パレスチナ、与那国、馬毛島現地からの報告

12.1年末恒例の荒川地域集会
運動主体としての視点を問う

 【東京】2024年12月1日、東京・荒川区の区立さつき会館で「反戦反差別荒川集会」が開かれた。地域内外で活動する市民ら約30人が集まった。映画の上映と3人の講演で盛りだくさんの集会となった。
 冒頭に司会の三井峰雄さんから開会の発言があった。

ドキュメンタリーに寄せる思い

 「私はこの集会に1988年に初めて関わったが、前年の1987年に『第一次インティファーダ』があった。ちょうど12月のことだ。その3カ月後にパレスチナ駐日代表部から、『運動に使ってください』と、闘いを記録したビデオを渡された。それを私と友人の家で保管し、私たちはこの映像の吹き替え版を作った。そして翌年にこの集会で上映することができた」。
 紹介後に上映された作品は『クルフ・シューバ』(1974年・40分)。パレスチナ難民が武器を持ってイスラエルの侵略と闘った記録映画だ。
 1975年から1976年にかけての内戦時に撮影された記録映画『レバノン内戦』が製作されたのは1978年。この作品が2015年の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」で初めて上映された。このプリントをベイルートで購入し、日本での配給を計画したのが故・若松孝二監督である。しかしこの上映運動は大きな成功にはならなかった。
 1996年にPLOが東京事務所=駐日代表部・1977年開設=から撤収する際に、大量の書籍や雑誌と共に、十数本の16ミリフイルムが残されていた。本作はその中の一本である。

マスコミ報道をなぞるだけでは

 東京外語大の藤田進教授は、「中東の戦争と東アジアの緊張をめぐって」と題した講演をした。(別掲)
 講演終了後の質疑応答では、以下のような質問が参加者からあった。
 「イスラエルは追い詰められているが、国連ではインドもイスラエルを支持している。イスラエル軍のなかにはアラブ人もいる。その人たちがパレスチナ人を虐殺できるのか。結局のところハマスも悪いのではないか」。「それはメディア報道をなぞっているだけの立場だ。まず民衆の側に立ち、その意思を踏まえて考えていくべきだ。根本的な動きは、メディア報道からは読み取れない」。「イスラエルの人口の20%はアラブ人だ。これらは占領地のアラブ人より生活水準は高いが、市民権では差別されている。ネタニヤフは自身への悪評を、ハマスへの怒りにすり替えた。中東の権力は民意と乖離している」。藤田さんは冷静に回答した。

市民の映像から事故が明らかに

 沖縄一坪反戦地主会・関東ブロックの大仲尊さんは、「与那国島への棄民策 自衛隊基地の拡張・機能強化が進む」と題した報告をした。
 2024年10月27日、日米合同軍事演習「キーン・ソード25」において、与那国駐屯地で患者輸送を行っていた陸自のオスプレイV22が離陸に失敗し、損傷を受ける事故が発生した。飛行は中止され、陸自は保有の同機17機のすべての飛行を中止した。
 この事故は奇しくも、監視行動を続ける市民によって一部始終が記録され、SNSに流されて公になった。この目撃者たちがいなかったら、今回もまた自衛隊によって隠ぺいされていただろう。事実、事故の日は衆院選挙の投票日であり、防衛省が事故を公表したのは投票箱が回収された午後9時半過ぎである。
 大仲さんは「空飛ぶ棺桶」と揶揄されるオスプレイの危険さを厳しく糾弾。昼夜を問わない飛行訓練をはじめ、与那国島の琉球列島最大の湿地帯「樽舞湿原」における自衛隊のための港湾建設、「台湾有事」の名の下に進む先島諸島2万人島民の本土への避難計画など、植民地政策、棄民政策ともいえる国のやり方を淡々と批判した。

反対派市長の目に余る変節ぶり

 この集会に急きょ駆けつけた和田伸さんがマイクを握った。和田さんは、「どんたちの馬毛島を返してや――馬毛島基地反対住民訴訟支援ニュース」の編集責任者だ。
 2011年6月、民主党政権下の日米安全保障委員会(2+2)で、鹿児島県西之表市馬毛島が米軍空母艦載機離発着訓練(FCLP)の恒久的な施設の候補地とされた。翌月には当時の長野力市長が反対を表明。市庁舎前では多数の市民らが抗議活動を展開した。
 2017年の西之表市長選で「軍事施設絶対反対」を掲げて当選した八板俊輔市長は、2021年に賛成派候補を僅差で下し再選を果たす。一期目は一貫して軍事施設の建設に反対し続けたが、2期目の2022年2月に態度をガラリと変えた。再編交付金や自衛隊宿舎建設を容認し、島内の学校跡地を防衛省に売却するなど、基地誘致への地ならしを続け、基地建設に事実上のゴーサインを出した。

終の棲家として移住してきたが

 住民訴訟は2023年12月、八板市長による私有地の格安な売却、市道の廃止、裁量権の濫用などの違法性を告発して、鹿児島地裁へ提訴。市長と国に2億3430万円の支払いを求めた。
 第一回口頭弁論は24年3月に鹿児島地裁で開かれた。原告団長の和田香穂里さんは2011年、夫婦で東京から種子島に移住。美しい海と豊かな自然に囲まれたこの島を終の棲家と思って越してきた。子供たちに静かで平和な未来を手渡すはずだった。民主主義と地方自治を破壊し、公約を平然と破る八板市長を厳しく批判した。
 原告の一人・漁業者の濱田純男さんは、25歳から68歳になるまで馬毛島周辺を中心に漁業を続けてきた。漁業組合はまとまりが強く、漁港建設の埋め立など環境整備を続けてきた。しかし開発業者による切り崩しや取り込みに応じる人が出始め、地区の行事もなくなる中で、ただ一人漁業補償を受け取らず、差止訴訟を闘っている。
※本記事は、昨年の集会開催時の情報を基にしている。同訴訟は12月24日に第3回口頭弁論があり、判決は本年3月11日に言い渡される。    
 (佐藤隆)

中東の戦争と東アジアの緊張をめぐって

講演 藤田進(東京外語大教授)

 昨年5月10日、国連総会でパレスチナのマンスール大使が演説をした。この内容は1988年のアラファトの国連演説と重なる。かたやイスラエルのエルダン大使は、パレスチナの正式加盟を支持する決議案が討議された国連総会の壇上で、シュレッダーで国連憲章を裁断するという暴挙に出た。イスラエルはまず、アメリカの石油権益を維持し、中東石油システムの防衛のため、アメリカのユダヤ資本の利益のために存在する。
 19世紀以降の英仏帝国主義による中東支配の枠組みの設定は、以下の通りだ。
 第二次大戦直前のハイファはイギリスの石油精製、地中海艦隊基地として大英帝国支配体制の一団拠点と化した。一方のフランスは、レバノンのマロン派と「カトリック」でつながり、マロン派支配の「レバノン独立県」成立に関与した。その支配体制下において、多宗派が混在するレバノン社会のなかで、カトリックマロン派中心の統治体制を構築していく。レバノンはイスラム・アラブ世界独自の多数派・多文化の社会構成を維持しつつ、こうした宗教的支配体制が生み出す緊張によって、幾度も内戦を引き起こしてきた。
 第二次世界大戦後のアメリカの中東支配は、イスラエルのシオニズムとレバノンのマロン派による宗教排外主義に支えられている。シオニズム権力・レバノン宗派権力と対峙するパレスチナ難民とレバノン南部難民がいる。
 1967年の「6月戦争」でのイスラエル大勝直後、非シオニストユダヤ人のアイザック・ドイッチャーは、以下のように発言した。
 「イスラエルは欧州のユダヤ人社会の生き残りに『民族のホーム』を与えるばかりでなく。運命的な焼印から解放することを約束した。~しかるに彼らはいまや中東においてまた再び不快な代理人の役を演じ始めている。~強力な西側の衣を着せられた利益代行者であり、新植民地主義に保護される『子分』として登場したのである。これがアラブ人の見るイスラエル人である。いまふたたび、ユダヤ人は、かつての帝国主義の犠牲となり、現在それから抜け出せずにいる近隣諸国の中に、恨みや憎しみをかっている。ユダヤ系に属する人々がこの役割を演ずるために登場せしめられているというのは、何たる運命であろう。」(I・ドイッチャー・鈴木一郎訳『非ユダヤ人的ユダヤ人』岩波新書)
 「ダークイスラム」(イスラム世界)の概念は、「民族宗教を乗り越える」。アッラーの教えは、「イスラムもキリストもユダヤも同胞である。そこに宗教対立はない」。「聖地エルサレム」はかつて、3大宗教の聖地だった。パレスチナは今、抵抗のための協力した闘いが求められている。
(発言要旨、文責編集部)

講演 藤田進(東京外語大教授)

【訂正】「かけはし」2月10日発行の記事2面、京都・主基田抜穂の儀訴訟の中で、「戦後協会で出会ったハルモニ」の「協会」は「教会」に「諸富弁護士と鹿島弁護士」の 「鹿島弁護士は「加島弁護士」に訂正しお詫びします。(編集部)

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