8.20横山晋さんを偲ぶ会
三里塚と山谷をつなぐ活動
誠実でユーモアに満ちていた
【東京】8月20日午後6時半から、荒川区町屋文化センターで、5月5日に山谷の共同炊事の際に急逝した横山晋さんを偲ぶ会が山谷運動関係、練馬反基地運動関係、三里塚田んぼクラブの関係者などの呼びかけで開かれた。「かけはし」紙上で葬儀の様子や山谷での別の団体による偲ぶ会のことはすでに報告したが、違う友人たちが横山さんを偲ぶ会を開催した。
会場には1980年代三里塚全国集会後のデモの先頭に立っている姿、三里塚田んぼクラブでトラクターを運転する姿、沖縄基地撤去の百万人署名、山谷での炊き出しのメニューなどの生前の横山さんを伝える写真が掲示された。
形式ばらずに参加者が横山さんの思い出を語るという形で会が進められた。
横山さんを紹介する印象に残ったエピソード。
「まじめで、仲間たちのために動く。夏祭りのために横堀で竹を取り、越冬のために野菜を三里塚で集めた。三里塚と山谷を繋いでいた」。
「自分の話はほとんどしなかったが、親切な人だった」。「山谷では写真を撮ってはダメだったが特別に認められていた」。
練馬の反基地闘争の仲間の話。「練馬自衛隊駐屯地への抗議・申し入れ書は横山さんが毎年担当していた。私が右翼によって襲撃され、骨折した時横山さんは証拠写真をちゃんと撮ってくれていた」。
第一化成で亡くなった宮城さんと横山さんについても何人かの人が触れていた。
横山さんが「寡黙な人」であったと語る人が多かったが、いろんな問題を投げかけると、自分の考えは「こうなんだ」と必ず、語ってもいたという。親しい仲間とは電話で1時間も話していたとも。
山谷での活動について。「いつ行っても必ずいる。横山さんがいると良心と出会えたとホッとした。活動、運動を体現していた。現場を生き、先頭にずっといた」。
「2000年代、山谷で生活保護の共同申請をした。横山さんはユーモアのある人で仲間のことをよく見ていた。丁寧に説明してくれ、安心できた。現場・仲間を大切にする人だった」。
ウクライナ支援活動をしている仲間から。「ロシアのウクライナ侵略に抗議して、今年の2月23日新宿でスタンディングをした。活動家の重要な価値観に『人間性、公正さ』がある。正直で誠実であるということだ。アンフェアーのマヌーバー政治が流行っているが、横山さんは対極にあった。敬意を表したい」。
語りつくせないほど、多くの人から様々な角度からの「横山さん像」が明らかになった。「どこにこだわって、何ができるのか。仲間といっしょに何ができるか」と問いかける発言もあった。横山さんの意思を引継ぎ、次の世代につなげる活動の糧にしたいと思う。(M)
横山晋(すすむ)さん活動史(当日配られた詳細なものから抜き書きした)
〇1962年 東京・練馬区生まれ。
〇78年(中学3年)成田空港管制塔占拠闘争をニュースで見て衝撃を受ける。
〇79年(高校2年)三里塚全国集会に参加。共青同(共産青年同盟)に加入。
〇80年12月池袋で金大中救援ハンストに参加。
〇82年 福寿産業に転職~労組活動から青年部長に。
〇83年8月 成田空港パイプライン供用開始粉砕闘争のデモ指揮で逮捕(13日拘留)。
〇85年 佐藤満夫さん人民葬(サンパール荒川)に参加。山谷との関わりのきっかけで、その年末あたりから人民パトロールや越年闘争に関わり、86年1月の山岡さん虐殺以降は、恒常的に現地支援に関わるようになり、山労連(山谷闘争に連帯する労働者の会)に参加。中心メンバーの一人として対金町戦、越年・越冬闘争、夏祭りなど担う。3月の山岡さん人民葬後のデモで逮捕された山労連メンバーの救援活動と解雇撤回闘争も。福寿労組は山労連の呼びかけ組合の一つ、横山さんが山労連担当だった。
〇90年5月、板橋区の第一化成という化学工場で爆発事故、8人死亡、18人重傷(死亡者に共青同メンバーも)。横山さんは最初に駆けつけた一人だった。板橋地域労組は補償交渉の中心に。また同時期に結成されたFLU(全国一般外国人労組)とも連携。
〇87年 熱田誠氏の田んぼを中心に市民運動中心の「三里塚わくわくツアー」がスタートし、横山さんが事務局メンバーに。山谷の日曜共同炊事(2006年)に参加するまでは、日曜は三里塚がメインで活動(山谷への野菜カンパも担当する)。
〇95~96年 会館占拠に大衆的反撃。多数の負傷者を出す中で、横山さんは先頭で闘う。新宿西口地下「動く歩道」決戦。東京都の代執行、ガードマン・機動隊投入にバリケードと座り込みの闘いに参加。95年~新宿の野宿者メーデーに参加。以降、越年闘争および通念的共同炊事拠点を山谷センター前へ。97年から、玉姫夏祭り。山労連、共闘委、有志の会で、山谷争議団支援共闘会議。会館活動とともに学習会、フィールドワーク、隅田川パトなどを呼びかける。この頃から、山谷の撮影班としても活動。毎年1月の日雇全協呼びかけの山谷集会(玉姫公園)デモでは、撮影班および毎回デモ解散時の誘導など。
〇2000年 石原都知事暴言で強行されたビッグレスキュー反対闘争。汐入地区の訓練会場への玉姫公園からの抗議デモ。山谷で呼びかける。以降、例年の東京都総合防災訓練反対闘争に参加。(以下は略したが、ホームページでは掲載する)
都総合防災訓練反対実行委」メンバーとして、毎年の行動、監視、屋内集会など担う。撮影班も毎回。北部実メンバーとして、毎年の練馬自衛隊へのデモ、申し入れ読み上げも担当しった。
〇2001年3~4月 上野・隅田川春祭り。この年から毎週土曜の墨田川パト定例化。山労連から会館活動委メンバーへ。隅田川・上野の取り組みに力を注ぐ。
〇2003年~ 「持たざる者」の国際連帯行動に参加、海外の活動家(特にフランス)の来日、山谷訪問・交流では尽力した。
〇2009年頃~ 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式(荒川河川敷)に参加。以降毎年。
〇2006年 山谷の活動の軸を毎週日曜の共同炊事を担う。現場の大字報や、横山さん担当のビラでは、しばしば『日刊ゲンダイ』の記事がコピーされ、「『日刊ゲンダイ』といえば横山さん」とおなじみに。大字報もビラも大衆的で分かりやすかった。やがてその日の献立のイラストも描く(実物参照)。
〇2011年 3.11以降の反原発集会・デモには、山谷から仲間を引率して参加。福島へのツアーにも。(バスのなかで上映する映画DVDをいつも持参してきた)
〇2024年2月 ロシアのウクライナ侵略抗議スタンディングに参加。「侵略に抵抗するウクライナに連帯しないのはおかしいよ」と何度も口にしていた。
〇2024年5月5日 共同炊事後、スーパーの「島田屋」で倒れる。
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