読書案内『帝国で読み解く近現代史』
岡本隆司・君塚直孝著/中公新書ラクレ/1155円(税込み)
近現代における「帝国」の意味
多極化する世界をどう考えるか
トランプの再登場で、西側世界の分裂、米国の覇権の終わりと多極化、米ロ・米中の対立あるいは協調、日本やアジアへの影響をめぐって、さまざまな視点からの議論が賑やかになっている。
筆者は西側世界の分裂、米国の覇権の終わりという点に注目しているのだが、メディアにおける議論には「西側世界の分裂はロシアや中国の脅威の増大につながるから、日本が頑張ってトランプの暴走を抑制するべきだ」、あるいは「トランプの政策は現実的ではなく、いずれ失敗する」という思い込み、あるいは惰性的思考に支配されたものが多いと感じている。
そんな問題意識から、『帝国で読み解く近現代史』というタイトルと「国民国家=善、帝国=悪ではない?」という帯のキャッチコピーが気になってパラパラとめくってみると、対談形式でなかなか読みやすい。中学校や高校で習った歴史の復習も兼ねて、読んでも損はないと思った。著者(対談者)の二人はいずれも一九六〇年代半ばに生まれ、歴史の研究を始めたのは米ソ冷戦の終わりからソ連の崩壊・米国単独覇権の始まりの時代だろう。イデオロギーに束縛されず、むしろイデオロギー的立場に起因する思い込みを取り除きながら、イギリスと大陸ヨーロッパ、アメリカ、ロシアとオリエント・東洋のそれぞれにおける帝国の衰退と民族国家形成の歴史をダイナミックにとらえようとしている。二〇二四年一二月刊でトランプ再登場の中での米中・米ロ関係を考える上で非常にタイムリーだが、中国・アジアの歴史を専門とする岡本氏と、英国・ヨーロッパを専門とする君塚氏の長年にわたる学際的な対話の結晶であり、話題性を狙った浅薄な出版ではない。
新書サイズにも関わらず充実した内容なので、まず目次を紹介しておく。
序章 「帝国」とは何か
第1章 ヨーロッパと中華世界、東西の帝国の邂逅
第2章 押し寄せる列強と東アジア
第3章 ナショナリズムの高まりと帝国の変容
第4章 解体される帝国、生き残る帝国
第5章 アメリカとソ連――新しい二つの帝国の時代
終章 最後にもう一度帝国とは何かを考える
近代国家と植民地支配-必然ではなく、避けられた災禍
序章では、スティーヴン・ハウの『帝国』(岩波新書)を援用して、「帝国とは、広大で、複合的で、複数のエスニック集団、もしくは複数の民衆を内包する政治単位であって、征服によってつくられるのが通例であり、支配する中央と、従属し、ときとして地理的にひどく離れた周縁とに分かれる」と定義している。その上で、「一方で、『帝国主義』というときの帝国は、軍事的、政治的、経済的に他国や他地域を支配下に収めるために、対外進出に積極的な国のことで、一九世紀の末のフランスのように、皇帝はおらず、共和制を採用している国でも帝国主義的であることはあり得る」として定義に幅があることを指摘する。
1-3章は古代から近代ヨーロッパにおける国民国家の形成までの帝国の変遷を、ヨーロッパとオリエント・インド・中華の比較や地政学的な相互作用という視点も取り入れながら記述しているおり、斬新な展開である。
帝国の歴史は古代に遡る。オリエント、インド、中華、古代ローマのそれぞれにおいて帝国が繫栄していたが、ローマ帝国の衰退以降のヨーロッパは数百年にわたって経済的にも文化的にも停滞していた。一八世紀のイギリスでの産業革命以降、ヨーロッパでさまざまな革命と国民国家の形成が続き、遅れてアジアでも近代化の動きが始まる。
遅れてアジアでも近代化の動きが始まった、ということはヨーロッパが進んでいて、アジアが遅れていたということではない。アジアではむしろ帝国が長期にわたって安定していて、経済的にも文化的にも先進地域だった。そのため近代化の内発的要因がヨーロッパほど切迫したものではなく、ヨーロッパ列強による略奪や軍事的圧力に対して受動的に対応する形で反乱や改革が試みられた。そしていずれの試みもヨーロッパ列強による帝国の解体を加速する結果となった。日本は唯一の例外だが、その日本もヨーロッパ列強をモデルにして朝鮮・中国を侵略・支配することになる。
本書ではこの近代化のプロセスを「進歩史観」や「進んだヨーロッパと遅れたオリエント・アジア」という偏見(これはマルクスにおいても無縁ではない)という思い込みを排して俯瞰し、列強による植民地化と支配は必然ではなく、避けられた災禍だったこと、強欲で暴力的な方法ではなく、各地域の内発的な発展と結びつけた互恵的な関係を築いていく可能性もあったことを示唆している。
歴史的視野から平和的共存の道を探る
4-5章は、一九世紀後半にヨーロッパで一連の国民国家が形成され、英国を中心としたヨーロッパ列強が世界の大部分を分割・支配するようになって以降の世界の覇権と帝国の変遷である。
二つの世界大戦を経て、ドイツ、オーストリア・ハンガリー、トルコなどの帝国は解体され、共和制の国民国家に再編された。旧植民地も多くが独立し民主主義の制度が導入された。しかし国民国家の多くは複数の民族で構成されており、国家形成の過程で民族が分断されたり、少数民族が抑圧されるという構造が残存している。そもそも民族ごとの国民国家というものは一九世紀ヨーロッパに特有の条件の組み合わせの中で形成された例外的なケースであり、特に経済のグローバル化が進んだ現代においてはそのような国家体制自体が植民地主義支配を内在化し(移民やマイノリティーの排除)、国境をめぐる係争の解決を困難にして、建前としてきた民主主義の発展の桎梏になっている。
本書では帝国と国民国家の変遷を現代の脈絡で検証し、特に共産党独裁下の中国をどう見るのか、どのようにつきあっていくのかという視点につなげている。
清朝の末期から辛亥革命に至る時期の皇帝、軍閥、辛亥革命の指導者たちの選択の背景事情として、岡本は次のように指摘する。「中国がとてつもなく広大で、たくさんの人口を抱えていることを考えれば・・・[中央集権的な体制よりも、十世紀初めの唐の滅亡後の五代十国時代のように]権力が分立している方が自然です。各地域単位で経済基盤が確立しており、かつ地方の有力者が一定の軍事力を備えていれば分立が可能になります。・・・実際には中国の歴史を見ると分立と統一が繰り返されています。・・・[モンゴル帝国の大元ウルス時代のように]強大な軍事力を持った帝国が現れ、諸権力を内包しているときには、それがひとつにまとまっているように見える。しかし帝国が弱体化ないし解体すれば、本来の自然な姿である分立に戻る」。
中華民国の建国から北伐・抗日・国共内戦を経て成立した中華人民共和国は、広大な国土と多数の民族を束ねる上で、共産党独裁の下での単一国家・中央集権制を選択した。これは国際関係の中で国家の一体性を保持する上での選択だったと考えられるが、成功しているとは言えない。しかし、民主主義や自治を外から強制することは非現実的であり、西洋的価値観を押し付け、むやみに対立を煽ることは内発的な民主化のプロセスを阻害する。
本書ではロシアとの関係についても、ロシアの拡張主義の背景にある歴史的事情を理解する必要があることを指摘している。
歴史的視野から平和的共存の道を探るという観点からの議論には共感するところや教えられることも多い。
(小林秀史)
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