茨城育樹祭ビラ弾圧をはね返せ!
茨城育樹祭ビラ弾圧救援会
ブログから転載
◦日時:11月4日(月・休)
◦デモ 13:00 ~14:00 JR常磐線 水戸駅・北口ペデ上に集合
◦集会 14:30 ~16:30 茨城県水戸生涯学習センター・中講座室(水戸市三の丸1─5─38 茨城県三の丸庁舎3階、水戸駅北口から徒歩15分)
◦お話:吉田哲也さん(選任弁護士代表)/ 小林成彬さん(大学非常勤講師・思想史)
◦主催:茨城育樹祭ビラ弾圧救援会 × 共催:戦時下の現在を考える講座
メール:ikuju_ibaraki@proton.me
ブログ:
https://ikuju-ibaraki.hatenablog.com/ |X:https://x.com/ikujusaikyuen
水戸市にある常磐大学の校舎内に昨年の秋「建造物侵入」したとして、今年9月11日に二人の社会運動者が逮捕され、同月30日に不起訴釈放されました。二人は、去る11月に潮来市で秋篠宮夫妻の出席のもと開かれた皇族行事「全国育樹祭」に反対するビラを大学で配布・掲示したのですが、その内容が育樹祭および天皇制を批判していたこと、そして当日現地でデモを実施したことこそが、警察の「報復」を引き起こした要因でした。
*この集まりでは、デッチあげで〈思想・表現の自由〉を踏みにじり、二人の生活を破壊した無法な警察・検察・裁判所を回って弾劾するデモの後、二人のため全力で奔走した弁護士の報告を受けて、事件の舞台であり口実となってしまった大学の歴史と現状、天皇制との関わりについて気鋭のサルトル研究者に切り込んでもらい、今回の逮捕の意味を社会的・歴史的に捉え返すことを狙います。
ひたちなか94号の意見陳述
9・27勾留理由開示公判(水戸簡易裁判所203号法廷)
逮捕されてから今日で11日目となる。9 月 11 日の朝、手首を冷たく締めつける鉄の輪をはめられてから私の生活は一変した。
朝は目覚まし時計のアラームではなく、看守の「起床」という野太い号令で起こされる。私物が一切ないのは当然、常時備えつけてあるのはトイレットペーパーとマスクだけの、むきだしのコンクリートの白壁と鉄格子で囲まれた四畳の部屋(トイレを含む)、そこでの生活を強制されることとなった。しかも見ず知らずの人間と二人で寝起きするのである。出入口の鉄格子の片隅に、駅に置いてあるゴミ箱の口のような 20 センチ四方程度の開閉口があり、弁当も水も本もすべてそこから、許可を得て渡される形になる。薬を飲むときは、口の中に薬を入れた後と、それを飲み込んだあとの状態を看守二人組に目視で確認される。
布団の出し入れと洗面、風呂(ただし風呂は週 2 回)といった必要最低限の場合や、取り調べなどの権力側の都合で出される他は房から一歩も出ることができない。毎朝の 8 時半と、房から出る時と戻った後、全身を触られて身体検査をされる。こんな環境に置かれてからストレスと不安で眠れなくなった。病院に連れて行けと要求したが、車で10 分の町医者にかかるのに 1 週間待たされた。
具体例を挙げていけばもはやキリがないが、逮捕・勾留というのは刑事訴訟法上の名目としてはあくまでも取り調べのための手続きであり、その時点では被疑者は何ら刑罰を科されていないはずではないのか。
被疑者の段階で警察権力が 24 時間身柄を拘束し、監視下・管理下に置いて自由自在に取り調べができるようにし、刑罰の先取りと言うべき屈辱的な仕打ちを加えて抵抗する精神力を奪ってゆく。これが被疑者の段階ではおよそ 3 週間、起訴された場合は保釈請求をしなければ永遠と続いていく。
こうした日本の留置所のあり方は代用監獄と呼ばれて長い間きびしく非難されてきた。その実態を見せつけられた当事者として、改めてその悪らつさを、怒りをこめて弾劾する。警察・検察の横暴さはもはや言うまでもないが、手続き上は却下できたにも関わらず逮捕・家宅捜索・勾留・接見禁止・勾留延長といった権力の暴力を全て無批判に通してきた、法曹倫理のかけらも持ち合わせていない裁判官も同罪である。恥を知れ。
代用監獄の実態から刑事と検事の取り調べの下らなさに話を移したい。
この度私に付されている被疑事実は「建造物侵入罪」なるものだが、今までの取調べで「建造物」についても、「侵入」についても全く詳しく聞かれたためしがない。
取調べと称して、勝手に上がり込んだ人の部屋にあったアニメキャラのフィギュアやゲーム機について雑談に興じる水戸署の巡査・比嘉大智(あまりの下らなさに途中から一切の取り調べを拒否したが)もしかつめらしい顔をして、口を割らせようとネチネチしつこく言ってくる検事・岡田もその点では一致している。人を被疑者に仕立てておいて、その被疑事実の追及が無意味であることを自らさらけ出してしまうのだから、国家権力の威光などというものはチンケなハリボテ以外の何ものでもない。
そもそも「建造物侵入罪」などというのが、「公務執行妨害」(いわゆる「転び公妨」)や「免状不実記載」などと同様、権力に抗する市民運動、学生運動、労働運動つぶしに繰り出されるトランプのジョーカーである。所詮法というものはある支配体制のもとで制定されるかぎり、いかに無色透明で不遍不党であるかのような建前を持っていようとも、特定の権力者の私的な利益を貫徹するため、その意志を実現したものでしかなく、こうした不当極まりない弾圧の局面でなによりもそれがむきだしになる。
ただそこまで話を広げずとも、警察権力・司法権力が窮地に陥ったとき、どれほど酷い自己保身、自己正当化に走るかということは戦後史に残る痛ましい冤罪の事例によって明らかである。
今朝、半世紀以上続いてきた袴田事件裁判で、静岡地裁が再審無罪判決を言い渡したという記事を新聞で読んだ。警察・検察が一体となって、拷問的な取り調べで虚偽の自白を引き出し、血のついた衣類を証拠として捏造したことが認定された。罪のない一人の人間と、その家族の人生を無残に破壊した権力の責任はあまりにも重い。これこそが国家権力の本性である。私にかけられた弾圧などは、袴田さん、あるいは狭山部落差別裁判で石川一雄さんが蒙った殺人に等しい仕打ちには到底比ぶべくもない。
しかし、これらの事例がその時の偶発的な事情により引き起こされたものではなく、そもそもの権力の醜いあり方であることを、自分自身目の当たりにした思いがする。こんな連中に人民を監視・管理し、裁きを与える正当性などみじんもない。警察権力、司法権力は今すぐ解体されるべきである。
そしてここで改めて強調しなければならないのは、今回われわれにかけられた弾圧は、昨年 11 月にここ茨城県の潮来市で挙行された育樹祭に反対するデモへの報復だということだ。つまり先に述べた警察・検察・裁判所が一体となった暴力も、天皇制という統治原理を揺るがそうとするものに対して発動されたものであり、端的に言えば天皇制の暴力そのものである。
水戸署巡査の比嘉、検事の岡田が「建造物侵入罪」について聞く代わりに聞いてきたのは、私が天皇制になぜ反対するのか、天皇制に対してどのような考えを持っているのか、ということだった。裏で糸をひいているであろう公安警察も含めて、現代版の特高警察というべき動きをしているのである。
しかしそのような権力の卑劣な手口で天皇制に反対するものを屈服させ、支配秩序への従属を強要することなど断じてできない。私はここで改めて、以下のとおり天皇制に反対する立場を表明する。
第一に、戦中・戦後にわたって天皇の名のもとになされてきた数々の戦争犯罪・侵略行為ゆえにである。戦中の日本は中国、朝鮮、東アジアの人民に対してあからさまな侵略戦争を仕掛け、幾千万人におよぶ犠牲者を出した。その際に大義名分とされたのが、天皇を神としていただく神国・日本を中心とした大東亜共栄圏の構想であり、東アジアの人民に対し同化を強行した。
その上敗戦後も天皇制を「象徴」などというかたちでぎまん的に残存させ、戦後の新植民地主義的な経済侵略から、現代の徴用工といえる技能実習制度に至るまで、天皇を頂く「日本人」という意識に発する排外主義から脱することができていないがゆえ、誤ちを犯し続けている。諸外国の民から「日本人」という属性を負わされている者は、こうした現在にまで至る歴史的責任にオトシマエをつけるため、天皇制を廃止する必要がある。
第二に、「人間宣言」や「象徴」といった、天皇を神話の世界から半分分離させ、もう半分を倍の力でつなぎとめるような小賢しいごまかしを用いたところで、依然として天皇制は貴ー賤のヒエラルキーを前提とし、自身が則る規範を逸脱する者に対する差別構造を生みだすその元凶であるためである。
天皇がなぜ貴いのかといえば、それは生まれながらに貴いからである─これほど下らない同語反復が制度として押し付けられている、それがこの国の現実である。これを逆転させれば、「○○がなぜ賤しいのかと言えば、生まれながらにそうだからだ」という、直球の差別となる。
こうして静かに部落民、セクシャルマイノリティ、外国人、などといった少数者たちへの差別感情の根が、知らずに植えつけられるのである。
第三に、これは第一、第二の結論ともいえることだが、日本人が差別排外主義から脱し、誰もが自由に生き、望まぬ搾取を蒙らない社会を築いていくため、その基礎といえる意識を持つことができるようになるために、まず天皇制を廃止すべきなのである。逆に言えば、本当に先入観や固定観念を脱して今述べたような社会を目指していこうとするならば、論理必然的な結論として、天皇制がもとから相容れないものであることは明らかだ。世界のどこにも、望まぬ支配を人民に押し付ける君主制はいらない。またその支配を暴力的に貫徹するための警察も軍隊もいらない。抑圧の体制に必ず転じる政府などというものもいらない。
そして最後に、警察権力、司法権力はばかげた人身拘束を今すぐやめろ!家族から、愛する人から、仲間から引き離されたこの怒りを私は決して忘れない!私とAさんを直ちに釈放しろ!!
水戸150号の意見陳述
9・27勾留理由開示公判(水戸簡易裁判所203号法廷)
本当はこんなことをしている場合ではなく、30年ぶりで『三大怪獣 地球最大の決戦』を日比谷に見に行かないといけないのですが、それはともかくとして。
本日は潮来育樹祭に反対する会議、略称いい会議の一年越しの集会にお集まりいただきありがとうございます。(「この会場は我々が占領した!」とかやりたいところですがやめておきます。)
私たちいい会議は、昨年11月11日に潮来市内で行ったデモをもって基本的には活動を終了したと考えていました。しかし今月十一日早朝に突然やって来た茨城県警公安課から、闘いはまだ終っていないと教えられ、昨年のデモの時には会場をどーしても借りられずに断念した集会を、潮来市内ではないとは言え、こうして開くことができました。本集会開催のきっかけを作った茨城県警公安課、ありがとう。勾留延長した水戸地方裁判所もありがとう。会場を貸して、もしかすると集会を共催しているのかもしれない水戸簡易裁判所、ありがとう。そして弁護士のみなさん、救援会のみなさん、今日来て下さったみなさん、本当にありがとう。
私が話すのは二つです。育樹祭についてはこの後に予定されている仲間が話すと期待して、私は別のことを話しましょう。
私は現在被疑者であり、まだ裁判にかけられるかどうかすら決っていません。しかるに私はここに来る際、手錠と腰縄を付けられています。留置場の外に出る時は毎回です。検察、裁判所に行く際には建物内で向く方向まで決められています。留置場においては、内心の他に自由はありません。三畳トイレ付の房に入れられ、トイレには大きな窓があって中を覗かれます。食事も就寝もすべて時間で決められています。ラジオは昼十五分だけ朝のNHKニュースが録音で流れます。読書は前日届けを出した三冊まで、本と同時にボールペンは入らないため、本を読みながらメモも取れません。
一犯一語(大杉栄の言葉で、彼は監獄に収監されるたび外国語を一つ習得したという話)もできません。次に入ったらやろうと楽しみにしていた古典ギリシア語の学習ができません。どーしてくれるんですか。くり返しますが、私はまだ罪に問われてすらいません。留置場の様子は外に出してはいけないと、文書の宅下げが止められてもいます。
接見禁止なので家族や友人と手紙のやり取りもできません。これのどこが先進国ですか! これのどこが民主主義ですか!憲法は検閲を禁止しているのではないのですか! こんな国のどこに人権があると言えますか! 少なくとも留置場に人権はありません。私はまだ拘置所と刑務所に入ったことはありません。入管施設に入ったこともありません。しかし同様の扱いだろうと思います。
法律上はもう監獄とは言わないのかもしれませんが、全ての監獄は解体されるべきです。(精神病院や介護施設等も含めた全ての拘禁施設も解体されるべきです。)全ての被留置者に人権を! 全ての被収容者に人権を! 全ての収容施設に対する即時の改善を! そして遠くない将来の解体を!
それから天皇制についてひとつだけ。
天皇制は存在するだけで基本的人権を破壊します。基本的人権とは、すべての人に生まれた時から与えられている人として当たり前の権利です。天皇制同様もちろんフィクションですが、基本的人権を前提にして今の世界は成立しています。人類が到達した、世界にとって必要なフィクションです。日本政府もそれを受け入れています。すべての人に与えられている、とはすべての人は平等だと言うことです。
しかし天皇制は特別な人が一人だけいると主張しています。これはすべての人は平等だ、と対立します。日本国憲法はこの対立に目を瞑っています。日本国も目を瞑っています。私たちのいる社会もまた、目を瞑っています。特別に偉い人がいれば、全く偉くない、むしろ蔑まれる人が出て来ます。これは差別です。基本的人権は差別を認めません。そして天皇制は差別がなければ存在出来ません。
つまり、天皇制は基本的人権と対立するどころか、基本的人権を破壊します。それは、今のこの世界をすら破壊しかねない危険な制度であることを意味します。同じことは、天皇制に限らず全ての王制について言えることです。全ての王制は、潜在的に基本的人権を破壊し、今のこの世界を破壊する有害さを持っています。しかし、ただでさえ同調圧力の強いこの日本国において、その有害さは隠されてなどいません。
天皇制反対のデモには右翼が暴力をふるい、怪我人が出ても警察は暴力を容認します。右翼は逮捕されず、暴力に抗議した私たちが逮捕されます。天皇制に反対する人はネットに顔と名前を晒されます。警察に執拗につきまとわれます。日常生活においても、社会のなかでも天皇制に反対する言説は自由に行えません。テレビにも新聞にも天皇制反対の声は表れません。そして、天皇制に反対すると私のように囚われ、見せしめとされます。
ですが、囚われたからどうしたと言うのですか。一敗地にまみれたからと言って、それがどうしたと言うのだ。すべてを失った訳ではない。私は天皇制に反対します。天皇制の行事である育樹祭にも反対します。天皇制を解体しよう!
これで本集会での私の発言を終わります。
週刊かけはし
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