4.6もうやめよう! 「植樹祭」埼玉集会
【東京】4月6日(日)、ふじみ野市立産業文化センター(東武東上線ふじみ野駅)で「もうやめよう!『植樹祭』埼玉集会」(主催:もうやめよう!『植樹祭』埼玉実行委員会)がおこなわれ、30人が参加した。お話は千葉茂さん(秩父事件の足跡を追う会)が「“天朝様に敵対するから加勢しろ”のこだまが聞こえる」というテーマで提起した(別掲)。
天皇行事の植樹祭
チラシの文章を紹介する。
「今年5月25日(日)、国土緑化機構(公益社団法人)と埼玉県の共催で秩父ミューズパークにおいて第75回全国植樹祭が行われます。全国植樹祭は、国民スポーツ大会(元「国体」)、全国豊かな海づくり大会、国民文化祭と併せて4大天皇行事として、天皇・皇后が各地を訪問し、天皇制を賛美し、天皇・皇后のもとに国民を統合するための装置です。天皇・皇后が3本ずつ『お手まき』― 種をまき、それを手本に招待客が植樹をおこなう儀式が中心です。天皇が『お言葉』を発し、天皇の参加を歓迎・感謝し、天皇に国土(皇土)の緑化を誓う儀式です。
全国植樹祭は、敗戦後の1950年第一回が開催されましたが、その前身は、1934年の愛林日記念植樹です。4月4日の『神武天皇祭』におこなわれ、戦争遂行のための資材確保や国土、国民意識の醸成、国家総動員体制づくりに役割を果たしました。
戦後の『植樹祭』も同様に戦後の荒廃した国土の緑化の一大国民運動として展開されてきました。だから、全国植樹祭は天皇ぬきにはあり得ないのです。今回の『植樹祭』のテーマは、『人・森・川 つなげ未来へ 彩の国』ですが、欺瞞以外の何ものでもありません。『植樹祭』は、これまで植樹会場や式典会場建設による環境破壊や子どもや労働者の動員、天皇出席による厳戒警備体制、莫大な税金を使うことなど多くの問題が指摘され、各地で反対運動が闘われてきました。
埼玉での闘いは、2004年の国体に反対して、『もうやめよう!国体埼玉の会』を中心に闘ってきました。埼玉県だけではないのですが、林業は、後継者不足と高齢化、収入の減少、自然災害への対応など深刻な問題に直面しています。『植樹祭』はそれらの問題解決になんら役に立たないばかりか、平等や人権、民主主義と対立する行事です。
今回『植樹祭』が行われる秩父は、『明治』天皇制国家が富国強兵政策の中で、外貨獲得のための国策産業の一つとした生糸 ― 養蚕の産地です。生糸価格の大暴落や重税、高利貸しの取り立てなどに対して闘ったのが秩父困民党の蜂起です。この地で今、天皇行事が行われようとしています。秩父困民党の闘いに学び、もうやめよう!『植樹祭』埼玉の声をあげていきましょう」。
膨大な税金を投入
埼玉県庁に電話して聞いたら、植樹祭には10億1600万円(予算)がかかり、そのお金は埼玉県(埼玉県民)が負担する、参加者は5000人(招待者3500人、運営側のスタッフ1500人)、出演者・一般参加者・表彰者全部あわせて小中高生約450人が参加する(そのうち約29人の小中高生は一般公募の招待者である)そうだ。開催を決定したのは大野元裕(おおの・もとひろ)埼玉県知事(担当は農林部)であるそうだ。
主催者のレジュメによれば、植樹祭の総合司会は掘尾正明、ナビゲーターは林家たい平・朝日奈央、国歌独唱は富田千種(とみた・ちぐさ)が担当するという。
また植樹祭の警備費と動員される警察官の数についても電話で聞いたら「埼玉県警に聞いてほしい」といわれ、埼玉県警(植樹債の担当課)にといあわせたら「それはおしえられません」といわれた。市民に情報をおしえない。かくしている。非民主的だ。
主催者は、「環境汚染の元凶を問うことなく天皇制のもとに緑化運動を推進していこうとしている。どうじに天皇制を浸透させていく。そういうものとして全国植樹祭がおこなわれます」「植樹祭では、学生たちが大量に動員されている。天皇行事につきものの自衛隊は、調べたかぎりでは、表立ったところにでてくるということはないようだが、もしかしたらちがうところに動員されているのかもしれない」と語っていた。
死刑も処刑も反対
民衆運動の側がみずからをきびしく律するのは必要かもしれない。だが、処刑(斬)には私は疑問を感じる。私は、死刑にも処刑にも反対だ。
千葉さんが紹介していた映画「草の乱」(秩父事件120周年記念作品、神山征二郎監督作品、緒形直人〈井上伝蔵〉・林隆三〈田代栄助〉・杉本哲太〈加藤織平(かとう・おりへい)〉ら出演)のDVDを観た。蜂起が全国的なものとならなかったこと・首都を制圧できなかったことなどが民衆側の敗因の1つではないか。そう思った。
(SМ/2025年4月22日)
千葉茂さん(秩父事件の足跡を追う会)のお話(レジュメ)から
「“天朝様に敵対するから加勢しろ”のこだまが聞こえる」
(秩父困民党が)耕地をオルグして回る時に「恐れながら天朝様に敵対するから加勢しろ」(といった)。天朝様は天皇ではなく、自分たちにとっては遠い存在である時の為政者(であった)。天皇が実際に表面に登場するのは1880年代になってから(だ)。
秩父困民党の目標は
一、高利貸しのため身代を傾け生計に苦しむもの多し、よって債主に迫り10か年据え置き40か年賦に延期を乞うこと
一、学校費を省く3か年間休校を県庁へ迫ること
一、雑収税の減少を内務省に迫ること
一、村費の減少を村吏に迫ること(だった)
困民党軍律五か条は
第一条、私に金円を掠奪する者は斬
第二条、女色を侵す者は斬
第三条、酒宴をなしたる者は斬
第四条、私の怨念を以て放火その他の乱暴をなしたる者は斬
第五条、指揮者の命令に違反し、私に事をなしたる者は斬(というものだった)
質疑応答
質疑応答のやりとりの一部を紹介する。
質問者A:朴孟洙(パク・メンス)さんとおっしゃる(東学農民革命の研究をしておられる)歴史学者が北大にいらした。北大の古河講堂に東学農民革命軍の指導者の遺骨を軍隊・日本国家がパクってきていた。アイヌ民族がそれを見つけて問題にしている中で、私たちと知り合った。その方が韓国に帰られる前に1回東京にお呼びした時、高校3年生の娘さんがいっしょにきていた。帰る前だからどこへでもつれていきますよというふうにいったら、なんと3カ所おあげになって、安田講堂と人民広場(皇居前広場)ともう1つが秩父だったんですね。びっくりした。
千葉さん:ぼくの問題意識っていうのは、秩父困民党の闘いと東学党の乱っていうのはものすごくかさなってみてるんですよ。
質問者B:秩父困民党と東学の反乱を同列視するのはいかがなものか。4日と1年の違いがある。東アジアにおけるすごく偉大な闘争として東学農民反乱をとらえるのはいいとおもうんですけど、それを秩父困民党と同格みたいなかたちでいうのはちょっと違うんじゃないか。
千葉さん:全くイコールだとは考えていない。権力と対峙して人民権力がつくられたという点でいったのです。おおきなちがいというのは、自由民権運動をやった連中は朝鮮侵略を前提にしていた。東学党なんかそれに対して対抗した勢力であり、そこのところは最初からおおきく違う。
質問者C:ちがうけど共通する面をもっていたんじゃないかというそういう意味ですか。
千葉さん:自治元年とはいわないけども、じぶんたちの自治を確立した、当時の権力とはちがう権力構造を瞬間的に意識してつくった。そこのところは評価すべきじゃないかと思う。
私の印象
「お話」の中で私は、①国民党軍律五か条②「(高利貸しの焼きうちで)隣の家には延焼を防ぐため水で濡らした筵(むしろ)をかける(などした)」 ③「秩父困民党は『国賊』のレッテルを貼られたが、それをはがしてきたのは民衆・民衆運動」(だ)④「『国賊』のレッテルを消した地域を今度は『皇国』に塗りかえさせてはならない」の部分が印象に残った。

提起する千葉茂さん(左)
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