無謀な大浦湾埋立工事の中止を求める
2025年の年頭にあたり
沖縄報告 1月13日 沖縄 沖本裕司
「軟弱地盤改良工事」の着手
年末も押し迫った12月28日土曜日の午後、沖縄防衛局は大浦湾の埋立予定海域の大半を占める軟弱地盤の「改良」のための第一段階、海底に広範囲に砂をまく「敷砂」の作業に着手した。トレミー船からパワーショベルで船の中央部に装置された管を通じて海底に砂をまく作業は約2時間で終了。防衛省は「地盤改良工事の始まり」と大げさに宣伝し、「普天間飛行場の返還に向けた大きな前進」とアピールした。
防衛省の主張には二つの偽りがある。一つに、「敷砂」は、計7万1000本の砂杭を打設する地盤改良工事の準備作業というべきものに過ぎない。国内のみならず世界でも施工例がない水深90mにおよぶ軟弱地盤の改良工事の先行きは依然として不透明だ。B27地点の調査を決して行なおうとしないのは政府防衛局に工事完遂の確信があるためではない。端的に言えば、見切り発車だ。大量の砂はどこから調達するのか。毎年度々台風が襲来する沖縄でタイムテーブル通りに進むのか。当初予算の3500億円を突破し、改訂した9300億円に間もなく迫ろうという工事費が一体いくらにまで膨張するのか。埋め立て用土砂は、昨年までで予定量の16%に達したが、戦没者の遺骨が眠る南部からいつ土砂調達を行なうつもりなのか、等々。何も明らかにすることができない。
政府防衛局の予定表では、辺野古新基地建設の完成・引き渡しは12年後とされている。それまで米軍は普天間飛行場を使い続ける。辺野古の完成のめどが立たなくなれば米軍は普天間を返還しない。2時間程度の敷砂が「普天間返還へ向けた前進」などとは、大言壮語も甚だしい。普天間返還は、辺野古から切り離して、運用の停止・オスプレイの撤去を具体的に実行させなければ実現しない。
先が見通せない
埋立工事
大浦湾は生物多様性の宝庫だと、国内外の学者・研究者たちは口をそろえて述べる。船に乗って実際に辺野古・大浦湾を見た人々は例外なく、この素晴らしい海を埋め立てて基地を造るということに反対の意を表わす。沖縄県民の大半が反対し、国民の多数も疑問を抱いている辺野古基地建設を強行する政府防衛局は誰の利益を代弁しているのか。「軍事は国の専管事項」ではない。歴史を顧みても、軍事ほど国民生活に重大な影響を及ぼすものはない。軍事こそ国民主権の最大の対象にならなければならない。
翁長雄志知事は在任中、一貫して辺野古・大浦湾の埋立中止を訴え続けた。埋立承認取消に向かう中で出版された『戦う民意』(角川書店、2015年)から引用しよう。――
「日本政府は、当然ながら私たちよりも強大な権力を持っています。
強引に土や石を海に入れるところまではできるかもしれません。しかし、さまざまな問題で支障が出てきます。おそらく工事はどこかで中断するでしょう。結局、161ヘクタールすべてを埋め立てることができず、たとえば30ヘクタール埋め立てたところで中断すれば、工事の残骸が残ることになります。
日米政府にとって、最後まで基地建設の工事が続けられなかったという意味からすれば、そうした事態は完全な『敗北』でしょう。
ではそのとき、私たちは『勝った』のでしょうか。私たちが守ろうとした大浦湾の美しい海は汚れて、ジュゴンがいなくなれば、それを『勝利』とは決して言えないと思います。むしろ『敗北』なのではないでしょうか。
この工事は誰にとっても『勝ち』はないのです。
結局、いたずらに時間とお金を浪費していくことになります。国と地方の財政が破綻寸前の時、さらに無駄なお金が費やされることになります。日米両政府は基地の完成予定を10年以内と見積もっていますが、この工事は順調にいっても15年や20年はかかります。
10年以上工事期間があることを考えると、まさしく普天間基地は固定化されるといっていいでしょう。その間、世界情勢は変わります。現政権も続いていないでしょう。そうなれば、基地をめぐる環境も変わります。」
軟弱地盤に手を付ける前に、石破内閣と沖縄防衛局は、この翁長知事の警告に真摯に耳を傾けるべきだ。
沖縄防衛局が県知事の権限を奪って代執行で埋立変更申請を承認してから丁度一年の1月10日、海上行動チームは小雨が降る中、抗議船3隻とカヌー20艇を出し埋立工事の中止を訴えた。
無謀な埋立を中止する勇気を持とう!
維新の会の馬場元代表や国民民主党の玉木代表らは昨年、埋立工事が進む辺野古の現状から、「基地建設工事の中止はもはや現実的ではない」と辺野古基地建設を容認する態度を明らかにした。しかし、現場の大々的な工事の様子に惑わされてはならない。実際のところ埋立はまだ始まったばかりだ。ずるずると工事を続けて後々工事の中止に追い込まれるより、軟弱地盤の改良工事を前にした今、埋立工事の中止・新基地建設からの撤退を決断する方が賢明だ。
5年前沖縄を訪れた坂本龍一さんは、船上から辺野古・大浦湾の海を視察して、「自然は一度壊したら元に戻せない。工事自体もいくらかかりいつ終わるか見えない異常な事態になっている。引き返せるのに、回転し始めた歯車を止める勇気がこの国にはない」と述べた。誰もが疑問を持ち確信を持てない大規模事業が国策の名のもとにずるずると続けられていく。間違った国策を途中で止める決断を、回転し始めた歯車を止める勇気を持とう!
陸自は牛島満「辞世の句」再掲載を取り下げよ!
陸自第15旅団は年明け早々、ホームページをリニューアルし、県民の反発により一時掲載を控えていた「牛島司令官の辞世の句」を再び掲載した。陸自第15旅団のHPから「第15旅団の沿革」を検索すると、1969年「沖縄隊友会創設」に始まり、2024年「第7地対艦ミサイル連隊新編」に至るまでの主な事項が記されており、1972年「臨時第1混成群編成」をクリックすると、1972年5月15日、郡長の桑江一等陸佐の訓示の締めくくりに牛島司令官の辞世の句が掲載されている。
秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ
日本軍と県民に壊滅的被害を与えた牛島は1945年6月18日、「最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし」としてゲリラ戦の継続を指令すると共に、辞世の句を詠み摩文仁の丘で死んだ。すさまじい犠牲と被害をもたらした現場最高指揮官としての反省は少しもない。天皇の臣下としての軍人のプライドがあるのみだ。「皇国史観だ」「日本軍につながる」などという猛反発に直面したあと、今年1月に再掲載した句は、次のように手が加えられていた。
秋を待たで 枯れ行く島の 青草は 御国の春に よみがえらなむ
陸自の言うことは一貫性がない。牛島の辞世の句を掲載するのは「歴史的事実を示す資料」と弁明していたにもかかわらず、勝手に「歴史的事実を示す資料」に手を加えて恥じないのだ。陸自の本音は、米軍に対しよく戦闘した日本軍を評価し継承することにある。兵士の命の使い捨て、県民の犠牲は二の次だ。しかし、公に認める訳にはいかないので「歴史的事実を示す資料」を口実にしたに過ぎないという化けの皮がはがれたのである。

2025.1.8 本部塩川港。砕石ダンプの前で牛歩行動。

2024.12.18 宮城島の採石場。石材の搬出に抗議。

2025.1.8 本部塩川港。辺野古埋立に向かう土砂運搬船。

2025.1.8 琉球セメント安和桟橋。ガードマンによる不法行為。

糸満市摩文仁の魂魄の塔。身元不明の約35000体の遺骨が収容されていた。
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