5.17陸上自衛隊宮古駐屯地抗議行動
日米共同軍事訓練に反対する
【大阪】沖縄県宮古島市上野野原に位置する陸上自衛隊宮古駐屯地で、5月17~22日の日程で、陸上自衛隊と米軍第12海兵沿岸連隊との陸上総隊訓練と称する共同訓練(指揮所訓練)が行われ17日駐屯地正門前でその訓練に反対する行動が取り組まれた。
宮古駐屯地とは
2019年3月26日開設の宮古駐屯地は、ゴルフ場千代田カントリークラブの跡地に設置されたもので、警備隊(350人)の配備から始まり、その後規模が拡大し、現在は宮古警備隊・第7高射特科群・第7地対艦ミサイル連隊第2地対艦ミサイル中隊が配備され、全体で700人規模の自衛官が駐留している。
この度、駐屯地の周囲を巡りながら内部を観察したとき、駐屯地の内部に取り込まれた御嶽(ウタキ)の森の前に置かれている、「黒鷲の碑」と彫刻された石碑が目についた。この碑は、2023年4月に宮古島沖で発生した陸上自衛隊ヘリコプター墜落事故で殉職した隊員を追悼する碑で、殉職者には第8師団長など自衛隊高級幹部が含まれている。ドキュメンタリー映画で以前見たことがあったが、まさか御嶽全体が基地に取り込まれ、その前に黒鷲の碑が置かれているとは意識していなかったので、とてもショックを受けた。駐屯地が建設される前の段階で、御嶽があることが土地の買収上問題になっていると聞いていたが、買収されたとしても御瀧を避けた土地が売られると思っていた。しかし実はそうではなかった。誰のものでもない御嶽、琉球王国時代からの神聖で祈りの場であった御嶽がどうして自衛隊に売却されたのか。売買に絡む暗部の存在を感じずにはおられない。
自衛隊車両を止めた
17日は、朝8時から駐屯地正門前に米軍車両が入るのを止め、抗議するために30人が集まった。しかし、この時点では米軍についての情報はなかったので、道路から少し入ったところでミニ集会が開かれた。「ミサイル基地はいらない宮古島住民連絡会」共同代表の清水さんが経過を報告し、共同代表の中里さんが初めのあいさつをした。この日は平和行進が予定されていたので、そちらに参加する野党の市会議員さんたち(下地 茜さん・國仲 昌二さん)のあいさつが先にあり、続いて遺骨収集を今でも続けている具志堅髙松さん、沖縄県うるま市から来た照屋さん、石垣市からきた上原さんらが発言をした。その中で、「指揮所演習で上陸する米軍のことを考えると、沖縄戦のことを思い、絶対許せない」、「以前は、沖縄に基地負担をしてもらっていて、すまないといわれてきた。ところが、だんだんいうことが変わって来て、今では負担すべきだと言われるようになっている」、「演習はこの島々を戦場に日米が敵国と戦争するためのものだから、絶対認められない」、「有事の時は避難せよと言われているが、我々住民はずっとここに住んできた。むしろ自衛隊が出て行くべきだ」などの発言があった。
ミニ集会後正門前に移動するとき、抗議行動時の諸注意として、地元の者が前面に出て、後ろに他府県からの者が云々という説明を受けた。正門前に移動し、まず駐屯地の自衛隊に対して、「宮古島を戦場に見立てた日米共同訓練に反対する決議文(内閣総理大臣、防衛大臣、陸自幕僚長、第3海兵遠征軍司令官、宮古島市長宛)」を読み上げて手交した。
その後はなかなか米軍の情報は入ってこなかったので、その間、地元の人々や関東や関西からの参加者が発言した。そして、11時過ぎに北東の方向に見える空自野原分屯地のヘリパットの上空に大型ヘリコプターの機影が見え、爆音が響いてきた。30分後に自衛隊のバスが現れるとの予想が伝えられ、その場の雰囲気が一気に緊張した。しかしバスはなかなか現れず、12時前になって、自衛隊のジープと大型トラックがようやく姿を見せた。打ち合わせ通り、住民連絡会の人が前面に出て自衛隊車両を止めたが、米軍車両は姿を見せなかった。30分ぐらい経って、警察のパトカーが2台現れ、自衛隊車両を止めている人々を排除し、自衛隊車両は駐屯地に入った。米軍車両は、駐屯地の正門と丁度反対側にある裏ゲートから入ったということであった。17日は、12時半頃抗議行動を終えた。
翌日18日は午前中正門前で抗議行動を行ったが、駐屯地の正面近くの建物の屋根の上にいる3人ほどの米兵を目撃した。 (T・T)

「日米共同軍事訓練中止」を申し入れる(5.17宮古駐屯地)

自衛隊車輛を止めて「戦争反対」をアピール(5.17)
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