ミャンマーのクーデターから1年1カ月(上)
終わらない危機、市民が目指す未来
3.12 根本敬さんが講演
特異な軍の成長を丹念に解説
3月12日午後2時から、立川市こぶし会館で「ミャンマーのクーデターから1年1カ月終わらない危機、市民が目指す未来」、根本敬さん(上智大学総合グローバル学部教授、ビルマ近現代史)の講演会が主催:ミャンマー問題を考える会、共催:市民のひろば・憲法の会で行われた。
講演の前に、ミャンマー軍政に反対するミャンマー人ロックミュージシャンの迫力ある映像が流された。次に根本敬さんが講演を行った。(別掲)。
質疑応答。今後の
選挙のゆくえは
講演の後、質疑応答が行われた。
①クーデター政権は2023年に総選挙をやると言っているがどうなるでしょうか。
答 NLDを解党するのかどうか。また、今の状況下ではNLDは選挙に参加しない可能性がある。現在の選挙制度の小選挙区制を比例代表制に変える。そうすれば、軍部の政党が18%の得票+軍人枠25%+軍政を支持する少数民族票で、50%以上を確保できる。そうすれば軍部の大統領が選出できる。来年の選挙は準備が整わないということで延期もありうる。さらに、こうした選挙に対してG7はダメだというだろうし、アセアンがOKを出すかどうかの問題もある。
②日本の進出企業はどうなるか。
答 日本の進出企業はODAとからんで護送船団方式。状況を見ている。キリンビールや天然ガスをめぐり三菱やエネオスなど一部企業が撤退した。他の企業もこのことによって、決断しやすくなっている。拡大することは考えられない。いずれ撤退するだろう。
③人民防衛隊と少数民族との関係について。
答 ロヒンギャと対立しているアラカン軍は距離を置いている。シャン州やワ州の少数民族も距離を置いている。カチン州のカチン民族は国境をはさんで中国側にも住んでいる。現場のカチン人の判断にまかされている。1988年の民主化闘争の時、1万5千人の学生が少数民族地域に入り、ビルマ人の戦闘部隊を作った。今回も若者たちが少数民族の所に行っている。このことは国軍を悩ましている。
在日ミャンマー
人からの訴え
この後、参加した3つの団体からアピールが行われた。
参加した在日ミャンマー人が「クーデターについて、ショックを受け、現実を受け入れられなかった。11月になってやっと整理ができ、自分のできることをやろうと街頭募金に参加した。根本教授がクラウド・ファンディングによって5500万円集めたのを知った。この方法で3月1日から1千万円集めることを始めたので協力してほしい。ウクライナで起こっていることはミャンマーも同じ。ミャンマーの報道が減っている。ミャンマーは平和になったわけではない。軍と戦って明るい未来を勝ちとりたい。ミャンマーを忘れないでほしい」と訴えた。
武蔵野五輪弾圧についての報告と立川における5・3憲法集会の案内が行われた。なお、4月10日(日)に日比谷公園でミャンマーの最大のお祭り・水掛け祭りが行われる。 (M)
根本敬さんの講演から
クーデターと抵抗運動
はじめに:今もミャンマー(ビルマ)で起きていること
2021年2月クーデター後の弾圧。①「尋問センター」におけるシステム化された拷問(特にメディア関係者に対して)。②非暴力のデモや住民に対する自動小銃、短機関銃、ロケット砲の使用③地方の村や町、少数民族居住地域に対する空軍機による爆撃④公務員の大量解雇(15万人以上、多くの医師・看護師・教員を含む)⑤「官製自警団(ビューソーティー)」による住民監視、告げ口奨励、略奪⑥コロナ禍で苦しむ人々からの酸素ボンベ強奪、医療行為妨害⑦逮捕者の家族から「保釈料」名目の「袖の下」強要。
講演の骨格
1 クーデターの背景を再確認する
2 文民統制を拒否する国軍
3 なぜ自国民を殺せるのか?
4 市民が目指す未来―不服従の広がりと長期化
5 市民が未来を託す国民統一政府(NUG)と「フェデラル民主制」
6 国民統一政府(NUG)と国際社会
7 正統性と実効支配が断絶するなか、機能しない仲裁外交
8 国民はアウンサンスーチーを支持しつつ、「個人崇拝」から卒業
9 おわりに―標的制裁の強化に向けて
1 クーデターの背景を再確認する〈1〉
(1)軍がつくった現行憲法の特徴(旧軍政期に15年間かけて作成、2008年公布)①文民統制と軍人統制の「役割分担」。軍はけっして文民統制を受けない。2011年、この憲法に基づき民政移管実施、旧軍政№4のテインセインが大統領に就任。②国軍の権限。行政 国防省(軍)、内務省(警察ほか)、国境省(国境治安)を管轄。2人いる副大統領のうち1人を必ず選出できる。大統領資格条項によりアウンサンスーチー氏の大統領就任を阻止できる。国家国防治安評議会で過半数(11人中6人)を軍人が占める。
立法 上下両院それぞれの定数の25%は軍人議員(国軍総司令官の指名枠) 特権 大統領が非常事態を宣言すれば全権を国軍総司令官に移譲できる。今回のクーデターで悪用されたロジック。
1 クーデターの背景を再確認する〈2〉
(2)国民民主連盟(NLD)の対抗手段→総選挙圧勝と国家顧問職の設置。
①2012年に実施された両院補欠選挙で圧勝(対象45選挙区で44人立候補、43人当選)②2015年11月総選挙でひきつづき圧勝(両院において民選議席の79・4%獲得)。テインセイン大統領は「敗北」を受け入れ。「NLD党首アウンサンスーチーの大統領就任は憲法の資格条項で阻止できる」と判断。ミンアウンフライン国軍総司令官の本音は、この段階でクーデターをしたかった?③翌2016年4月、NLDは憲法の規定を活用して「国家顧問」職を設置。同職にアウンサンスーチー氏が就任。「大統領の上に立つ文民官職」。憲法修正発議のハードルが高く、国軍が修正協議に応じなかった末の戦術。
1 クーデターの背景を再確認する〈3〉
(3)アウンサンスーチー国家顧問期(2016―20)における国軍との「冷戦」
①ウィンミン大統領(NLD)は憲法上は国家元首、しかしアウンサンスーチー国家顧問の指示に従う②大統領に開催権限がある国家国防治安評議会は国家顧問の指示で開催されず。〈なぜ、開催されなかった?〉・定数11の過半数が軍関係者というこの評議会で、国軍総司令官の人事が決まる。・2011年就任のミンアウンフライン総司令官が2021年に定年を迎えるなか、彼の定年の延長が提案され、採決されるおそれがあった。これを阻止するためには、彼の定年の日まで評議会を開催しないことが確実な方法だった。よって、国軍は強く反発した。
1 クーデターの背景を再確認する〈4〉
(4)民政移管後2度目の総選挙(2020年11月)。外れた国軍の思惑。
①総選挙が実施されてもNLDは過半数確保できないと判断(世論を読み間違える)。国軍系野党と軍人議員が少数民族政党の一部と組めば、国軍政権の実現が可能と計算②しかし、2015年総選挙時を上回る2度目のNLD圧勝(両院で民選議席の83%獲得)。直後から「有権者名簿の不正」と「総選挙のやり直し」を主張。受け入れられず、クーデター実行へ(憲法の「合法クーデター条項」を悪用)③クーデターの目的は、アウンサンスーチー氏とNLDを政治の世界から追放し、両者抜きで総選挙をやり直し、国軍系議員が過半数を占める議会を成立させること。そのうえで、ミンアウンフライン総司令官を大統領に選出する。
2 文民統制を拒否する国軍〈1〉
(1)旧軍政期(1988―2011)の代表的スローガン。「国軍だけが母、国軍だけが父、周りの言うことを信じるな、血縁の言うことを信じよ、誰が分裂を企てても、我々は分裂しない」。
(2)そのような国軍とはいえ、独立後14年間(1948―62)は「文民統制」に服していた。議会制民主主義の憲法を擁護、ウー・ヌ首相の段階的な社会主義経済化政策を支持(当時の国軍幹部と与党政治家たちは日本占領期に展開された抗日闘争の仲間同士)。しかし、1950年代半ばから反発を強める。(終わらない内戦、増えない国防予算、党利党略に走る政治家への不満)
(3)議会が混乱し、1958―60年に選挙管理内閣を担当、政治介入への自信を深める。
(4)1960―62年、復帰したウー・ヌ首相の国家運営に反発。
2 文民統制を拒否する国軍〈2〉
(5)国軍による社会主義の推進(1962―88)
1962年3月クーデターで議会制民主主義体制を終わらせ、文民統制に別れを告げる。軍主導のビルマ式社会主義を導入(ネィウィン独裁、1988年崩壊)。
①革命評議会による軍政(1962―74)を経て、ビルマ式社会主義計画党による一党独裁支配(1974―88)。
②ソ連型でも中国型でもない社会主義、マルクス主義(唯物論)を拒絶した独特のイデオロギー「人間が主体的に環境へ働きかけることによって、文明が成立する」。
③実態は農業を除く全産業の国有化推進(外資追放、私企業の「人民所有」化)。
④経済は長期停滞、国民への人権抑圧が強まり、1988年の全土的民主化運動へ。
⑤独立以来の中立外交は国を「閉じる」方向へ消極化、国民の出国と外国人の入国を厳しく制限。
⑥国籍法の改正(1982)による「土着民族」優先主義(インド系、中国系、ロヒンギャの周縁化)。
2 文民統制を拒否する国軍〈3〉
1965年11月ビルマ社会主義計画党(BSPP)第1回党セミナーにおける国軍幹部の発言「ビルマ国軍は政治闘争の中で生まれ、様々な武装闘争を経験してきた。しかし、一時期、国軍は自らの役割について〈軍にとって政治は無関係である、…経済や社会についてもそれは国軍の仕事ではない、我々の唯一の義務は国防に尽きる〉と考えていた。こうした狭い了見のために、国軍はそれまでの革命の遺産をほとんど失いかけるに至った。…しかし、ネィウィン将軍の指導により、…国軍は1962年3月2日以降、社会主義革命を担うことによって、自らの革命の遺産を取り戻したのである。」
(1)独立以来74年間、休むことなく戦い続けている国軍
・「外敵」は1949年末~50年代半ばの中華民国軍(国府軍)のみ(ビルマ東北部侵入)
・そのほかの「敵」はすべてビルマ(ミャンマー)連邦内の居住者。
①武装勢力 ビルマ共産党(2派)、人民義勇軍(PVO)白色派はビルマ民族中心。カレン民族同盟(KNU)、カチン独立軍(KIA)ほか20以上の少数民族軍を敵に回す(大義名分は「連邦の治安維持」)。少数民族居住区における一般住民に対する人権侵害が日常化。村の焼き討ち、ポーター徴用、女性への抑圧など。
3 なぜ自国民を殺せるのか〈1〉
3 なぜ自国民を殺せるのか〈2〉
②非武装の人々 国軍による3回にわたるクーデター時に抵抗した市民を殺害。
1962年3月2日 第1回クーデター(軍主導のビルマ式社会主義の開始)。ラングーン大学学生同盟の学生たち数十名を建物爆破で殺害。
1988年9月18日 第2回クーデター(民主化運動を封じ込め軍政を施行)。1000名前後の学生と市民を殺害、その後も2007年に大量殺害。
2021年2月1日 第3回クーデター(NLD政権を倒し、国軍総司令官が全権を握る)。2022年3月10日現在、1642人の市民を殺害。1万2600人を逮捕(うち293人死亡)。1973人に逮捕状(未逮捕)、44万人以上が国内避難民に(主に少数民族)。
3 なぜ自国民を殺せるのか〈3〉
(2)国民の中に支持基盤をつくらなかった国軍(つくる必要がなかった)。なぜなら、国軍だけで「食べていける」経済利権を形成していたから。ビルマ式社会主義期(1962―88)や軍政期(1988―2011)にさまざまな動員を実施。いずれも強制性を伴い、国民の自発性に基づく支持基盤ではなかった。
どのような経済利権? 1950年代から存在する国軍系複合企業体という闇。1990年代に2つの持ち株会社を設立。MEHLとMEC。
株主は国防省国防調達局+10数万人の国軍将校ら個人。国家予算の国防費(年約2500億円、会計監査なし)を上回る株主配当金、非公開、非課税。
3 なぜ自国民を殺せるのか〈4〉
国軍の経済利権は1950年の国防協会(DSI)設立が始まり(長い歴史)。独立直後の内戦に苦しんでいた当時、将兵と家族の生活必需品と国軍の収入源を確保するために自前の企業群をつくる。10年ほどで銀行、保険、海運、貿易、メディア等を擁する一大企業グループに成長。ビルマ式社会主義期(1962―88)にはすべて国有化。1988年以降の軍事政権下で民営化を推進、2つの「持ち株会社」を1990年代に創設、元国営企業ほかを傘下に入れる(宝石会社のように国営のまま残ったものもある)。これに加え、天然ガス(海底ガス田)、ヒスイやルビー等の資源開発から得られる莫大な収入も(軍系複合企業体からの株式配当を上回る?)。
3 なぜ自国民を殺せるのか〈5〉
(4)まとめ
①73年間たゆまず自国民相手に戦闘してきた経験(現在完了進行形)。
②1962年以来、59年間、政治に直接関与・介入してきた「自信」(その間、軍の分裂なし)。
③経済的基盤を確立し、「自分たちだけで食べていける」体制を数十年かけて確立。この結果、国軍から見た国民は「守る」対象ではなく、力で「従わせる」対象と化し、従わない国民は武装していようがいまいが「敵」とみなすようになり、状況次第では平気で殺せるようになった。脱走将校と兵士らの証言によれば「軍を支持しない国民に対する恐怖心」も影響。
(つづく)
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