7.27大阪韓国連帯情報交流会セミナー
朝鮮戦争の再来を許すな!
西村秀樹さん(元毎日放送記者)と
金光男さん(在日韓国研究所)が講演
【大阪】大阪韓国連帯情報交流会の第13回セミナーが「朝鮮戦争の再来を許すな!」のテーマで7月27日、エルおおさかで開かれた。2人の講師の講演要旨を紹介する。
西村秀樹さん(元毎日放送記者)は、「朝鮮戦争と日本」と題して講演した。
西村秀樹さんのお話から
「朝鮮戦争と日本」
ポツダム宣言受諾の遅れの影響
日本の敗戦後の1948年8月大韓民国が、1948年9月北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)がそれぞれ建国され、朝鮮半島は分断された。韓国の李承晩は朝鮮の統一を、北朝鮮の金日成は赤化統一を望んだ。この朝鮮の分断は日本(大日本帝国)にも責任がある。
1945年7月26日、ポツダム宣言(連合国が日本に無条件降伏を促す)が日本に通告された。日本が宣言を受諾をしていたら、朝鮮の分断や広島・長崎の原爆投下もなかった。1945年2月、ヤルタでの英米ソ首脳会談(ヤルタ会談)で、ドイツの敗戦の90日後にソ連は対日参戦を密約した。ドイツは1945年5月8日に降伏したから、その3カ月後は8月9日である。ソ連は密約を守った。密約では、千島・樺太南部をソ連に、満州・台湾を中華民国へ返還すること、朝鮮を国連信託統治にすることを決めた。
ソ連は、対日参戦の8月9日、日ソ中立条約を破棄して対日参戦し、ソ連赤軍が満蒙国境を越えて北緯38度線まで進軍した。そして、長崎に原爆が投下された。8月10日、日本政府は連合国へポツダム宣言受託を通告し、同年9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ号上で降伏文書が調印した。
欧州ではドイツが分断されたが、なぜ帝国主義国日本は分断されず、植民地であった朝鮮が分断されたのか(ブルース・カミングスの提起)。その理由は、日本を統治するのに天皇の存在が有効であったこと。ヤルタ密約に基づいて、対日戦争が終結する時点で38度線までソ連軍が進軍していたということである。
ロジステックを担う日本
1950年6月26日、朝鮮戦争が勃発した。在日米軍が朝鮮戦争に動員され、マッカーサー(連合国軍総司令官)の勅令により日本に警察予備隊が創設され、武器弾薬が製造・戦地に輸送され、憲法が変容した。日本は基地国家になった。米軍の朝鮮上陸作戦(元山・仁川)を前に日本の海上保安庁の特別掃海隊が参戦した。武器弾薬の製造は、大阪・生野と枚方にあっ砲兵工廠(旧日本軍の砲弾の70%を製造していた。後に下松製作所に払い下げられた)でつくられた。ナパーム弾が大量に製造された。弾薬の輸送には日本人船員8000人が動員され、56名が機雷に触れて死亡している。朝鮮戦争では、満蒙開拓団員で中国に残留し中国人民軍に参加して参戦した日本人、復員した後米軍の一員として参戦した日本人がいた。
朝鮮戦争は、在日朝鮮人をも分断・対立を引き起こした。民団系からは対北の義勇軍642名が参戦し、後の総連系は祖国防衛隊を組織して、武器弾薬の輸送を阻止する闘いを展開した。そのときの闘いが吹田事件(1952年戦後3大騒乱事件、メーデー事件・吹田事件・名古屋大須事件)である。
朝鮮戦争特需により日本経済は潤った。戦争になると、輸送関係に労働者が動員されることを忘れないでほしい。
金光男さんのお話から
「第2次朝鮮戦争のない平和な朝鮮半島のために」
続いて金光男さん(在日韓国研究所)が「第2次朝鮮戦争のない平和な朝鮮半島のために」と題して講演した。
米国の戦略的忍耐
再び朝鮮戦争になるかもしれないと危ぐされたのは1994年(第1次核危機)。米クリントン政権は北朝鮮の寧辺核施設を攻撃し、全面戦争を敢行する計画を立てた。しかし、米国統合参謀本部の予想は、米軍3万人、韓国軍45万人、首都圏の民間人100万人の死傷者が出るというもの。そのため、計画は断念された。その後のウイリアム・ペリー報告(1999年)では、米国は、あるがままの姿の北朝鮮政府に対処するものでなければならないとした。分別と忍耐をもって目標を追求する、いわゆる戦略的忍耐論だ。米国は、北朝鮮とより正常な外交関係を樹立し、韓国の関与・平和的共存政策に加わることを追及していく。挑発を受けても冷静さと忍耐を失わないことが必要だとなった。米政権は、北朝鮮にエネルギー支援を始める。
北朝鮮も計画された戦争は望まなかった。北朝鮮の空軍基地であった蓮浦と仲坪に巨大な温泉農場を建設した。朝鮮新報によると、毎年20カ所に新たな地方産業工場を建設するという地方発展「20×10政策」を提示した。党中央委員会政治局拡大会議(24年1月)では、この政策の決定書が採択されている。
しかし偶発的な武力衝突の可能性は残る。そのため、2018年9月19日、南北の軍事合意「平壌共同宣言の付属合意「板門店宣言履行のための軍事分野合意書」が交わされたことの意味は非常に大きい。南北の境界地域の陸海空に緩衝区域を設定するというものである。この区域内では、砲射撃、海上機動訓練を中止し、海岸砲と艦砲の砲口・砲身のカバー設置と砲門閉鎖措置を採ることとした。
南北軍事合意の停止・二つの国家論・新冷戦体制
ところが、北朝鮮が「軍事偵察衛星の打ち上げに成功」(23年11月21日)を発表したことを理由に、さらに韓国から北に向けてビラを飛ばす、北が南にゴム風船を飛ばすパフォーマンスを経て、韓国は軍事合意の全てを停止すると発表した(24年6月4日)。従って、現在軍事緩衝区域は存在せず、偶発的軍事衝突の可能性が心配される。
北朝鮮の対南政策は大転換した、「南北関係は、同族関係、同質関係ではなく敵対的な二つの国家関係、戦争中にある二つの交戦国の関係に完全に固着した」(朝鮮労働党中央委員会全員会議23年12月)と。北朝鮮は従来、連邦制案(1960年)、高麗連邦制案(1980年)、「南側の連合制案と北側の連邦制案の統一(2006年南北首脳会談)」であったが、2つの国家論に舵を切った。南の呼称は南朝鮮から大韓民国に変わった。
金光男さんはだからといって将来を固定的に考えることはないという。しかし、現状では、朝鮮半島に韓米日対朝中ロの陣営対立がつくられつつある。韓国尹大統領は「相手の善意に依存する屈従的平和でなく、力による恒久的平和を構築する」(24年新年辞)といい、韓半島有事の時の自衛隊介入を主張する。米国は、「六者協議の目標は、平和的な方法による朝鮮半島の非核化である」とした六者協議共同声明(2005年9月19日)を守らなかった。問題は、北朝鮮の非核化ではなく、朝鮮半島の非核化である。一貫して、米国の対北朝鮮政策は、北朝鮮崩壊論なのである。23年8月キャンプ・デービット韓米日首脳会談では、3カ国の共同軍事訓練を定期的に実施することを決め、初の多領域訓練「フリーダムエッジ」を実施した(今年6月)。核の拡大抑止を拡張し、米韓核協議グループを新設した。韓国は作戦計画を望んでいるが、韓米共同声明では共同指針にとどまっている。ちなみに、軍事については韓国政府に権限はなく、戦時作戦統制権は駐韓米軍司令官にある。ちなみに在日米軍には指揮権はなくインド太平洋軍司令官にある。
路線転換した北朝鮮は、自主国防力の強化と現代化、対中国・対ロシア協力関係強化を進め、2つの朝鮮を公式化したが、朝鮮半島の平和構築にとって絶対条件は、停戦協定の平和協定への転換・北朝鮮と米国・日本の国交正常化だ。北朝鮮が核を必要としない環境作りが重要だ。南・北・日が協力する北東アジアグループの形成をめざすべきだ。核を保有しない国:南・北・日本・モンゴルが非核地帯化条約を締結し、東北アジアの非核地帯化条約をつくろう。
現在の状況では、南北統一より朝鮮半島にまず平和がつくられることが重要だ。(発言要旨、文責編集部)
韓国の大統領弾劾訴追の動向
韓国の尹大統領の弾劾訴追を求める請願の賛同者が7月3日、100万人を超えた。尹政権の支持率は低迷している。任期は後3年弱であるが、金光男さんが最後に語った任期途中の辞任の可能性については割愛する。
(T・T)
講演する金光男さん(7.27)
西村秀樹さん
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