さようなら原発3・9関西アクション

各地で脱原発の思いを現実に

反核兵器・反差別・人権運動との連携

 【大阪】さよなら原発関西アクション実行委員会主催の集会が、大阪中之島公園女性像前で開かれ(京都、奈良、兵庫はそれぞれ地元で集会がもたれた)、近藤美登志さん(大阪平和人権センター事務局次長)と上林恵理子さん(弁護士)の司会で進行した。500人の市民が参加した。

原発問題はプルトニウム問題

主催者あいさつを山口恒樹さん(実行委員会事務局長)が行った。 「今年の集会は、使用済み核燃の行き場はない・老朽原発を停めようというテーマで開いた。政府は原発を稼働させ、これをエネルギー源と位置づけ40年越えの老朽原発を稼働させている。これは絶対に認められない。原発の稼働を維持するため中間貯蔵施設をつくる動きもあるが、第7次エネルギー基本計画では原発をさらに増やすことが示されている。まるで14年前の福島事故がなかったかのような態度だ。原発は動かせば動かすほど使用済み核燃料が増え、その処理に困ってしまうのに、なぜ原発を増やそうとするのか、そこにはプルトニウムの問題がある。原発の問題はプルトニウム、つまり核兵器の問題だ」と述べ、原発の問題はエネルギー問題だけではなく、核兵器問題でもあるという視点でこれからの運動を続けなければいけないと訴えた。

心を揺さぶる津軽三味線の旋律

 続いて、蝦名宇摩さん・蝦名蓮津さん・蝦名夜迦さん(小学2年生)のライブがあった。蓮津さん・夜迦さんは宇摩さんの娘。蝦名さん家族は福島原発事故で、埼玉から岡山に母子避難した。蝦名宇摩さんは奄美大島の出身、津軽三味線や奄美の島唄・尺八・和太鼓などを学び、三味線大会では度々優勝をしている。岡山に避難してからは、福島の家族を保養のため岡山に招く「瀬戸内交流プロジェクト」を主催している。集会では奄美の島唄など数曲に続いて最後に演奏された「津軽じょんがら」は圧巻だった。

原発は核兵器、だから脱原発を!

 続いて、三上元さん(元静岡県湖西市長、現湖西市議会議員)が講演をした。三上さんは、「浜岡原発の廃炉を求める」訴訟の原告団に自治体首長の立場で参加。市長を3期務め任期満了で退任。9・11の米国テロ事件以来、国防上から脱原発を主張、最近はさらに「原発は高コストだから止めるべきだ」と主張している。2012年には、「脱原発をめざす市長会議」を立ち上げ世話人をしている。
 「市長を辞めたあと、市会議員のなり手がなく、立候補しないと欠員が生じると言われ立候補して市会議員になった。今日新幹線から降りるとき、落ちていたゴミを拾ったら、若者が飛んできて、それは自分が落としたゴミだと言って、すみませんでしたと詫びを言った。ゴミはひとつ拾えばそれだけきれいになる。原発反対の運動も、それぞれ自分にできることを何かひとつやってほしい。核兵器禁止条約締約国会議が閉幕した。日本はオブザーバーにもならなかった。NATOからも参加はない。原発は相手から攻撃されたら自国民を殺す核兵器にかわる。事務局の了解で広島の平和市長会議に参加し、広島で30人ほどの人に、原発は平和時にはエネルギーをつくるが、有事には核兵器になりうることを訴えた。翌日の新聞には私の発言は載っていなかった。これが大新聞なのだ。だから、インターネットの方が正しいと思って、石丸が大活躍し、齋藤知事が当選するのだ」と語り、今日の集会に招かれたのは、現役の市長として初めて原発反対を表明した市長だからだと言われた。そして、「スリーマイル島事故の時は行動しなかった、チェルノブイリ事故の時も発言はしなかった。しかし2001年9・11の時、ジェット機1,2機はツインタワー、3機目は国防総省に突っ込んだが、4機目は空中爆発をした。この4機目の標的のひとつに原発があったとの容疑者の証言がある」と語り、核兵器に早変わりする原発の廃止を訴えた。

避難の権利・安心の未来

 森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告代表)、石川ひな(反原発運動に参加しているパートタイム労働者)の2人からアピールがあった。原発賠償関西訴訟は国と東電を被告として起こした裁判である。
 森松さんは、14年前、郡山から大阪に母子避難したと述べ、「事故の放射性被曝から免れることは当然の人権だ。国はその避難を保障しなければいけない。原発事故はエネルギーの問題でもあり、環境問題でもあり、国防問題でもあるが、それ以前に人権問題であることを共有してほしい。今も全国47都道府県で原発避難が続いている。関西訴訟は今年は結審し、判決を迎える。一緒に声を上げてほしい」と訴えた。
 石川さんは、差別問題から原発問題をとらえて、運動に参加しているとアピールした。

福島からメッセージ

 最後に、中道雅史さん(青森核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会・事務局長)と武藤類子さん(福島原発告訴団団長)のメッセージが代読された。
 武藤さんは、「飯舘村では、今まであった建物が壊され新しい災害復興住宅が建ち、住宅フェンスの向こうは帰還困難区域だ。長沼地区は、汚染土を再生資材として利用した実験地ができている。今も、7つの市町村には帰還困難区域があり、原子力緊急事態宣言は発令されたまま。誰も2051年廃炉の実現など信じていない。
 国は汚染水の海洋投棄を強引に初め、今度は汚染土を復興再生利用しようとしている。また、特に若い人に向け放射能の安全神話をすり込んでいる。第7次エネルギー基本計画では原発回帰を鮮明にした。この国の愚かさを理解できない」と述べ、流れに抗し続けることは楽ではないが、力を合わせようと訴えた。

青森からメッセージ

 中道さんは、「関電は、六ヶ所村再処理工場への使用済み核燃料搬出は可能だとして使用済み燃料対策ロードマップを発表したが、六ヶ所再処理工場27回目の完工延期でロードマップの破綻を満天下にさらした。今度は今年2月ロードマップを見直し、その見直しには六ヶ所再処理工場2027年度から再処理開始、28年度から使用済み核燃料受け入れ開始、30年までに198トン搬出と書いている。再処理工場は、工事開始から32年が経ち、1300キロメートルに及ぶ配管や施設はボロボロだ。こんな施設を動かすなどもってのほかだ。
 よしんば再処理工場が完成しフル稼働しても、使用済み核燃料の全量処理は不可能である。これは規制委員会自身も認めている。そこで、原発施設外での中間貯蔵施設のことだが、東電柏崎刈羽原発から使用済み核燃料が青森県むつの中間貯蔵施設に搬入された。50年貯蔵というが、再処理のために運び出す先はないから、核のゴミの永久貯蔵になってしまう。
 むつ貯蔵施設は東電と日本原子力発電の使用済み燃料しか貯蔵しないことになっているが、早晩、全国の原発会社の共同利用化に向かうことが危惧される。
 さらに、フランスからの返還高レベル放射性廃棄物が六ヶ所核燃サイクル施設に搬入され、イギリスからも運び込まれ、一時貯蔵されている。当初の協定では、30年~50年の間に施設外に搬出することになっている。高レベル廃棄物のガラス固化体の最終処分場はどこなのか」と述べ、このことを国に突きつけ、第7次エネルギー基本計画に反対の声を上げようと訴えた。
 集会後風は冷たいがよく晴れた早春の午後、参加者は、「となりのトトロ」のテーマソングに合わせて中之島公園をスタートし、西梅田公園まで反原発を訴えてデモを敢行した。 (T・T)

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