書評:「生命に部分はない」
アンドリュー・キンブレル (福岡伸一訳 講談社現代新書 2017)
西島志朗
人体は商品になった
読み進めるほどに、嘔吐をもよおすような嫌悪感を禁じえない。こんなことが許されていいはずがないと、誰もが感じるはずだ。しかし、書かれていることは紛れもない事実であり、日々ますます増殖している忌まわしい現実である。本書の「改訂版はじめに」で、著者は、本書で詳細に生々しく報告される現実を要約している。
「私たちは人間の臓器や組織、遺伝子に手を加え、それを他の動物に移植することで、人間とそれ以外の動物との境界を曖昧なものにしている。生命を操作し、特許化し、クローン化することで、生命と機械との境界を消しつつある。胎児や新たな定義に基づく『脳死者』から幹細胞のような人間組織をより効率的に収穫しようと急ぐあまり、従来の生と死の概念を混乱に陥れている。体外受精、卵子や精子の提供、代理母契約による不妊治療を追求した結果、誰が母親で誰が父親かを定める明確なラインは、もはや存在しなくなっている。胎児の遺伝的な『異常』を診断することで、優生学的な判断を振りかざし、生きるに値する生命の条件を決めつけている。動物やヒトの遺伝子、細胞、胚などの生命の一部を特許化し、共有財産であるはずの生命を企業の所有する商品に変えている。人体部品の市場を開拓し、出産をめぐる契約を認めることで、生物学的な奴隷制度生み出し、経済的に選択権を奪われた人々を、かけがえのないものを売らせる行為へと走らせている。かつては『神聖なもの』とされた人間の体そのものが、生物産業時代の原材料へと急速に変化しつつある。人間は今や商品になってしまったのである」(P23)。
1993年に、本書に「まえがき」を寄せたジェレミー・リフキンは、本書をこう評する。「賃金を得るために自分の時間を売るにいたった私たちの歴史は、100年前にかのカール・マルクスによって丹念に調べあげられたわけだが、著者の分析は多くの点でこの調査を完成したものであるといえる。とうとう自分自身を売り出し始めた経緯を語ることによって、現代人がその精神性を失ってゆく最後の段階に読者を誘うのである」(P13-14)。
人間の身体は「物」か?
近代人権思想に哲学的根拠を与えたエマニエル・カントは、存在するものを「人間」とそれ以外の「物」に分けた。カントは、「人間を手段として扱ってはならない」という道徳律を立てた。奴隷は「物」ではなく「人間」だから、解放されねばならない。反対に、「物」は専ら手段として扱われる。それは売買できる。
生産手段から疎外されたことで、近代労働者階級は、「労働力」を売らなければ生きていけなくなった。奴隷のように「人間」そのものが売買されるわけではない。しかし、「労働力」を売る労働者は、その買い手である資本に従属し、「労働力」は、全く「物」として扱われることになる。マルクスはこれを「物象化」と呼んだ。奴隷は「解放」された。しかし、「人間」の最も貴重な能力であり、生命の発露ともいえる労働は、「労働力」として「物」(商品)となった。
バイオ企業は、人間の身体の一部を人間部品市場で売買している。売っているのは貧困層であり、最終消費者としてそれを買っているのは富裕層である。労働者階級の最下層の一部の貧困層は、労働力を売るだけでは生きてゆけず、あるいは労働力を売ることさえできなくなり、自己の身体の一部を売ることを余儀なくされている。
デカルトは、人間の意識(精神や知性、感情や魂などと呼ばれるもの)を、神から特別に与えられた、人間だけが持つものであり、それ以外のもの、つまり自然全般、すべての生命(動物や植物)、そして人間の「身体」さえ、機械時計と同様の複雑な機械だと考えた。現代風に言えば「それらはそれぞれの『遺伝子コード』に従って、発生し、成長し、運動し、自己を複製する機械である」ということになるだろうか。
自然と人間、物質と意識、身体と精神の二元論と後者の優越、絶対性というデカルトの思想は、資本による自然の略奪と征服を正当化することに寄与した。そして、本書が詳細に報告する「人間部品産業」の実態は、資本による自然の略奪が、ついに人間の身体そのものを「物」として、その「部品」ごとに売買するところまで行きついたことを告発している。
「無償供与の原則」
著者が正しく指摘する通り「労働の商品化こそが、今日の人間部品産業の前触れである・・・人生を時間単位の労働賃金と引き換えに切り売りすることは、生命そのものを取引することや代理母契約で子宮を貸し出すことと紙一重である。自分の時間という、人間の最も貴重な所有物を切り売りする事をよしとする思考と同じ思考パターンが、今度は人間の最も貴重な人体そのもの、血、臓器、精子、卵子の切売りもよしとするのである。さらに、もし、機械や便利な装置の発明が特許化できるなら、どうして生きた『発明品』を特許化できないことがあろうか、となる」(P521)。「労働力」を「物」として扱うことで成立した資本主義は、人間の身体そのものを「物」として扱うバイオ産業によって、その歴史の極北に到達した。
倫理か、宗教か、それとも・・・
著者は、「私たちの思考が、これまで長らく支配し続けてきた機械論や市場主義と戦う上で、人間のからだは最後の砦とでもいうべき場所である」として、「無償供与の原則」を確立すべきだと強調し、以下の施策を提案する。
■輸血用の献血を引き続き無償で行う体制を堅持すること。製薬目的、研究目的の商業的血液売買を停止すること。
■アメリカおよび各国における移植用臓器の売買禁止を強力に支持し、売買禁止の原則を研究用臓器にも適用すること。
■胎児組織売買の禁止を強力に支持し、これが遵守されるよう監視を怠らないこと。
■精子、卵子、胚の売買禁止を実行に移すこと。代理母契約制度を全世界規模で停止し、契約斡旋業者に対し厳罰で臨むこと。
■遺伝子操作された動物、人間の細胞、遺伝子、胚、臓器など、からだの一部を含むすべての生命形態の特許化禁止を全世界規模で進めること。(P559)
著者は、「無償供与の原則」は、「人間とその共同体の尊厳を再確認するもの」であるという。「・・・からだの一部を無償供与するあり方は、私たちが一緒に生活している市民どうしであり、たとえ匿名であっても互いの必要性に配慮して、病気の人や不自由な人のために何かができるという意識を確認する行為である」。著者の提案は、バイオ産業のあくなき利潤追求とそのエスカレートを阻止するために、最低限必要な人間の尊厳にかかわる対抗政策であり、説得力がある。
しかし、「遺伝子操作」についての著者の立場は、端的に言えば、「優生学的使用の禁止」と「モラトリアム」である。「もし人間部品産業の未来図ではなく、共感に基づく未来像を実現したいと考えるなら、生命を取り扱う上で次に示すような施策を実行する必要がある」(P549)として、著者はいくつかの施策を提案する。以下はその一部抜粋。
■死の定義を脳の高次機能の停止にまで拡張しないこと。
■臓器移植研究目的のため、人為的に中絶した胎児を用いることの禁止。
■胎児の遺伝子診断・・・は生命の危険がある病気の検出のみに限定して使用されること。
■「優秀な」精子、卵子の優生学的使用の禁止。
■労働者をモニターする目的の遺伝子診断の禁止。
■遺伝子治療は生命の危険がある病気の治療に限ること。
■動物のクローン化、生殖細胞操作、及びヒト遺伝子の動物への導入に関してモラトリアムを設けること。
■当面の間、生殖細胞に対する遺伝子治療禁止すること。どの遺伝子が良く、どの遺伝子が悪いのか、私たちに判断する資格はない。
■ヒトのクローン化の全面禁止。(P550~551)
無論、このような提案は断固支持できる。しかし、「当面の間」禁止することや「モラトリアムを設ける」ことが、どうして必要なのだろうか。むしろ、下記のような記述は、「遺伝子操作」を、不要で、永久に封印すべきテクノロジーであると示唆しているように読める。
「人間部品産業を支える技術に対しても、機械論と、精神と肉体の二元論を超えていくことによって別の見方ができるようになる。からだについての共感から出発すれば臓器移植、生殖技術、遺伝子診断、遺伝子操作などを賛美一辺倒で偶像視することができなくなり、これらの技術が行われることの限界が見えてくる。例えば肝臓移植を必要とする患者の大多数は、アルコールによる肝障害が原因となっている。肝臓病を患う何万人もの患者のうち、肝臓移植が救えるのは、どんなに頑張ってもせいぜい毎年数百人である。・・・同様のことは、心臓病についても言える。・・・不妊治療技術はコストもかかる上、それほど成功率も高いとは言えず、生殖技術産業が今後将来にわたってより多くの人たちに役立つとは考えにくい。・・・からだへの共感に基づく予防的なアプローチでも、不妊の原因に対応できる」(P546~547)。
「・・・からだは神がもたらしたにせよ、何億年の進化がもたらしたにせよ、賜り物であると見るべきである。そしてこの賜り物は交換したり、売買できるものではなく、またすべきものでもないと考えるべきである。」(P530)。
著者は、「過去数十年、新しい医学の進歩と遺伝子操作技術は生命を救ってきた。これからもそうであろう。人類の新しい治療法として役立つのは間違いない。しかし、これらの新技術とその背景にある市場原理を適切な方法で規制しない限り、人間の価値を破壊し、商業的な搾取が展開されるのも間違いない」(P527)という。
「新しい医学と遺伝子操作技術」は、人命を救うために現に一定の貢献をしているのかもしれない。けれども、著者自身が認めている通り、「肝臓病の本当の解決法は肝臓移植ではない。むしろその予防にある」「多くの心臓病の原因となっている仕事の習慣、生活形態、食事習慣を変更し、からだに適した日課を身につけていくべき」「栄養失調による乳幼児の死亡率、薬物乱用、教育の不足といった問題・・・このような新生児を救命することの方が、新奇な生殖技術の開発よりもずっと社会的要請の優先順位は高いはず」(P546~547)なのである。遺伝子操作技術など使わなくても救うことができた幾万、幾千万の生命を救う代わりに、莫大な利潤をもたらす方向へ「新しい医学」と「遺伝子工学」が「発展」してきたのであり、「発展」の方向性そのものが、最初から歪んでいるのである。それでも、しばらくの間「モラトリアム」を続けたあかつきに、「市場原理」と「商業的搾取」が廃止された新しい社会で、遺伝子操作技術は、新たな発展を目指す必要があるのだろうか。
明らかに、最優先されるべきは、労働環境、上下水道、清潔なトイレ、快適な住居など、万人の健康のための環境と保健衛生の普及、一次医療であり、安全な食の確保である。多くの「現代病」や「難病」の原因が、過酷な労働と生活習慣や、農薬と添加物による食品汚染、放射性物質や化学物質による環境汚染などであることは論をまたない。そして、45億年の生物の進化が生み出した現在の地球に生息する生命の「遺伝子」に、人間が「手を加える」ことの是非について、オープンで民主的な議論が行われる必要があるだろう。その議論の中で、「人間は自然を征服し支配し改変する」と考える近代思想は、完全に葬り去られるだろう。(11月20日)

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