投書 事件報道の構造は変ったのか

SM

 無実の人を犯人扱いして逮捕する。証拠をねつ造する。左翼や市民団体を敵視して、敵対する。立花書房と『月刊治安フォーラム』の発行など「警察の秘密活動」ではないか、と私はうたがっている。警察は「正義の味方」だ。子どものころはそう考えていたかもしれないが、いまは違う。警察は「悪の組織」だ。それがいいすぎなら、半分は「悪の組織」だ。日本の警察は、「市民を虐殺するミャンマーの軍隊」や「黒人を射殺するアメリカの警察」とどこがちがうのか。戦争中の行為についてもなにひとつ謝罪すらしていない。マスコミも警察とおなじだ。すくなくとも犯罪報道と皇室報道に関しては、「リベラル系」の新聞を含めて、信用できない。そう思っている。
 「当時の記事を実際に読んでみると…袴田無罪判決で新聞が謝罪、事件報道の構造は変ったのか」(『創〈つくる〉』2024年12月号、44~51ページ)を読んだ。それによれば、新聞は袴田巖さんについてこんな報道をしていたというのだ。「“悪魔のような”とはこんな人間をいうのだろう」。「袴田は、とても常人のモノサシでははかりしれない異常性格者である」。ゆるしがたい報道だ。あやまればいいという問題ではないが、『創』によれば『毎日新聞』『東京新聞』『朝日新聞』は「おわび」の記事を載せているという。ほかの新聞社やテレビ局はどうだったのか。すくなくとも『創』にはなにも書かれていない。
 「過去の問題」だけではない。現在はどうか。「犯罪報道の構造的問題は、捜査側の情報をいかに早く抜くかというのがスクープ合戦の内実であるというところだ。確かに捜査側が圧倒的な情報を持っているから、それをいかに早く入手するかに報道の主眼が置かれるわけだが、問題はそれによって報道が警察と一体化していくことだ。捜査側の思いが報道側の思いになっていくから、捜査側と一緒になって冤罪を作り出していくことになる。本当は捜査内容を検証し、権力の動きをチェックするのが報道本来の役目なのだが、現実はそうなっていない。捜査情報を少しでも早く抜くことが、特ダネとして称揚される。その基本構造自体は、今日でも基本的に変わっていない」(『創』2024年12月号、46ページ)。「冤罪は警察だけでなくマスコミも一緒になって作り上げると言われる……」(同、50ページ)。「袴田事件や松本サリン事件の報道のような過ちから、メディアが完全に抜け出せているかといえば、そうも言えない気がするのだ」(同、51ページ)。
警察もマスコミもいっしょだ。あやまちからぬけだせていない。警察はこれでいいのか。マスコミはこれでいいのか。それが問題だ。(2025年1月6日)

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