2・16 ウクライナと連帯する講演集会
毎晩なる空襲警報の現実
プーチンは直ちに占領地から撤退せよ
オクナサーナ・ピスクノーワさんが講演
【東京】2月16日午後6時から、渋谷区勤労福祉会館で「ウクライナと連帯する講演集会」がウクライナ連帯ネットワーク(SUN)の主催で開かれた。講師は在日ウクライナ人のオクナサーナ・ピスクノーワさん。彼女は語学講師で翻訳家。
最初に、司会者の林克明さんが「3年前に、ロシアがウクライナに全面侵攻したが、1994年12月から、ロシアの帝国主義戦争が始まっている。最初は南部戦線、北コーカサス。それからコーカサス山脈を越えて、2014年以降はウクライナへの侵略戦争が開始された」とプーチンの侵略の歴史的を明らかにした。
そして、「最初から日本の言論を見ても、ウクライナ人のことは後にして、アメリカだとかロシアだとか、頭越しに論議がされていて、どうしても気になってしようがない。特にトランプの言動ではその傾向が強まっている」と最近の言論の傾向を批判した。。
「私たちはウクライナの現地の人や、日本に来ているウクライナの人たち、当事者たちの話をちゃんと聞こうとそれが一番だ」。
「ピスクノーワさんは全面侵攻が始まってから10回、向こうに行っていろんな支援をしたり、こっちに来ているウクライナ人たちの支援をしている」と、林さんは彼女の講演の重要性を語った。
ここ数日は訳の分からない発言が多すぎて、講演の内容も何回も悩んで変えた。二、三週間前によいと思っていたことが話してもしょうがないとなってしまう。皆さんの関心はウクライナがこれからどうなるかだろう。ウクライナにいる友人・知人・家族は、いろんな情報がありすぎて、みんなまいっている。話にならない。落ち込んでいるというより、不安で不安でしょうがない。限界に達している感じだ。
あれだけ三年間戦争で疲れているのに、この一、二週間精神状態があまりにもおかしい。
私自身のことについて
1996年から日本に住んでいる。二年間ずつ二回イギリスに逃げていた。実際に日本にいるのは24年くらい。長い間ロシア語とかかわる生活をしてきた。友達はそれを「ブラック歴史」と呼んでいる。「前科」があると言われる。その「前科」はロシア語の講師を長く、語学学校でしていたことを指す。
さらにNHKのロシア語講座、99年から長く続いた。当時の先生が替わっても私はアシスタントで出ていた。ウクライナ人を隠していたわけではない。むしろ表に出してはいた。その時はウクライナ人の私がロシア語を教えてもいいと割り切っていた。
大きな変化は2004年、オレンジ革命と呼ばれていた動きが一つのきっかけ。私のようにウクライナ語と日本語ができる人は世の中にほとんどいない。その時は映像翻訳をNHKをはじめテレビ局でずっとした。それがウクライナ人としての目覚めになった。
ロシアとウクライナをいっしょにしてはだめだなと。その後、絶対に元に戻れない出来事。マイダン革命だ、2013~2014年。当時のヤヌコビッチ大統領がヨーロッパよりロシアと協力した方がよいと、国民の意思を裏切って行動をとった。それで最後には国から逃げてしまった。それを見たロシアがクリミア半島とドンバス地方を、ロシア軍と名乗らずそこを占領してしまった。これが私にとって決定的だった。
ドンバスから避難
ドンバスの中心から30キロ離れたところで生まれた。ひいおじいちゃんが18世紀の終わりにザポリージャ州から働きに来て、そこで祖父が生まれて、祖父が軍人だったので、全ソ連を回った。街には親戚も多い。4年間バフムートで過ごした。ソ連時代にはロシア語の読みだったが2016年に、昔の名前バフムートに戻った。もうどれだけ喜んだか。自分の履歴書も書き換えた。
大学は今、ロシアに攻められているソリンスク。そうやってドネツク州の地図を眺めると子どもの頃を思い出すが、今は戦場報告に出てくる名前だらけだ。複雑な気持ちだ。
2014年の時に、戦闘はなかったがたまに、銃声とかが遠いところで聞こえた。記憶に残っているのは母が電話で話しているときに、外で音がするから窓から見ようとしたら、横にいた弟が「離れろ!」と大声を上げた。ずーと無防備だった。外で何か爆発音がすると窓から見ようとする。
今のウクライナ人は、当たり前に、窓から離れなければいけないと分かっている。街の市庁舎や警察署が占拠されて、ロシア語なまりをしゃべる人たちが街の中に増えた。もう危なくなってきた。一回どこかに出ようと決めて、14年の時、バスに乗って、すごい遠回りして、首都のキーフにバック一つ持って避難した。
その時は二、三週間のつもりだったが、今まで一度も戻らず、ずっと暮らしている。弟はその時は出られなかった。10キロも歩いて森の中を回って逃げた。もし捕まっていたら、抹殺されそうだった。
それから少し落ち着いたようで、両親もあきらめたというよりは慣れてきた。私も故郷という概念が変わった。故郷は自分の生まれた街ではなくて、ウクライナ全体が故郷になった。大好きな国だ。
ロシアの全面侵攻
21年の終わり、ベラルーシの国境付近とかロシアとの国境にロシア軍が集中し始めた時に、私はいろんなテレビ局から呼び出されることになった。それでもまさか、全面侵攻はないだろうとみんな思っていた。ドンバスの時のように少しはミサイルが飛んでくるかもしれない。まさかあんなに北からも東からも南からも戦車が入るということは正直信じていなかった。いろんな専門家の意見も聞いたし、神様のように信じる、信じないではなくて、自分なりにいろんな分析をし、いろんな分析も聞いて、ないだろうと思っていた。
2月24日に、ロシア軍の侵攻が始まった。それからは生きた心地がしなかった。最初の二、三カ月はいろんなテレビ局から出られない状態だった。夜仕事をすることが多くて、朝まで仕事をしていた。二、三日に一回着替えに家に帰った。
余りにも多くの映像を見すぎてウクライナに行かなくちゃと思った。22年の8月に侵攻後初めてウクライナに行った。ものすごく大変なことをたくさん見た。ブチャなどに行った。衝撃だったけど、逆に映像で見ていることではなくて、実際に見ると360度見える。回り全部が見えているので感じ方が違った。
いろいろなプロジェクトで10回もウクライナに行った。二、三カ月に一度。今度3月に行く。いろんな変化が見えている。ずっとウクライナにいる人は気づかない。変化について、いろんな所で、話して欲しいと依頼される。これからウクライナに帰ろうとするウクライナ人だ。2700人くらいの避難者が日本に来た。そのうちの900人くらいが帰ってしまった。2000人弱がいろんな理由で、ウクライナに帰ろうかなと考えていて、でも3年間、日本に居たらウクライナ人でも描いているウクライナと違うので、ウクライナ人の前で講演することになった。
次は最新の私が見たことを伝えたい。
安全面
ほぼ毎晩空襲警報が鳴る。津波警報と同じだ。朝起きるとニュースで、どこどこのマンションに着弾ありましたとか、おとされたけれど、破片が落ちて車が燃えたとか、毎回出る。寝ているときに、空襲警報が外で鳴ったら、どうしますか。多くのウクライナ人はまずインターネットツールを見て、ロシアのどこどこで飛行機が飛んだので、まだ一時間くらいあるから寝るわ、そういう人もいます。あまりにも無防備なので、中には毎回避難所に行く人もいる。マンションだったら地下室。地下鉄の駅があればそこに行く。無視して命を落としている人もいる。
前線に近い所には行っていないが、西の方でもドローン攻撃は普通にある。例えば西の方でも空襲警報は鳴る。鳴るということは飛んでくる。安全な場所は全国どこにもない。そんな中でウクライナ人は三年間過ごしてきた。
前線に近い地域、占領の可能性がある。少しずつだが場所によって、ロシア軍は進んでいる。向こうは人を大事にすることはまったくないし、とにかく1キロでも何百メートルでも、多くの土地を占領したいので、ドネツクの方ではロシア軍が進んで占領されている。どこまで逃げたらいいのか分からない。
経済面
物価が本当に高い。スーパーに行って、卵・チーズやちょっとした野菜を買う。4000円くらいの買い物で、朝夕の食べ物しかない。想像できますか、日本では4000円買い物したら何日間か食べられる。
安いのは季節の野菜・果物だけだ。みなさんよくやっている。理解できないくらいだ。それに対して給料は安い上に、仕事を探すのがたいへんだ。元々働いていたところは爆弾が落ちて、普通の建物がない。当然そこは働くことができない。いくつかの企業や研究所はまるごと西の方に避難している。そういう人たちはラッキーだけど、そこまで従業員のことを考えていない企業もあるだろうし、普通に倒産しているところもたくさんある。
日本に来て、ウクライナに帰った人の話。大学の講師をしていて、ウクライナに帰りその仕事に戻ろうとしたら、今オンラインばかりで学生がみんな居ないから、先生はそんなにいらないと、元々の仕事に戻れず、他の仕事を探しているがすごく安い給料だ。幼稚園に雇ってもらっている。ウクライナでは仕事を探すのがたいへんだ。今まで通りの生活をしている人はほぼいない。
生活の不便なところ何があるのか。
今まで考えなかった出費。ロシアはインフラ施設、特にエネルギー施設を狙っている。両親が住んでいる所にも、発電所があって、去年ほぼ全壊になった。よく停電が起きている。アプリを入れていると、あなたの地域では後30分で停電が起きると、知らせてくれる。結局生活が電気があるないで回っている。夜しか電気がなかったら、みんな洗濯も夜、明日のアイロンがけも夜。7時間の時差があって、ウクライナは夜で日本は朝という時に、何で起きているのか聞くと、電気は今しかないからと。
そういうのが普通にあるので、発電機を買っている。ガソリンか灯油で動いている。街を歩いているとうるさいし臭い。
停電になると通信も悪い。モバイル通信も絶滅。移動の制限。外出禁止令は夜の12時から朝の5時か6時まで。レストランに友だちと食べに行こうとなっても、7時、8時に待ち合わせし、2、3時間食べたらおしまい。従業員が帰れないので、ものすごく早くなった。レストランに行くにも5時。劇場に行くのにも5時頃だ。前線から離れていてもそうだ。
医療のひっ迫
病院も破壊されている。お医者さんたちが軍隊で、前線に行く人も多い。国外に避難した人もいる。人手不足。医者も看護師さんも。ウクライナは比較的医療はよく出来ていた。建物自体もなくなっていることもある。兵士の治療もあり、ちょっとした病気で病院に行けない。
メンタル面
ここ何日間か友人と話すのがいやだ。みんなピリピリしている。中にはすごく落ち込んでいる人もいる。絶望的な状況だとする人もいる。3年間ずっとそうです。同じ経験していないと分かり合えない。軍隊に行った人と行ってない人、理解しえない。避難した人と残った人との間、同じ経験がない。
日本に来た避難者がお祭りに招待され、その最後に花火大会があった。花火大会が始まるとウクライナ人同士みんな集って、手とかつなぎ合わせて、耐えなければ、ドーンとなった時には体もふるえるし涙も出た。花火大会はおそらく一生楽しめない。
街中に軍服の人がいる。負傷した人がいる。周りにあまりに多いと、前線に戻り死んでしまうのではないと考えてしまう。つらい。
罪悪感
いまウクライナの国民の一番の感情。亡くなった人に対して、生きている人が持つ罪悪感。友人が軍隊に入隊し戦っているが、私は戦っていない。メンタル的につらい思いをしている人が多い。
国外避難と国内避難
2パターンあって、東部、南部、北部の人たちが西部に避難しているのが多い。逆に西部の人たちが近隣の国々に逃げている。そうすると住み慣れた街には元の住民が国外に出て、その代わりに東部・北部・南部の人が来た。ウクライナ人で団結していると言っても、どこか習慣の違うところもある。方言もある。生まれ育った所なのに、避難者しかいないと思う人が多い。両親がいる所も、何回か住民が代わっている。
子どもたち
教育が破たんしている。多くの学校がオンライン授業のみ。ドンバスでは3年間一度も学校に通ったことがない。なぜかというと、どの学校にも避難所がない。安全な所がないから、子どもたちが来てもそこで空襲などがあればみんな隠れなければいけないのに、そういった場所がないからオンラインでやるしかない。
完全に地下学校を作った例が少しあるくらいだ。さらに先生たちも足りない。その子どもたちの教育はどうなっているのか。国外避難者はその国の授業を受けるが、ウクライナの授業も必要だ。読み書きもまともにできない。戻ってきた避難者の子どもたちが、お前は裏切り者だと、いじめにあっている。勉強の仕方すらわからない人たちがこれだけ多くなり、ウクライナの将来がどうなるか心配だ。
この後動画が映された。その中に、兵士たちのプロモーションビデオ、ミュージックビデオがあった。部隊との強いつながりがある。いろいろ支援しているということだった。
そして、「例え、明日トランプやプーチンにここで戦争やめて、ウクライナはロシアの条件で、領土も今のまま、軍隊は縮小、これをウクライナの兵士に言ったら従ってくれますか。いくらウクライナなしで停戦の話を進めても、兵士たちがそれを受け入れてくれない」とオクナサーナは訴えた。
オクナサーナが出版したウクライナ語の本の宣伝。
「ゼロからスタートウクライナ語」(Jリサーチ出版)を出版した。 出てくるすべてのウクライナ語にカタカナがついている。他の本ではカタカナがついているものはほとんどない。ウクライナのためになるし、みなさん楽しく学べる。どこを開いても読めてしまうから、ウクライナ人と話したいとなれば役に立つ。単語帳の本も出版する。
その後、原隆さんからの主催者あいさつ(別掲)があり、講演者との質疑応答が行われた。一部を紹介する。
質疑応答
①ウクライナの戦争孤児のケアがどうなっているのか。日本に避難している人たちの日本での生活、本音の部分を聞きたい。
――飢餓が始まっている所もあれば、把握さえもされていない所もある。両親を亡くした子どもが多い。もう一つ問題になっているのはロシアに連れ去られた子どもたちのこと。この子どもたちは把握はされている。名前が分かっている人だけでも2万人くらいいる。私もどうなっているかは分からない。
日本に避難している人について。横浜国際交流協会で活動しているので、ウクライナカフェを立ち上げた。日本財団から1年で百万円の支援があった。それが3年で打ち切られるので、それが理由で帰る人も出てきた。日本語を覚え仕事も見つかった人もいる。そうじゃない人も当然いる。子どもを持つ多くの場合はお母さんと子どもという人が多いので、年齢が上の子はなじめない。帰りたいという人もいる。
②ゼレンスキー大統領は悪い奴だとか、あいつがいるからウクライナ戦争が続いているんだという声がある。ゼレンスキー大統領に対する評価は?
――ゼレンスキー大統領は2019年に、選挙で国民の7割が投票した大統領だ。国民の信用・信頼、期待がそれだけ大きかった。戦争のやり方についても、今は戦争中なので批判しない。多くのウクライナ人もそうだ。ウクライナ人はあまり大統領を神様だとか王様だとか、まったく思っていない。
選挙をしないと言われるが、戦争中で国外避難民も多くいる。投票の場所にミサイルが撃ち込まれたら、誰が責任を取るのか。現実にはまったく無理な話だ。どうして選挙ができるのか。
③キーウに在住しているウクライナ人の友人に先週軍隊への招集令状が届いた。何とか回避できないかと考えている。アドバイスはあるか。
――23年9月から、私の弟も軍隊に入っている。彼が言っていたのは、まだ23年の段階でそんな通知が来るのを待っているのではなくて、自ら何かをする。例えば自ら、志願していけば、軍隊の中でも割と選べる職業がある。前線に行ってそこで、機関銃を持って戦うのが向いていないと思うなら、いくらでも事務の仕事とかあったはずだ。そういうのを3年間しなかった。難民申請するだとか、国外に行くとか、いろんな方法があった。今は何もできない。
④ヨーロッパで極右がウクライナ支援をやめろと伸長している。逆に知りたいのはウクライナを支援するような組合の人たちや市民運動の典型的な運動を知っていますか。
――日本でも同じで、それぞれ出来る人はすればいい。スタンディングに参加することや募金活動に参加することだ。イベントを開いて広げる。ぜひやってほしい。分からなければ私などボランティアに聞けばいい。ドイツのボンで開かれたイベントに参加したこともあるが、同じようなことをやっていた。
その後、会場の参加者から、イギリスを拠点にしている労働組合の集まりのウクライナソリダリティーキャンペーンが消防車を送って支援している。フランスのウクライナ欧州ネットワークがウクライナの鉱山労働者の人たちの消防隊に消防車を送る運動をやっていると補足発言があった。
ロシアプーチンの侵略・占領をやめさせ、ウクライナ全土からの撤退を要求し、実現しよう。ウクライナの人々の抵抗に連帯を。ウクライナに平和を実現しよう。 (M)
原隆さん(ウクライナ連帯ネットワーク〈SUN〉)の発言より
「ウクライナどのような試練に直面しているのか」
世界がもっと関心を持って、ウクライナを支援していれば、これ程の犠牲者は抑えられた。この戦争が止められないのはわたしたち、国際社会に責任があるのではないか。
どうしたらロシアのウクライナ侵略を止められるのか。そのためには侵略は許さない、戦争犯罪のロシアのやっている無差別殺戮を許さない。そういう声を世界中に広げることだ。
ところがこうした国際世論の形成を妨げるものがある。米欧の代理勢力であると侵略されたウクライナにまるで非があるかのようにバッシングさえ起きている。侵略に抵抗するものを愚弄することは恥ずべき行為で腐っている。
即時停戦論を唱えている和田春樹や一部の左翼のことだ。これはウクライナの歴史とその自決権に対する冒涜であり、無知をさらけ出している。ヨーロッパでは戦争に巻き込まれるなと自国の平和だけを追求して、ウクライナ支援に反対する事実上ロシアの侵略を擁護する極右勢力が伸長している。
停戦や和平の名のもとに、侵略された側ウクライナに対して、占領された領土の割譲を迫ることは理不尽極まりないことだ。平和の問題は自由と尊厳の問題と重なり合っている。ウクライナの人々にとっては現実的な問題だ。ロシアによって、植民地的隷属を長い間強いられた苦難の歴史を持つウクライナの人々が「自由と尊厳は二度と手放さない」との意志を今ほど強くしている時はないからだ。誰かを犠牲にして成り立つ「平和」は欺瞞です。「公正な和平」を訴え、ウクライナとの国際連帯の輪を広げていくことが強くもとめられているときはない。
戦禍に苦しむウクライナの人々に平和を望まない人はいません。戦争が終わることと平和になることとは同義ではない。それゆえ公正な和平を求めている。
トランプがウクライナのレアメタルをアメリカに渡せば、助けてやると言わんばかりの発言。これは火事場泥棒だ。トランプはプーチンが平和を望んでいると言っている。トランプの主張は領土の割譲を追認するものだ。ロシアの侵略を非難した国連総会決議に違反している。
ウクライナのことをウクライナ抜きで決めることを容認してはならない。ウクライナがどのような試練に直面しているのか、私たちはそのことを考えたい。ウクライナ連帯への理解をよりいっそう広め、深めていく。今後も地道な取組を続けていきたい。

ウクライの現状を報告するピスクノーワさん(2.16)
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