投稿 9条が世界に輝くとき ②

たじま よしお

石破首相は「戦争できる国」に突き進む

 前川喜平さんが10月20日の赤旗日曜版で、「石破首相は「『戦争できる国』に突き進む」と語っていますが、今のままでは戦争するのは困難であることを意味していると思います。自衛隊を「軍」として憲法に明記するというのはとんでもないことですが、問題はそれだけにはとどまらないのです。そのことについて10月20日の前川さんの主張を紹介しながら考えてみたいと思います。
 「石破さんの本質は、筋金入りの国家主義者です。国家主義とは『人間より国家が大事』という考え方です。私が官僚だった頃、石破さんに何人かで話を聞く機会がありました。そのときに彼が『人権は国家が与える』と考えていることを知り、非常に驚きました。人権は人間が生まれながらに持つ権利です。その人権を保障するために国家が形成される。これが国民主権の考え方です。石破さんは逆で、国家のために人間がいる。人権が保障される以上は、国防の義務も果たすのだという考え方です。そうすると、義務を果たさないものには権利を認めない、という話になってくる。
 この思想が色濃く現れているのが2012年の自民党の「憲法改正」草案です。石破さんが党の政策立案の責任者・政調会長だった時に作られました。そこには「公の秩序」などで人権を制限できるとあります。「天皇が元首」で「国防軍」と明記しています。首相になったことで、本気で改憲に突き進むでしょう」。

「前川喜平の本音のコラム・石破茂氏の国賦人権説」
東京新聞(10・6)


 天賦人権説とは、人権はすべての人が人であるがゆえに生まれながらに当然に有する権利だという思想だ。これは世界人権宣言や国際人権規約の基本的な思想だ。ところが(石破さんは)、それは日本には当てはまらないという。日本においては人権とは、国が国民に与える権利だというのだ。確かに、12年4月の自民党「憲法改正草案」の「Q&A」には、国民の権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で生成されてきたものだから、、現行憲法の天賦人権説に基づく規定は改める必要があると書いてある。この「国賦人権説」によれば国民でない外国人には人権がないことになる

 私は幼い頃「ロビンソン・クルーソ漂流記」を読んで空想を膨らませた記憶があります。ジョン・万次郎らは海難事故に遭いアメリカの捕鯨船に救助されるまで、船乗りの仲間と鳥島で暮らしましたが、そこには国家はありませんでした。絶海の孤島での生活は大変だったでしょうが古いしがらみから解放されてそれぞれの生きる力が試される解放区の側面もあったのです。国家はなくても人間は生きられるのです。石破さんというお人どんな人かと思い「保守政治家 石破茂」を読んでいますが、部分的には確かにリベラルな側面はありますが、昭和天皇を尊敬したりでまるで一貫性がないのです。このことについては、別の機会に詳しく述べてみたいと思います。

水面下での「軍法裁判所の創設」の妄想!?


 前回①に紹介した赤旗日曜版には「石破氏が携わった(憲法改正草案)9条部分は、……略……自衛隊を『国防軍』と書き換え、裁判所(軍法裁判所)の創設などを明記しています」とあります。ここでいう「軍法裁判所の創設」の動きについてですが、海上自衛隊の三等海佐の山田裕之という人物が2016年6月に「一般司法制度に近接する軍事司法制度・軍事司法制度の現代的意義と変革の展望」なる論文を発表しております。外国の軍法裁判所のことなども綿密に調べての論文です。「海上自衛隊三等海佐」という肩書きでの論文ですから、当時の政権の中枢と何らかのパイプがあったのではないでしょうか。
 ところで、7月8日の東京新聞「本音のコラム」欄に、大矢英代(おおやはなよ)(カリフォルニア州立大学助教授)さんが「自衛隊セクハラ訴訟」の東京地裁での傍聴記録を寄せていますので次にその全文を紹介します。

 航空自衛隊の現役女性自衛官が、隊内で受けたセクハラ被害について国の責任を問う裁判(第7回弁論)が、先月17日、東京地裁で行われた。一時帰国中だった私は傍聴席から原告を見守った。女性は、2010年から3年間、先輩の男性自衛官から身体や性生活に関するセクハラ発言を繰り返し受けた。直属の上司をはじめ、自衛隊・防衛省の様々な相談窓口から河野克俊統幕長(当時)に至るまであらゆるところに被害を訴えた。しかし、隊長からは「加害者にも家庭がある」、セクハラ相談員からは「我慢するしかない」などと言われ、取り合われなかった。最後は自力で闘うしかないと、2016年、加害者を被告とする民事訴訟を提起。ところが、裁判所に証拠書類を提出したことで、情報漏洩の容疑で警務隊に突き出され、検察送致。起訴猶予と隊内訓戒を受けた。被害者が処分されるというあまりに理不尽な話だ。それでも闘い続けるのは、後輩たちのためだと原告は語った。「自分より若い隊員に同じ目に遭ってほしくない」。今回の裁判で浮き彫りになったのは、隠蔽体質や被害者救済制度の機能不全など、自衛隊の組織的問題だ。「ハラスメント根絶」を謳いながら、本裁判で請求棄却を求める二枚舌も甚だしい。問題改善のために原告支援の輪が広がってほしい。

 この文章の中に「裁判所に証拠書類を提出したことで、情報漏洩の容疑で警務隊に突き出され」とあります。「一時帰国中だった私は傍聴席から原告を見守った」とも記しています。この裁判は東京地裁で行われていたにもかかわらず私はそのことすら知りませんでした。なにかツテを探して傍聴に行きたいと思います。
 話は変わりますが、ジャーナリストの布施祐仁さんは三浦英之さんとの共著「日報隠蔽南スーダンで自衛隊は何を見たのか」を著していますが、その日報を入手するのに大変ご苦労なさったみたいです。私の場合は、北海道合同法律事務所の佐藤博文さんらが中心となって起こした「自衛隊南スーダン派遣差止訴訟」のお手伝いをしたこともあって「南スーダンからの自衛隊の日報」を読むことができました。防衛省はそれをあらわにしたくはなかったでしょうが、裁判の公判資料ですから出すしかなかったのだと思います。その日報はパソコンの中の「お気に入り」の中から検索すれば読むことができますが膨大な量ですので、とりあえず記憶を頼りに記述してみます。「自衛隊は南スーダンの現地にコンテナを設営してその中で肩を寄せ合うようにして、終日過ごしていたのです。コンテナ周辺を銃弾が飛び交う日は珍しくはありませんでした。トイレはコンテナの外にあって、外へ出るのはようたしのときくらいでした。あるときコンテナから離れた隊員が現地の武装勢力に拘束されるということがあり、数時間後に解放されるという出来事がありました」こうした日報を読めば読むほど泣けてくるのです。実は憲法九条を身をもって守っているのは、自衛隊員の皆さんではないか、と。
 セクハラ訴訟の原告の女性隊員が「情報漏洩の容疑で警務隊に突き出されたこと」そして「南スーダンの自衛隊の日報の公表を渋るなどの隠蔽行為」と「憲法改正草案の軍法裁判所」とが私の中で重なるのです。つまり自衛隊(国防軍)の中のことは全て軍事機密であって、この中で起きたことは「軍法裁判所」で裁いて公にはしない。それが石破首相・自民党の願望なのです。
 しかし、憲法七六条二項には、「特別裁判所は、これを設置することができない」と記されているのです。つまり現憲法下では「軍法裁判所」などは新設できないのです。けれども悪知恵にだけは人一倍の連中のことですから「将来的に憲法裁判所を新設したいから」という理由で、憲法七六条二項を改憲したいと言い出すのではないかと思います。「憲法裁判所」はリベラル派の夢ですから。心配のしすぎでしょうか……。 

──9条と戦後賠償・補償はひとつのもの──

中間賠償に疑問符?

    
 しかしさらに、ここで問題とされなくてはならないことがあります。第二次世界大戦中に兵器を製造した日本の軍事工場のことです。wikipediaによると、それらの重工業機器は梱包されて「中間賠償」という形でかつての加害国へ送られたことになっていのです。そのコピーを以下に貼り付けます。

 中間賠償とは、軍需工場の機械など日本国内の資本設備を撤去して、かつて日本が支配した国に移転、譲渡することによる戦争賠償である。……略……工場設備による賠償は後の平和条約による最終的な賠償ではないという観点から「中間賠償」と呼ばれた。中間賠償にはまた日本の産業的武装解除も兼ねて行われたという側面もある。大蔵省によると、1950年5月までに計1億6515万
8839円(昭和14年価格)に相当する4万3919台の工場機械などが梱包撤去された。受け取り国の内訳は中国54・1%、オランダ(東インド)11・5%、フィリピン19%、イギリス(ビルマ、マライ)15・4%である[2]。

 しかし、「山本義隆著・近代日本150年」の「軍需産業の復興」(220頁)には以下のような記述が見られます。

 ところで朝鮮戦争時に日本が兵站部として米軍の特需に応えることができたのは、その時点で日本の企業に相当レベルの兵器生産能力があったことを意味している。敗戦当初、米国の占領政策の基本方針は、日本の完全非武装化で、賠償請求もそれに応じて厳しいのであり、「これがもし実行されていたら、日本の潜在的な軍事生産力は、根こそぎになっていたであろう」と見られている。しかし1948年「アメリカの対日政策は賠償よりも〈経済安定〉へと大きくかわり」、その結果「潜在的軍事工業の大部分は破壊と撤去をまぬがれた」(小山弘健・日本軍事工業の史的分析)のであった。……略……、GHQは「兵器・航空機生産禁止令」を解除し、「ひきつづいて賠償に指定してあった民間軍事工場の指定解除の方針を出し、4月26日には航空機製造施設など850工場を日本に返還することを発表した。(小山、1972)。そして52年に「航空機製造事業法」、53年には「武器等製造法」が制定され、54年には日米相互防衛援助協定(MSA協定)が締結され、日本は防衛力漸増に努力することが義務づけられた。そしてこれにつづいて、東大と京大に航空学科が復活した。………略…………そして1958(s33)年に第一次防衛力整備計画が始まり、軍備増強が開始される。この年の防衛庁契約上位10社は、順に、新三菱重工業、川崎航空機、スタンダード石油、石狩播磨重工業、三菱造船、浦賀船○、東京芝浦電気、三菱電機、三菱日本重工業、富士重工業で、この多くはその後も上位を占め続けることになる。戦後日本の軍需産業の復活と成長の過程は、朝鮮戦争から日本の再軍備、そして自衛隊の誕生と戦力増強の過程に連動していたのである。
※ 以上Wikipediaの「中間賠償」と「近代日本150年」の抜粋を紹介しましたが、この文章の初めの部分にある「賠償に指定してあった民間軍事工場」が中間賠償に指定されていたものではありませんか。そうだとしますと大蔵省の発表と「近代日本150年」にある記述は矛盾することになります。ただ一つ考えられることは大蔵省の「計画・予定」をWikipediaが「実施済」と勘違いしてしまったとも考えられます。

[付記]「近代日本150年」を補強する意味を込めて、デモクラシータイムス「白井聡のニッポンの正体」の進行役の高瀬毅さんが調べた「朝鮮特需 各社の社記の記述」を次に紹介します。

◦ダイキン工業(機械)81ミリ追撃砲りゅう弾30万発◦小松製作所81ミリ追撃砲りゅう弾32万5400発◦丸紅 世界的な軍拡・備蓄競争で輸出好転綿布輸出は世界の首位に◦国場組 沖縄では朝鮮動乱勃発と同時に米軍基地拡充強化 沖縄の建設業界に大きな需要◦大関(酒)昭和25年度には、販売数量1629KL 前年度比254%増◦トヨタ自動車合計4679台のBM製トラックを受注 36億600万円 (以下省略)
 以上Wikipediaの「中間賠償」と「近代日本150年」の抜粋などを紹介しましたが、この両者の違いは何であるかはっきりさせる必要があります。
(2024・10・25)

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