非常戒厳宣布以降の政局の性格と労働者階級の課題について(1)

ヤン・ジュンソク

1.尹錫悦の12月3日親衛隊クーデターの性格

 尹錫悦大統領は12月3日夜22時23分、突然談話を述べ始めた。その後、22時28分、「反国家勢力撲滅」を掲げて非常戒厳令を宣言した。そして23時23分、戒厳司令官が布告令第1号を発表した。しかし、4日午前1時1分、国会が非常戒厳解除要求案を可決した。4時27分、尹錫悦が非常戒厳解除を宣言した。非常戒厳宣言から5時間59分後だった。

1) ブルジョア民主主義に対する圧殺

 尹錫悦は非常戒厳令を宣言した12月3日談話と極右勢力の蜂起を促した12月12日談話をつうじて、反国家勢力の核心として民主党を名指しした。また、不正選挙の真相究明を戒厳令宣布の主な理由として明らかにした。3日夜、情報司令部には北派工作部隊(HID)を含む38人の要員たちが、翌日出勤する選挙管理委員会職員30人を逮捕し、B1バンカーに移送するために待機していた。防諜司令官が国情院第1次長と警察庁長官に提示した逮捕対象者名簿には、不正選挙陰謀論者たちに不正選挙の主犯として指名された人物が含まれていた。尹錫悦は、選挙管理委員会の職員と逮捕された人物に圧力をかけながら不正選挙の証拠を操作した後、4月の総選挙を無効化し、国会を解散して民主党を絶滅させようとしたようだ。李在明をはじめとする民主党系の人々 が逮捕対象名簿で最も大きな割合を占めていることも、民主党が一次的な攻撃対象であったことを示している。
 しかし、逮捕対象名簿に韓東勲まで含まれたのは、与野党を問わず、すべての政敵を排除する意図があったことを示している。韓東勲は「国会に行けば逮捕され、命が危険にさらされる可能性がある」という電話を戒厳令宣布直後にある人物から受けたことを明らかにした。逮捕対象名簿に国会議長と副議長が含まれていること、元・現職の最高裁判事と李在明無罪判決を下した裁判官が含まれていることは、立法府を完全に無力化し、司法部も脅迫しようとした意図を露骨に示している。
 戒厳令宣布直後に発表された布告令第1号は、△国会・地方議会・政党の活動禁止△結社・集会・デモなど一切の政治活動禁止△マスコミと出版に対する戒厳司の統制△ストライキ・休業・集会禁止△令状なしの逮捕・勾留・押収など広範囲の基本権剥奪を通じて、ブルジョア民主主義さえ圧殺するという内容を含んでいた。また、△自由民主主義体制を否定し、転覆を目指す一切の行為の禁止△フェイクニュース・世論操作・虚偽扇動の禁止△布告令違反者の処罰など、すべての批判と抵抗を反国家勢力の国家転覆行為として規定し、乱暴に弾圧するという意志を含んでいた。

2) 労働者・民衆の基本権に対する圧殺

 しかし、尹錫悦の親衛隊によるクーデターが成功した場合、結果として最も大きな被害を受けるのは労働者・民衆だった。逮捕対象名簿には民主労総委員長の名前も含まれていた。布告令は特に、ストライキ・集会・言論・政治活動の自由を圧殺することで、労働者・民衆の権利を全面的に剥奪しようとした。もし尹錫悦の親衛隊によるクーデターが成功していたら、一言で言えば、ストライキや民主的な労組の活動が不可能な世界が実現されただろう。民主労総も存在しえず、左派政治組織・進歩政党・労働団体・市民団体などもすべて存在できなくなっただろう。そうなれば、当然、資本家たちは1987年の労働者大闘争以降、労働者階級が獲得してきたすべての成果を剥奪しようとするだろう。

3) 尹錫悦の12月3日非常戒厳令は軍事ファシズム復活の試み

 12月3日昼、金竜顕国防部長官は昼食を食べながら「戦車で国会を押しつぶす」という趣旨の発言をした。ソウルに最も近い戦車部隊を指揮する第2装甲旅団長は、3日夜、選挙管理委員会攻撃のために要員が待機していた情報司令部で別途待機していた。もし尹錫悦の親衛隊によるクーデターが続行されていたら、戦車がソウル市内の真ん中を駆け抜けたという話だ。
 尹錫悦の12月3日親衛隊クーデターは、朴正煕の1961年5月16日クーデター、1972年10月17日クーデター、全斗煥の1979年12月12日クーデターや1980年5月17日クーデターを再現しようとする試みだった。もし尹錫悦の親衛隊によるクーデターが成功すれば、1961~1987年の軍事ファシズムが全面的に復活しただろう。
 1961~1987年に韓国を支配した軍事政権は、(ファシズムをどのように規定するかによって議論の余地はあるが)ブルジョア民主主義を圧殺しただけでなく、自主的な組合結成権やストライキ権など労働者階級のすべての権利を奪ったという点で、本質的にファシズムの一形態、すなわち軍事ファシズムだった。(1920~1930年代にイタリアやドイツで登場した古典的なファシズムと1961~1987年に韓国に存在した軍事ファシズムとの間の一つの重要な違いを覚えておく必要がある。イタリアやドイツでの古典的なファシズムは、労働者階級の力量が革命に近づいた状況でこれを制圧するための手段として登場した。しかし、韓国での軍事ファシズムは、労働者階級の力量が非常に微弱な状況にもかかわらず、労働者階級に対する抑圧と搾取を最大化するための手段として登場した)。
 尹錫悦の12月3日非常戒厳令は、1972年、朴正煕が維新体制を樹立して行った10月17日非常戒厳令や、1980年、全斗煥新軍部が「ソウルの春」や光州民衆抗争を踏みにじり、軍事ファシズム体制を再確立する過程で行った5月17日非常戒厳令拡大措置と非常に似ている。
 結論として、尹錫悦の12月3日非常戒厳令は、労働者・民衆が血を流して獲得したすべての権利を一挙に剥奪し、軍事ファシズムを全面的に復活させようと画策した親衛隊によるクーデターであった。また、1987年の限定的な民主化に基づく現憲法体制さえも、反人民的陰謀と武力を通じて一挙に転覆させようとした、人民に対する「内乱」だった。

2.尹錫悦12月3日親衛隊クーデターが発生した理由

1) 尹錫悦の政治的危機

 尹錫悦が2022年3月の大統領選挙において0・73%の僅差で勝利し、同年5月に大統領に就任した時、民主党など野党は国会の63%(189議席)を支配していた。ところが、就任2年後に行われた2024年4月の総選挙でも野党が圧勝し、国会の64%(192議席)を支配した。
 尹錫悦が4月の総選挙で大敗した理由は、何よりも彼の反動的な政策のためだった。尹錫悦は貨物連帯と建設労組などに対して激しい弾圧を行った。また、世論の強力な反発によって阻止されたものの、週69時間労働制の導入を試みた。「もう構造的な性差別はない」と言いながら、女性家族部の廃止などジェンダー平等に反する政策を継続的に推進した。日本の福島汚染水放流に同調し、「日本企業の強制徴用賠償」に関する最高裁判決を無力化し、韓米日同盟強化と戦争演習の拡大によって戦争の危機を高めた。公平と常識を前面に出しながら、自身と夫人の疑惑に対する捜査を徹底的に拒否した。
 4月の総選挙での大敗の結果、尹錫悦の大統領就任後、12月3日までの2年7ヶ月間、韓国政治史上前例のない与野党対立の状況が続いた。その間、尹錫悦は25回の拒否権を行使し、民主党が主導した各種法律や特検法などを無力化させた。尹錫悦の手先となった検察は、李在明に対して376回の押収捜査など全方位的な捜査を行い、5件の刑事裁判に付託した一方、尹錫悦と金建希の疑惑については徹底的に捜査を回避した。尹錫悦の拒否権行使対象には、本人と金建希の疑惑を捜査するための特検法が含まれていた。一方、民主党は22件の弾劾訴追をつうじて政府関係者の職務を停止させた。民主党の弾劾訴追対象には、李在明捜査を担当した検察官などが含まれていた。その過程は、ブルジョア政治勢力が自らの権力を掌握するために互いの不正を暴露し、司法制度を動員するという、ブルジョア政治秩序の中において無数に繰り返されてきた暗闘の一つだった。  12月27日
(「社会主義に向けた前進」より)
【次号へつづく】

朝鮮半島通信

▲韓国の尹錫悦大統領は12月3日、非常戒厳の宣布を発表した。
▲尹錫悦大統領に対する弾劾訴追案の2回目の採決が12月14日、国会であり、可決された。
▲金正恩総書記は12月20日、平安南道成川郡地方工業工場の竣工式に出席した。
▲平安北道12月21日、被災者向け住宅の竣工式が行われ、金正恩総書記が演説を行った。
▲韓国の務安空港で12月29日、乗客乗員181人が乗った旅客機が胴体着陸して炎上する事故が発生した。

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