沖縄訪問記

心に残る毎日が基地との闘争

各地でさまざまな課題で闘いが続く

 2024年11月、3泊の日程で沖縄島を訪問した。2024年はキャンプシュワブゲート前で座り込みを始めて10年、という節目の年でもあった。継続して座り込む人たちの話を聞くよい機会だが、できることならまとまった期間ゲート前に通った方がゲート前に心を寄せる人たちがどういう問題意識をもっているか、全体像を知ることができる。

 辺野古の闘いの
 歴代映像を見る

 ある日の夕食後に2018年までの辺野古をめぐる映像を見せてもらった。亡くなってしまった翁長知事、オール沖縄体制での座り込み開始、やがて始まった埋め立て工事強行に対しスクラムを組んで文字通り体をはってたたかう姿が描かれていた。人々の必死の抵抗は機動隊員に引きはがされ、高揚感と口惜しさを見ている側にかき立てる映像の力は力強い。その日見ている人たちは、見終わってしばらく言葉を発することはなかった。
 その前日辺野古周辺で宿泊した人が集まって交流したときに、初めて辺野古のゲート前に来た数人から機動隊員に「ごぼう抜き」されるときにもう少し抵抗するものではないか、と感想が控えめに出されていた。特に土地開発にともなう立ち退き強制に抵抗する運動にかかわった経験のある人は違和感を強く持ったようである。
 沖縄で毎日の座り込みを支える人はともかく、たまにしか行かないヤマトンチュの自分は,そう言われて闘争ではなくルーティンとしてしか1日3回の「阻止行動」の一部に参加していないではないかと突き付けられたように思った。ダンプカーに身を挺して立ちはだかるような抵抗は、表面的には少なくなった。「ごぼう抜き」を負担に思わなくなったせいか、警察官がゲート前常連の人に軽口をたたく場面は何度も見られ、忙しいとき(参加者の数が多く、抵抗が激しい時)はいら立ちを隠さない警察官の様子を見てきているので、腹だたしい。
 しかし参加者は粘り強く警察官のおこないがいかに間違っているかを時に声を荒げつつ、言って聞かせている。この数年で合計するとキャンプシュワブゲート前で100件を超える逮捕(その多くは不起訴)がおこなわれているというが、弾圧は座り込み行動に対して不当な圧力をかけ続けている。攻防の象徴的な場面を長いスパンで知ってもらうということからすれば、新しく参加する人と共有すべき映像記録は大きな意味を持ち、その中では大浦湾の軟弱地盤にみられる基地建設推進側の明らかな矛盾をどう説明し続けるか、ということも大きなテーマである。
 ゲート前の誘導などを担当するテイケイ(帝国警備)警備員も個人差はあるが、ロボット風の所作に磨きをかけていて、円陣を組んで責任者が訓辞を垂れる光景も大っぴらにみられるようになった。あまりに多くの樹木を伐採したので隠れる場所がなくなったせいもあるかもしれないが、こうした振る舞いの徹底が、道理でせまる抗議参加者に心を動かされないよう、感情を殺す儀式的な効果も意図されているのかもしれない。

 土砂投入への
 闘いが始まる

 11月13日から大浦湾側への土砂投入開始と報じられている。これまでのゲートから名護市街地寄りへ1キロ以上にわたり森をすべて伐採し、誘導路、ダンプカーの停車だまりを整備してきた。そして無謀にも軟弱地盤へのくい打ちを行ってきたのだが、ついに土砂を投入するというのである。
 同時に自衛隊も使用できる弾薬庫の整備、既に存在する米軍弾薬庫はむき出しで見える地点があり、珍しいのではないかという説明を受けた。沖縄・南西諸島だけでなく九州、山陰、関西にも拡大する弾薬庫新設の動きは、実際の戦闘開始を可能にする火薬庫を抱える事態であり、この危険を食い止めようとする住民の運動に連帯しなければならない。
 車両搬入口のそばでは美謝川の河口周辺の付け替え工事が派手に行われている。川からたまった水は船舶、軍事車両の洗浄に使われるのではないかという説明も受けた。稲嶺名護市長の任期中にはこの工事は阻止できていたが、今の渡具知市長は2022年再選の前から反対姿勢を示さず、市民による不服審査請求などを無視して工事を追認したのだった。
 11月10日の集中豪雨によって比地川の氾濫がおこり、国頭村、大宜味村、東村など名護以北地域でかなり大きな被害が出た。辺野古でこれだけ多くのダンプカーが市民の制止を振り切って軍事基地建設に動員される現状を前に、「ダンプカーはまず、大宜味村へ行きなさい。災害復旧が先でしょう」と叫ぶ人もいた。全くその通りだ。
 この時期サンゴ移植再開も報じられているが、アリバイ作りもほどほどにしてくれ、というのが海上で抗議行動を続ける人が共通していうことである。大浦湾の工事に着手する前に、辺野古崎方面、平島、長島に近い海域は予定した護岸内の埋め立てが終わり、海流がかなり変わってしまっている。海中生物がどれだけ殺されたかということを政府、米軍が検証して公表する姿勢があれば、サンゴ移植などではなく、工事中止を決断するしかあるまい。
 11月14日は国頭村の牧草地に、UH1輸送ヘリが不時着している。こういったことが沖縄の日常だが、ヤマトのメディアで報じられることがない。同じ日に陸上自衛隊は発表した。日米軍事共同演習キーンソード25を強行した与那国島において、輸送機V22オスプレイがバランスを失い機体損傷した事故(10月27日)について「ボタンの押し忘れで人為的ミス」と片付けた。あまりにも欠陥機として有名になりすぎたオスプレイについてその説明で通るとは思えないが、仮にミスだったとして、それを誘発する人手不足、戦時体制への加速という構造的要因を自衛隊が隠しているか、または自覚を欠いているとすれば問題である。
 事故を目撃した上原正光さんは各メディアに「危険で許されない事故」と証言しているが、市民の継続した監視行動がなければ小さな事故は放置され、次の大きな事故につながってしまう。沖縄にとどまらないが、オスプレイの低空飛行訓練をはじめ、運用そのものを全国でゼロに近づけなければならない。

 死亡事故もた
 らす軍事優先

 2024年6月28日に安和桟橋搬出入口で起きたダンプカーによる事故は、抗議の市民一人が重傷、警備員一人が死亡という痛ましい出来事だった。産経新聞のようなメディアは牛歩という抗議形態が招いた事故であるかのように書き立てた。
 対して、抗議行動に参加する人たちは慰霊行動に取り組み、仲間の容態を心配するだけでなく、警備員も見知った人である可能性があるために、受けた衝撃を隠さなかった。事故の第一の原因は土砂などの搬出入速度を上げることに必死なあまり、現場の安全を無視した防衛省、那覇防衛施設局の怠慢にある。彼らは真剣な原因追及を避けることに専念している。道路に面した出入り口にダンプカーを2台ずつ並べて発進させようとすれば死角がたくさん生まれることは当たり前で、こうした安全軽視の姿勢がいちいち軍事優先の姿勢と通じる危険について阻止行動に参加する仲間は訴えているのである。すでに再開した安和での搬出入は歩道での歩行者通行排除を徹底する姿勢を警察などが強行していて、出入りするダンプカーの台数は事故前の2倍になったそうである。

 軍事施設が
 観光拠点に

 限られた時間で何カ所か訪ねた。嘉手納「道の駅」は2023年あたりに従来駐車場として使っていた場所をフードコートに改装して、展望台を道にまたがる形で拡張して、滑走路見物を観光拠点として押し出した。学習展示室は騒音、接収の歴史などを知る良い場所であり、リニューアルされて展示内容がどう変化したか確認できなかった。道の駅だけ見ると融和的になったかに見える嘉手納町だが、11月12日以降のF35ステルス機などの深夜帯発進が相次ぎ午後10時台、午前2時台に100デシベルを超える爆音が記録される被害を受け、町長は那覇防衛施設局長に抗議文を送らなければならなかった。
 普天間基地が見渡せる嘉数高台は日本軍にとって激戦の象徴とされるが、この日は米軍関係者と思しき一団も見学にきていた。米軍側も最も多くの人命を失った地点であるから訪れるアメリカ人は少なくないということは、言われてみれば納得するところである。この日、座り込みなどに来続けている人のはからいで、嘉数において横田チヨ子さんの話を聞く機会に恵まれた。横田さんは現在96歳で、16歳のとき、サイパンで地上戦に巻き込まれ、家族を失いながら生き延びた人である。そうして肉片が飛び散る地獄を見てきた人が「軍事基地は許さない」というのを聞き、安和、塩川で今も阻止行動に参加すると聞いたとき、その意気軒高に若い人のほうが元気づけられるかもしれない。軍事基地を拒否する原点を確認するために、何度でも横田さんのような人の話に耳を傾けなければならない。
 糸満の平和資料祈念館、平和の礎、あるいは魂魄の塔などにはゆっくり滞在できなかったが、平和ガイドの経験豊富な沖本裕司さんから懇切なレクチャーを受けた。特に平和の礎に刻まれた石垣島の家族の名前を指しながら、日清戦争などで中国大陸に出征して戦死した人、マラリアでの死に追いやられた人が刻銘されていることの説明を受けたことは印象に残った。戦争体制が強いる様々な役割を担わされて殺されていく様は、沖縄周辺においてこそ様々な要素が交差していて、そこを追うことなしに戦時体制構築を阻止することはむつかしいということである。
 それは読谷(チビチリガマ、町役場周辺など)を訪ねた時にも思ったことだった。軍隊が住民と対峙するシステム、住民が生活する権利を失い、強制移住に駆り立てられる過程。そこに性暴力加害と慰安所というシステムは厳然と作り上げあげられ、沖縄においては防諜意識がより加味されて、戦争終結で終わらない課題、実は沖縄にとどまらない課題だが、そのことを日常のなかで感じる時間はあまりにも少ない。

 PFAS汚染
 との闘い進む

 PFAS汚染について、東京周辺では横田基地に対する取り組みが進んでいるのを聞くだけで関われていないが、沖縄では辺野古も連動しながら運動は進んでいるという印象だ。集会で使用する映像をチェックするところに出会ったが、その映像の中では元ニュースキャスターの平良いずみさんが深刻なPFAS汚染に対して危機感を強めて運動を広げようと決意する様子が描かれていた。
 沖縄の米軍基地では2016年に流出が発覚し、2020年には普天間基地から大規模な泡消火剤の流出があった。初めて戦争推進、軍事拡大こそ環境汚染ということを明確に訴えている人には力強さがある。この問題は男性の訴えに心を揺らすものがないという指摘は重い。
 沖縄愛楽園も3度目の訪問だが、今回安和等で阻止行動に取り組んできた人に案内をしてもらうことができ、短い時間でまんべんなく教えてもらった。ハンセン氏病とされた人々が迫害を受け野宿生活を経て、たどり着く中で1938年に開園された屋我地島の施設である。慰問に熱心だったといわれる貞明皇后(大正天皇の妻)の歌碑も初めて見た。
敗戦が決定的になり、GHQの目をはばかるためか、入所者の手でいったんは海中に沈められたこともあるという代物である。交流会館内の展示室には印象深い展示が並ぶが、入居者自治を伝える資料、菊池恵楓園(熊本県)で仲間の冤罪を晴らすために書かれたビラなどを初めて見た時の記憶は強烈だったが、まだまだ知るべきことは多い。ここの展示室も最近リニューアルされていた。

 韓国・台湾な
 どからの参加

 今回の日程で交流した人の中には韓国、台湾、香港、中国からの参加者がいて、沖縄の地で様々な人の考えの一端を知ることには大きな意味があった。また、沖縄の比較的若い世代の人からも、学生時代から反基地運動を冷笑的に見てしまう傾向とSNSばかりで情報を得る特徴との関係を教えてもらい、腑に落ちる面もあった。
 だからといって沖縄の世代間で沖縄戦体験などが語り継がれていないということでないらしく、肝心なことは沖縄での動員の多寡にヤマトのほうで一喜一憂している場合ではないということと考えたりもした。
 韓国の参加者は済州島・江汀(カンジョン)での経験を中心に話をしてくれた。海軍基地建設に反対し、15年以上も阻止行動をおこなっている。リーダー的存在の人が基地の鉄条網を切って逮捕収監中だという話をその人が笑いながらしてくれた時、いたずらに悲壮ぶるだけではないという韓国の闘争の奥深さを感じた気もするが、これには勘違いもあるかもしれない。
 話していて若い世代になるほど、軍事的情勢、反基地運動のダイナミズムではなく、自分がどうかかわりたいのか、もっと言うとどう自分を解放していくのか、というような意識を持っている人が持続して取り組み続けているのかなという感想もわきあがってくる。そこには平和運動、反軍事基地の行動の中でこそジェンダーについての多様な潮流を理解しているのかどうなのかということも含まれていると思うが、表立ってそういう討論にはならなかった。
 また、米国大統領がトランプと決定した後でもあったので、米国内の労働者と連動した日本の労働者階級云々とのたまっていて、香港の人から「中国の体制についてはあまり問題視していないようですね」と指摘されたときに、日本より何段階も上をいく監視弾圧体制を敷いている中国に対して幻想めいたものは自分の中でも払しょくできていないのかもしれないと感じた。
 辺野古ゲート前にも日中平和友好などと書いたプラカードを何枚も見かけることはあるが、台湾、香港、中国の人を前にして話すとなおさら、国家レベルの友好だけを志向していては意味をなさないということは、対面での交流の機会を持ってやっとわかることだ。情けないことだが、そのことだけは肝に銘じて行動に反映させたい。
(海田)

抗議はねばり強く続く

瀬嵩から埋め立て現場の説明を受ける

ゲート前で続く抗議への弾圧

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