無言館と戦没画学生

コラム「架橋」

 戦没画学生の作品を展示する美術館「無言館」は、長野県上田市南部に聳える独鈷山麓にある。正式名称は「一般財団法人戦没画学生慰霊美術館無言館」。1997年に開館した。館主窪島誠一郎氏と出征経験を持つ画家野見山暁治氏が全国を訪ね遺族より寄託された約900点(約130人)の作品や遺品が展示収蔵されている。毎年、日本が敗戦を迎えた8月になると新聞やテレビ番組の中で必ずと言っていいほど登場する美術館だ。
 そんな8月11日、たまたまテレビをつけると池上彰の報道特番で無言館が取り上げられていた。そして窪島氏が開館した思いや戦没画学生のこと、その作品の持つ意味を解説している光景を目にし、約50年前のことを思い出したのだ。
 当時ボクは大学時代その無言館のすぐ近く、旧塩田町に下宿しており半官半民の先駆けといわれる長野大学の学生だった。窪島氏が、無言館に先立ち1979年に私財を投じ開館した「信濃デッサン館」を立ち上げるとき、ボクを含めたくさんの学生たちが床材の埋め込みなどの手伝いに通った記憶が鮮やかに甦ったのである。
 信濃デッサン館は若くして亡くなった画家であり詩人の村山槐多など夭折した画家たちのデッサンを展示する小さなコテージ風の美術館だった。ここからは大学の校舎も一望でき、上田と別所温泉を結ぶ丸窓電車が走る風景も眺められた。また、このあたりは古刹が点在し、信州の鎌倉、学海と呼ばれていた。
 さて無言館に話を戻すが、報道特番で紹介された作品のひとつに「家族」という作品があった。描いたのは1917年、栃木県(現下野市)に生を受けた伊澤洋。東京美術学校(現東京藝術大学)油画科で学び、在学中に出征し1943年東部ニューギニアで戦死。享年26歳だった(無言館HP参考)。作品は画名にあるようにコーヒーカップや果物が置かれたテーブルを囲む家族の団らんが描かれている。しかし、実際には貧しい家庭で、それは家族の理想を空想して描かれたものだと窪島氏は語っていた。
志半ばで出征し戦死した画学生たちの心境が重く伝わってくる。無言館には開館後、数度訪れているが、これを機にまた再訪してみたい。      (雨)