9.7関東大震災101周年 韓国・朝鮮人犠牲者追悼式
大虐殺を忘れない
【東京】9月7日午後3時から、荒川河川敷木根川橋下手で「関東大震災101周年 韓国・朝鮮人犠牲者追悼式」が関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会、一般社団法人ほうせんか、100周年追悼式実行委員会「百年」の主催で開かれた。この荒川河川敷での追悼式は43回目となる。
開会のあいさつを愼民子(シン ミンジャ)さん(関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会)が行った。
民族差別・浄化を許さず闘い続ける
貴方たちが、殺されて101年が過ぎました。私たちは、貴方たちを探してきたけれど、どうしても、見つけられないままです。せめて、貴方たちが、この場で、あの街で、仕事をしたり、ご飯を食べたり、仲間と語らい、笑ったり泣いたりして生きていたことを想います。
貴方たちに逢いたくて、今日、沢山の人がここに集まりました。貴方たちのいきどおり、くやしさ、いかりをこの身の一部にしたいです。そして、繰り返させない力としたいです。いつでも、あなたたちとともにいます!
この河川敷が、事件が起きた場所の一つであることを知って、貴方たちの遺骨を求めて試掘したのが、事件から59年目の1982年の事でした。それだけ、国に隠されてきた歴史でした。でも、この地域では、人々の記憶として残っていました。追悼する会では、たくさんの証言を聞いて記憶し、追悼碑を建てることもできました。東京でもあちこちで起きていた事件の中で、ある程度まとめて記録に残すことができたのは、旧四ツ木橋周辺を中心とした地域だけでした。ここを残すことができて、どこででも朝鮮人がいたら同じようなことが起きていたことを明らかにできました。
事件は正に「民族差別・民族浄化」であったけれども、「殺される恐怖、殺す恐怖」が、被害・加害の側という立場を越えて、共有されるようになったことは、100年目の大きな成果ではないでしょうか。「殺されるかもしれない恐怖」「殺してしまうかもしれない恐怖」は背中合わせ。長い人間の歴史と広い世界を見てみたら、誰しもが「加害側」になりうる恐怖を想います。「人として、加害するものになるのか」という問いが、何より大事かと、今、私は思うようになりました。
事件は、世代を超えて、「関東」という地域を越え、国を越えて、認知・継承されるようになりました。私たちの地道な取り組みが広く力を得ていると確信します。
しかし、外に目を向けてみると、国や地方自治体は事件を認めないし、ヘイトスピーチ、ヘイトクライム事件は後を絶ちません。未だに、出自・民族や国籍や見た目にかかわる恐怖が継承されています。実に悔しい、情けない、許しがたいことが少なくないのが現実です。
そうした状況を少しでも変えるべく、道は長く遠いかもしれないけれど、めげることなく一歩ずつ、私たちは、歩んでいくことを、この追悼の場で誓います。新しい100年の始まりです。皆さんとご一緒できてうれしいです。
一週間前に日本人と会った。自分のおばあさんは逃げてきた朝鮮人を助けた。その話をおばあさんは自分の息子に伝えた。この追悼碑に案内すると手を合わせて、感動してくれた。本当にいいものを作ったねと喜んでくれました。そこで私が思ったのは当時、朝鮮人を助けたおばあさんはその話を周りの人に語れなかった。助けたことを語ることも怖かった。そういう百年前だった。この町には残っている記憶が出てくる、それを聞かせてもらえた。ありがとうございます。
続いて、追悼の歌を李政美さんとピアノ伴奏を武田裕美子さんが行った。澄んだ綺麗な声で「京成線」と韓国の抵抗歌であった「朝露」が披露された。朝露の作詞・作曲者の金敏基さんが7月1日に亡くなったということで追悼の歌としても歌われた。
次に「ペンニョン」が活動報告を行った。「ほうせんか」の意思を継ぐ団体として2021年に若者たちを中心に「ペンニョン」が作られた。関東大震災時の朝鮮人虐殺について、草の根で伝えていく活動をしている。虐殺の証言を凧に書き、揚げるイベントもやってきて、今回凧を準備して、開催と同時に揚げた。
遺族による虐殺の生々しい証言
二人の遺族の証言が読み上げられた。
チョウさんの証言。
四ツ木橋を渡って、一日の晩かたまっていたら、消防団が4人来て、縄でじゅず繋ぎにされた。縄を切ったら殺すと言われた。翌日の5時頃、寺島警察に行くために四ツ木橋を渡った。そこへ3人連れてこられて、その3人は袋叩きにされて、殺された。俺の足にも鳶がささった。橋は死体でいっぱいだった。
チンさんの証言。
荒川堤防。京成線鉄橋あたりで、うとうとしていると「朝鮮人をつまみだせ、朝鮮人を殺せ」などの声が聞こえた。まもなく向こうから武装した一団が寝ている避難民をひとりひとり起こし、朝鮮人であるかどうかを確かめていた。私たちのほとんどが日本語を知りません。そばに来れば朝鮮人であることがすぐ分かってしまう。
自警団は朝鮮人を見つけるとその場で日本刀を振り落とし、または鳶口で突き刺して虐殺した。いっしょにいた20人くらいのうち、自警団の来る方向に一番近かった荒川堤防工事で働いていた人、日本語はほとんど聞き取ることができなかった。自警団が彼のそばにきて、何か言うと、彼は私の名を大声で叫び、「何を言っているのか分からんので通訳してくれ」と声を張り上げた。その言葉が終わるや否や、自警団の手から日本刀が振り落とされ、彼は虐殺された。次に座っていた男も殺された。そのまま座っていたら私も殺されることは間違いありません。私は横にいる弟と鉄橋から飛び降りた。
この会にはれいわ新選組の櫛渕真理衆議院議員が参加して、哀悼のあいさつを行った。そして、韓国民団と朝鮮総連の両組織が今回初めて参加したことが紹介された。追悼式が終わると参加していた民族衣装を着た韓国・朝鮮人を中心に踊りが披露され、参加者の日本人も加わって壮大な追悼が行われた。
忘れてはならない朝鮮人虐殺事件であり、二度と起こさないために、記録・記憶を引き継いでいかなければならない。 (M)
式典が終わった後、参加者が踊りをともにして犠牲者を追悼した
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