」を信じ、メディアに毒され、嘘と虚構のストーリーを受け入れているすべての人々に見てほしい秀作である。  (佐藤隆)

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