11.11 柳川秀夫さん・平野靖識さんが陳述

横堀農業研修センター第4回裁判傍聴行動

 11月11日、横堀農業研修センター第4回裁判傍聴行動が行われた。この日は柳川秀夫さん(被告)、平野靖識さん(三里塚歴史考証室)の証人尋問が行われ、陳述書を陳述した(柳川陳述書〈別掲〉/平野陳述書〈次号〉)。
 閉廷後、千葉県教育会館で裁判報告集会を開催。43人が参加。
 柳川さんは「ご苦労様でした。裁判なんかやりたくないけれども、あの場所が裁判でとられようとしているのは事実。来年にも裁判が終わったらどうなるのか。放っておけない」と述べた。
 平野さんは「最近空港会社はシンポ・円卓会議で約束した『空港建設にあらゆる強制的手段はとらない』の『あらゆる手段』に民事裁判は含まれないと主張。裁判所もそれを認めている。『あらゆる』には行政代執行以外も含まれることを今日は強調した」と発言。
 清井弁護士は「今日の証言で話しきれなかったところは追加の準備書面で出し、反論していく」と報告。
 元合宿所常駐者で被告の吉澤茂さんは「合宿所を去って25年。ここに来るのが精一杯。複雑な心境で当時の気持ちと現在は乖離があるが、思いだけでやってきた」と述べた。
 元合宿所常駐者で被告の佐藤幸子さんは「毎回裁判では学び直しがある。今回は大木よねさん。今日も学ばせてもらった。柳川さんの土地にかけた思いを久しぶりに聞いた。ここに来ると、ぶれないで原点に立とうぜという励ましをもらう」と述べた。
 続いて壁画の絵を描いたおかのまめさん、関西の渡邉充春さん、中川憲一さん(管制塔被告団)が発言。
 次回は2月17日13時45分。千葉地裁601号。
 (一般社団法人三里塚大地共有運動の会ブログ転載)

陳 述 書 2024年11月11日  ①

栁川秀夫 

 第1 空港反対同盟、自身の経緯

 1、私と空港問題とのかかわり

 私は、1947年に、芝山町の字宿で生まれました。
 空港問題が起きた1966年当時は19歳で、地元の農業高校を卒業した頃です。
 当時は、家中、周辺全体が空港反対で、家に残っている、農家の長男だから空港反対運動に関わるのは当然、自然でした。当時は特段、何かを考えて、と言う訳でもありませんでした

 2、反対同盟について

 三里塚芝山連合空港反対同盟(以下、反対同盟と言います)は、それまで三里塚と芝山にそれぞれあった空港反対同盟が、1966年に連合してできました。
 委員長はキリスト教会の戸村一作さん、事務局長は北原鉱治さん、行動隊長は内田寛一さん、副行動隊長は熱田一さんでした。皆それぞれ各地域の有力者・人徳者でした。私たち若い者は、この親同盟とは別に青年行動隊(青行)を作り、婦人行動隊(隊長 長谷川たけさん)とともに行動していました。
 1970年代後半、戸村委員長が亡くなった後の頃から、種々の支援党派の絡みがあって、反対同盟の中で亀裂が生じ始めていましたが、1983年、下記の一坪共有地の再共有化を巡って決定的な対立となり、いわゆる「3・8分裂」といわれる事態となり、私たちは熱田一さんを中心とする反対同盟(熱田派、後に元熱田派)でー坪共有地再共有化運動に取り組むことになりました。
 私はまだ熱田さんが反対同盟(熱田派)の中心だった頃、熱田さんを補佐するために「代表補佐」をやっていましたが、熱田さんが抜けた後は、「世話人」と名称が変わっています。「代表補佐」、「世話人」は全部で4名で、石井武さん(東峰)、小川源さん(木の根)、笹川英祐さん(白桝)と私(宿)の4名でしたが、この中で代表者は決めていませんでした。石井さん、小川さんは亡くなり、笹川さんは円卓会議終了後、反対運動は終わったとして反対同盟から離れていき、その後は私1人が「世話人」として残ることになりました。

 第2 一坪共有運動と農業研修センター

 1、一坪共有運動

 一坪共有運動とは、空港建設反対運動の一環として実施され、反対運動の大衆化、全国化を目的に、反対同盟の構成員又はその活動に賛同した人々が、一筆の土地の共有持分を少しずつ保有するという運動です。
 反対同盟が分裂をした後の再共有化運動の中心となったのが大地共有委員会で、代表は堀越昭平さんでした。再共有化運動の趣旨は、千葉県警による大量な常設警備と徘徊、不必要で執拗な検問などという日常的な弾圧や嫌がらせもあり、種々の事情から地域外に移転する人が増え、反対同盟から多くの人たちが抜けていく中、広く共有名義を持ってもらって、成田空港建設反対闘争の基礎を固め、さらに運動を拡大しようとするためであり、土地強奪の強行手段である強制収用を如何に阻止するかは最大の課題でした。

 2、横堀農業研修センター

 本件の当該土地は、もともとは尾野良雄さんの屋敷があった場所です。農地では、その所有権を移転するためには農地法に基づく許可を受けなければならなかったため、尾野さんは農地ではなく農村内宅地の敷地を一坪共有運動に提供したのでした。
 当該土地は、最初は11名での共有でしたが、空港反対運動の進展や再共有化活動の経緯を経て、1988年から本件の被告となった私たち4名が、それぞれ1/198づつの共有をすることになりました。

 横堀農業研修センターは、反対同盟の呼びかけのもと「三里塚闘争に連帯する会」と「三里塚空港廃港要求宣言の会」の三者で、三里塚闘争連帯労農合宿所(1997年に横堀農業研修センター)として、1977年に開所しました。
 「三里塚闘争に連帯する会」は1974年参院選全国区に立候補した戸村一作さんを支援する「三里塚闘争と戸村一作氏に連帯する会」が改組された組織で、「廃港要求宣言の会」はベ平連などで活躍された前田俊彦さんが代表になっていわゆる文化人や全国の住民運動・労働運動などの活動家なども名を連ね1976年に結成されていました。
 1977年以後、45年以上にわたって、巨大開発や強者のゴリ押しによる生活破壊や人権侵害を問い続ける場として、初めて三里塚に来た人や、党派など組織に属さない人も含めて、空港問題に限らず様々な社会問題に関心を持つ人々によって活用され、支えられてきました。

 第3 有機農法・産直運動への取り組み

1、農業を囲む従来の価値観への疑問
      (つづく)

裁判報告集会で発言する被告たち(24.11.11)

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