非常戒厳宣布以降の政局の性格と労働者階級の課題について(3)

ヤン・ジュンソク

3.尹錫悦12月3日親衛隊クーデターが失敗した理由

1) 不十分な準備と自己正当性の欠如

 尹錫悦の12月3日親衛隊クーデターはなぜ失敗したのか。一次的な理由は、戒厳令宣布直後、数千人の労働者・民衆と国会議員が戒厳令解除のために国会に駆けつけた速さに比べて、軍と警察が国会を封鎖するために駆けつけた速さが遅かったことにある。
 しかし、仮に動員された軍と警察が無慈悲な暴力を犯してでも国会を麻痺させようとしたのであれば、不可能な状況ではなかった。実際、尹錫悦は特戦司令官に電話をかけ、「ドアを壊して中にいる人員を引きずり出すように」と指示し、首都防衛司令官には「4人が入って1人ずつ引きずり出すように」と指示した。さらに警察庁長には、6回も国会議員の逮捕を指示した。しかし、軍・警察の指揮官たちは、国会を封鎖せよという尹錫悦の命令を基本的に実行しながらも、流血沙汰を引き起こすほどの命令は履行しなかった。流血沙汰とそれに伴う事後責任を負うほどには、意識的な準備がされていなかったからだ。
 軍・警察の指揮官たちが流血沙汰を甘受できなかったもう一つの重要な理由は、流血沙汰が発生した場合、最前線の兵士と警察が集団で抗議する可能性を排除できなかったからだろう。これと関連し、12月3日非常戒厳令を総括企画した国防部長官金竜顕は、9月2日の国会人事聴聞会で戒厳令準備の疑惑を提起する民主党議員に「今の大韓民国の状況で本当に戒厳令をするとしたら、国民がそれを容認するだろうか。韓国軍も従うだろうか。私は従わないと思う」と答えたことがある。彼の回答は戒厳令準備の事実を隠すための嘘だったが、戒厳令に対する軍の不服従の可能性を言及することで、彼らの計画に深刻な逆効果をもたらした。
 これらの事実は、尹錫悦の12月3日親衛隊クーデターが、その核心的主動者の間でも自己正当性を確信できないほど脆弱であったことを示している。1年以上親衛隊クーデターを議論して準備したが、尹錫悦個人の危機打開や不正選挙の陰謀論を超えたもっともらしい大義名分を作り出すことができなかったのだ。
 極右勢力の成長が大統領という最高権力者と政権与党の国会議員数十人を掌握するまでに至り、これが軍事ファシズムの歴史と残滓のために早期のファシズム復活の試みにつながった。しかし、親衛隊クーデターを主導した者たちの能力不足と衝動的な性格のために、あまりにも準備が雑に行われ、失敗してしまったのだ。

2) 光州民衆抗争が残した歴史的な力

 ところで、もし尹錫悦の12月3日親衛隊クーデターが何らかの形で一旦成功していたら、どんなことが起こったのだろうか?一つのことははっきり言える。1980年5月に光州で起きたのと似たような労働者・民衆の抗争が、今度はソウルをはじめ全国各地で起きたということだ。
 その抗争が成功したかどうかはわからない。しかし、たとえその抗争が再び軍靴の暴力に押しつぶされたとしても、1980年5月の光州の革命的敗北が1980年代韓国を革命の時代にしたように、虐殺された人々の赤い血を胸に、軍事ファシズムの圧制に立ち向かう新たな革命の時代が開かれたはずだ。1980年5月の光州民衆抗争の敗北が1987年6月の民衆抗争と7~9月の労働者大闘争で復活し、前進したその過程が今回も繰り返されたのだろう。
 しかし、その過程で、労働者・民衆の闘争は1980年代よりはるかに爆発的で大掛かりになった可能性が高い。1980年、光州で無名の労働者たちが民衆抗争を先頭に立って担ったが、そこにはいかなる組織的な武器も存在しなかった。1987年に向かう過程でも、労働者階級は組織的な武器を持たず、したがって独立的な役割を果たせなかった。しかし、今は韓国資本主義の最も中枢的な領域を中心に110万人の労働者が民主労総として組織化されている。たとえ深刻な官僚的後退に苦しんでいるとしても、民主労組運動の潜在力はまだ生きている。親衛隊クーデターに立ち向かう抗争の過程で、そしてたとえ敗北したとしても、それを乗り越えて立ち上がる過程で、今、民主労総に組織された労働者の力は大きな役割を果たしたはずだ。
 したがって、尹錫悦の12月3日親衛隊クーデターがたとえ成功したとしても、軍事ファシズムは決して長くは続かなかっただろう。1980年代をはるかに上回る巨大な革命の波が韓国を席巻しただろうし、労働者階級は1980年代よりもはるかに前進しただろう。
 しかし、この点、つまり、たとえ成功したとしても長くは続かない可能性があることを、国会を封鎖するために動員された軍と警察の指揮官たちも本能的に感じていたはずだ。限定的な民主化にとどまったとはいえ、1980年の光州民衆抗争が歴史の中で見せた劇的な復活と勝利を知らない、または無視できる韓国人はいないからだ。
 その点こそ、軍・警察の指揮官を躊躇させた真の恐怖だったのだろう。そのような恐怖がなければ、稚拙な大義名分を持っていたとしても、もっと簡単に流血沙汰を起こしたかもしれない。しかし、親衛隊クーデターが成功しても長続きしない可能性があるなら、流血沙汰まで受け入れ得るさらに明確な大義名分が必要だったのだ。

3) 局地戦の火遊びの失敗

 12月3日親衛隊クーデターの首謀者たちは、クーデターの名分を作ろうと努力した。それは、朝鮮を刺激して局地戦を誘導することだった。
 10月11日、朝鮮は韓国が10月3日、9日、10日の3回にわたり、平壌上空に無人機を侵入させ、対朝鮮ビラを散布したと発表した。12月3日親衛隊クーデターが失敗した後、この無人機侵入事件は、局地戦を誘導して非常戒厳令の名分を確保しようとする尹錫悦政権の意図された挑発であった。11月18日、国防部長官は朝鮮の汚物風船の原点打撃を指示したが、統合参謀部の反対に阻止されたとも言われている。12月3日親衛隊クーデターを実務企画した盧相元の手帳からは「NLL朝鮮攻撃誘導」というメモが発見された。
 局地戦を誘導しようとした尹錫悦政権の試みはなぜ失敗したのだろうか。10月31日の朝鮮の大陸間弾道ミサイル「火星―19」発射がその理由を示している。ロシアとの軍事的緊密化、中―ロ―朝同盟によって自信を深めた朝鮮は、焦らずに局地戦に巻き込まれるのではなく、むしろ大胆に「戦争を望むなら全面戦争をしよう」と(尹錫悦政権ではなく)米国にメッセージを送った。
 実際、現在の国際情勢の中で朝鮮半島に戦争が起こるとすれば、それは局地戦に限定されない可能性が非常に高い。ここ数年、米国と中国を頂点として帝国主義覇権対決が非常に激化しており、その一環としてウクライナと中東で戦争が続いている。朝鮮半島は台湾とともに第三次世界大戦が起きる可能性が最も高い地域だ。
 朝鮮半島は台湾と同様に米国と中国の利害が直接関係しているが、台湾とは異なり、米・日・韓と中・露・朝の国際的な対立構図がすでに緊密に機能している。そして数十年にわたってそれぞれの国々は、膨大な量の強力な武器を背景にして互いに対立してきた。したがって、もし朝鮮半島で戦争が起これば、それは自ずと米国・日本と中国・ロシアがすべて参加する大量破壊の国際戦、さらには第三次世界大戦に発展する危険性が非常に高い。
 尹錫悦政権の局地戦誘導の試みは、朝鮮半島での戦争がもたらす危険性のために失敗しただろう。米国としても、政権交代期において、朝鮮半島における戦争に巻き込まれることは避けたかった。
 尹錫悦政権の局地戦誘導の試みは、一方では国際情勢に対する関係者らの認識がいかに低劣であるかを示しているが、同時にそれは、私たちがいかに危険な世界に生きているのかを改めて実感させてくれる。ファシズムだけでなく、戦争は私たちの身近に存在している。
 12月27日
(「社会主義に向けた前進」より)
【次号へつづく】

朝鮮半島通信

▲新年の祝賀公演に参加するために朝鮮を訪問していた朝鮮学校の生徒らが1月11日、羽田空港に到着した。
▲朝鮮は1月14日、日本海に向けて短距離弾道ミサイルを発射した。
▲韓国の捜査当局は1月15日、内乱の疑いで尹錫悦大統領を拘束した。

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