石川一雄さん急逝を悼む
狭山事件と私
完全無罪を勝ち取るまで
3月11日夜、埼玉県狭山市の病院で石川一雄さんが亡くなった。86歳だった。
高齢で体力が落ちているとは聞いていた。昨年末に連れあいの早智子さんの故郷・徳島県で高熱を発し、救急搬送されたことも知っていた。直接の死因は誤嚥性肺炎だという。無念でならない。言葉が出ない。
不当判決と闘い続けて
1963年5月に埼玉県狭山市で起きた女子高校生殺人事件「狭山事件」の犯人にでっち上げられ、国家権力に青春を奪われた。1964年一審判決は死刑、翌64年の二審で「無期懲役」のペテン的な減刑判決を受けた。94年の仮出獄まで31年7か月を不当にも獄中に囚われ、再審を求めて闘ってきた。旅立った3月11日は奇しくも61年前、浦和地裁の裁判長内田武文が、検察の求刑通り死刑判決を言い渡した日だ。何という因果だろうか。
部落解放同盟をはじめ各地の共闘組織は、毎月23日を「23デー」として情宣を続けてきた。私も参加し石川さんの無実を訴えてきた。1963年5月23日早朝、警察が大挙して自宅に押しかけ、寝ていた石川さんを叩き起こし連行した。容疑は軽微な「窃盗」「暴行」の別件である。「23デー」とは、この急襲、逮捕の日に因んだ。
「身代金誘拐事件」として始まった捜査で警察はまたしても犯人を取り逃がし、世論のごうごうたる非難を浴びた。ひと月前に東京・台東区で起きた「村越吉展ちゃん誘拐殺人事件」に続く、捜査陣の大失態だった。当時の柏村信雄警察庁長官が辞任し、篠田弘作国家公安委員長が国会で追及された。警察の威信は地に落ち、回復できないほどに追いつめられていた。 篠田は「なんとしても生きた犯人を捕まえねば」と語り、被差別部落への警察の見込み捜査が始まったのだ。
狭山事件との出会いは
私が「狭山事件」を知ったのは、20歳の頃。活動家として社会正義に目覚めるきっかけにもなった。テレビドラマの警察は市民の味方であり、間違いなど犯すはずがない。悪い奴を捕まえ治安を守る、頼りになる存在のはずだった。そんな価値観が根底から覆されたのが、その後に知る恐ろしき「冤罪」の数々である。狭山事件は、冤罪の発端に「部落差別」があった。
事件そのものも複雑怪奇であり、真犯人の特定をめぐって、支援者や運動とは関係のないさまざまな文献が世に出され、推理が展開されている。こうした民間の本を読まずとも、脅迫状の筆跡、万年筆(インキ)、手拭いなど、主たる遺留品を見るだけで、石川さんが犯人でないことは誰の目にも明らかである。
警察が石川さん逮捕に動き出す頃、情報をつかんだ新聞記者が撮った一枚の写真がある。右手でスコップを抑え、左手を腰に当てて、はにかむように左側のカメラのレンズに目を向けている。記者に撮影を乞われ、まさか自分に容疑がかかっているとは知らずに、仕事中に民家の屋根から降りてきた。あまりに有名な写真である。
極貧ゆえに学校に通えず、読み書きができない。あちこちに奉公に出され、事件が起きた頃は一家を支える兄のとび職を手伝っていた。「純朴な若者の笑顔の陰に、凶悪な殺人者の本性が現れている」といったような、煽情的でパターン化した犯罪報道が幅を利かせる時代だった。冤罪の多くは、警察発表を無批判に垂れ流すメディアの前近代的な人権感覚が生み出すのだ。
私が事件に関心を持ち、あらゆる文献を読み漁りながらも、運動とは直接関わっていなかった頃。たった一人で狭山市へ出かけたことがある。街の風景が大きく変わり、当時の名残すら見つけることができずに徒労に終わった。何の当ても手がかりもなかったから当然だ。やがて運動にかかわり「現地調査」で再び訪れた。
集会会場で温かい握手
その日、地元の公民館の集会で、初めて一雄さん本人に会ったときの衝撃は忘れられない。これが石川さんか。小柄で華奢な身体。禿げ上がった頭。優しそうな表情。勝ち気でスポーツ万能の事件被害者とは、およそ対照的に見えた。再審開始と完全無罪を求める集会で、石川さんは閉会後に必ず参加者の一人一人と握手をしていた。温かい手だった。
地域で再審を求める小集会を重ねながらも、晩年はビデオ映像での対面ばかりとなった。それでも強い意志で、確固たるメッセージを寄せてくれていたご夫妻だった。パートナーの早智子さんは「今年こそ山場です」と何年間も繰り返し、支援者らに熱い檄を飛ばした。
その姿が、私たちを奮い立たせた。「袴田さんの次は狭山だ」。冤罪裁判への世論の潮目が変わり始め、情宣での反応も上々だった。そんな矢先の、主役の悲報である。生きて三者協議を終え、再審を開始し、完全無罪を勝ち取り、善良な夫婦として当たり前の穏やかな暮らしを取り戻すことは、ついに叶わなかった。
事件発生からの数年間。解放同盟と支援者らの怒涛のような大闘争に、当時少年だった私は参加できなかった。そんな「世代」の悔恨もある。遠い世界への無念の旅立ちも、これまで以上に私たち支援者を突き動かす。駅前で私はいっそう声を張りあげるだろう。仲間たちに「もう少しマイクのボリュームを下げて」と言われながらも。
(大仲恵)

再審無罪を訴える石川一雄さん(左 2024年5.23)
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