県内市町村の中国での戦争体験記を読む(89)

日本軍による戦争の赤裸々な描写

 中国侵略の日本軍には、県内各地からも多くの青年たちが動員されて命を落とし、また、戦争の実態を目撃した。県内各地の市町村史の戦争体験記録にはそうした証言が数多く掲載されている。今号で紹介する那覇市の当真さんは、ソ連軍により満州で武装解除され捕虜となってシベリアで収容所生活を送った。シベリアにおける強制労働と捕虜生活の過酷な実態について詳しく書いている。当真さんは1948(昭和23)年の帰国後、沖縄タイムスに復職し、1979(昭和54)年、抑留体験をまとめた『生と死の谷間―シベリア捕虜の記録』(出版・大永)を出版した。引用は原文通り、省略は……で示した。

16『那覇市史』資料篇 第3巻8「市民の戦時・戦後体験記」(1981年)

当真荘平
「シベリア捕虜収容所」

(「かけはし」6月26日号よりつづく)

 二か月も過ぎると山は新緑におおわれ、雪はすっかり溶けていた。この辺りは北緯40〔50?〕度の地点で、12月から2月は氷点下40度の最低気温に下がるが、5月から6月後半までは摂氏20度くらいの暖かさで沖縄の夏の温度を感じた。畑仕事のできる期間、農作物の成長成熟する期間は短く、種子まきは5月、6月の二か月間で、9月中には収穫しなければならなかった。
 密林には山菜が多かった。ワラビ、山ほうれん草、ニラ、タラ芽、あざみ、山ゴボウ、げじげじ、かんそう、山ぶどう、しいたけ、クルミの実、山さくらんぼ、ベニマツの種子、農作物ではカルトーシカ(じゃがいも)、かぼちゃ、キャベツ、キュウリ、大豆、ひまわりの種子など。農作物の収穫はトラクターやコンバインなどの農業機械を使って行なっていたので、どうしても落ちこぼれがあった。私たちは伐採帰りにそれを拾い集めて持ち帰った。
 動物では、ねずみ、まむし、山猫、蛙、松虫の幼虫、おたまじゃくし、小魚、エビ、蛙の卵など、蛋白源だといって、開拓団員だったという田中氏は、蛙の卵をポロっと飲み下してから、「あっ、苦い」と言ってパッと吐き出していた。まむしはタポールで首を切断し、皮をはぎ、焚火で焼いて食べた。うなぎの味そのままだった。松虫の幼虫は焚火に焼いたり、そのまま口中に放り込んで、白い泡をブクブクさせながら食べた戦友もいた。……
 ハバロフスクの伐採では疲労と飢えが重なり一週間ぐらいは埋葬しない日はなかった。雪解けの季節になるといたる所に冷凍人間が今死んだような顔や手、または足が出てくるので穴を掘って埋葬をしなおした。また、ここヴォロシーロフでも同じような事が始まろうとしている。何時ダモイ(帰還)できるのかもわからず、毎日打ちひしがれ、繋がれた牛のようにこき使われ、捕虜という鉄鎖から解放される日を待ち望んで、生と死の谷間を彷徨する戦友たちは、亡霊のように影が薄くなって、ダモイ、ダモイの言葉に取りつかれていた。……

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