11・13福島原発事故の被ばく労働で白血病を発症し、労災認定された

あらかぶさんの話を聞く集い@東京東部

 【東京】11月13日午後6時半から、亀戸文化センターで、「福島原発事故の被ばく労働で白血病を発症し、労災認定されたあらかぶさんの話を聞く集い@東京東部」が主催:あらかぶさんを支える会・東京労働安全センター、協力:さようなら原発江東アクション他で開催された。
 
 福島第一原発収束作業などで被ばくし、急性骨髄性白血病になってしまったあらかぶさん。「子どもたちを置いて死ぬかもしれない」との不安から、うつ病も発症しました。2015年、事故収束作業に伴う白血病発症では初となる労災が認められました。しかし「当社はコメントする立場にない」とし、見舞いのひと言すらない東京電力。
 2016年11月、あらかぶさんは裁判に立ち上がりました。裁判闘争はこの11月で9年になります。被告東京電力・九州電力は、あらかぶさんの被ばく線量が100mSvに満たないから、白血病の発症との因果関係は認められない、「速やかに棄却されるべき」などと許しがたい主張をしています。
 あらかぶさんは裁判を闘うことで「働く仲間があとに続き、補償を受けられるように。自分のような辛い思いをせずに済むように」と、自身の経験や職場の実態を伝える全国行脚も続けておられます。皆さんの注目とご支援をお願い致します。(呼びかけチラシより)

 飯田勝泰さん(あらかぶさんを支える会)が開会のあいさつを行い、次になすびさんが「あらかぶ裁判の経過報告と論点」を行った。

あらかぶさんのお話
 なぜ、原発労働についたのか


 次に、なすびさんが質問する形で、あらかぶさんが被ばく労働の実態などについてお話をした。
  
――福島に行く前の話を。北九州にいて、どんなことをやられていましたか。

 造船所で溶接工として働いていた。給料も普通にもらい家族で生活するには十分だった。

――もともと原発とは関わりのない仕事だったし、原発に行く必要もなかった。あえて福島に行った経過を教えてください。

 千何百キロも離れた九州で生活していた。3・11の東日本大震災が起きて、テレビも毎日地震のニュースがあった。同じ日本人でこんな悲しい思いをしている人がいて心を痛めた。何か手助けできないかと思った。コンビニで買い物をしたら、ついでにお釣りを募金箱に入れるくらいの協力しかできなかった。
 自分の身内が建設会社をしていて、震災2カ月後くらいに、福島原発に人を集めてくれないかと言われた。知っている会社に言ったが、みんなは大事な従業員を放射能が垂れ流れる所に、やるようなことはできんと言われ断られた。
 岩手で火葬場がパンパンで壊れたりして、ご遺体を埋葬するのに、仮埋葬といって穴の中に埋葬した。小さな棺桶があって家族がみんな泣いて、顔はぼかしていたが子どもさんの足が見えて、アンパンマンの靴を履いていた。自分の3男がちょうど2~3歳で、自分の子どもと照らし合わせた。もし自分だったら正気な気持ちで生きれないと感じ涙が出た。
 何か手助けしたいと思った時に、ちょうど2011年の11月くらいに、従妹から第一原発は緊急作業中で入れないが、第二原発は壊れていなく安全なので、人を集めてくれと言われた。造船所の仕事を辞めて、周りの友達を誘って行った。

――もともと人が集まらないからというような所だったわけで、家族などはどういうふうに言っていましたか。

 父親はいつも東電が隠して、後でばれて、電力会社としては魅力がないと言っていた。自分らも見ていてこの電力会社は嘘ばかりいうのかと思っていた。父親は「そんな所に行ったら、放射能で病気になるぞ、福島などに絶対行くな、嫁さんにもあいつが福島に行くと言ったら、絶対止めろ」と言っていた。

初めて原発労働へ

――福島に行って、初めて原発での作業をするにあたって、例えば放射線教育なんかはどういう内容でしたか。そこでどう感じましたか。

 放射線教育は生まれて初めて受けた。Jビレッジというサッカー場の跡地で、A教育とB教育を受けた。こんな一つのペレットで石炭何百トン分の熱換算量がありますとか、原発は未来のエネルギーとかで、自分たちが放射能を恐れるような話は一切なかった。
 ただ、赤いペンキが書かれている所は線量が高いので、勝手に入るな。そういう教育はしっかりやっていた。

――福島第二原発での仕事の中身は。

 ここは管理区域ではなく防護区域。装備としては普通の家庭用マスク、作業着もタイビックではなくて、自分の作業着で良い。

――事故後で空間線量が高かったはずなのに、第一原発ではないので外は放射線管理区域ではなかった。そこでは線量計は使っていなかった。

 初めてなので線量計など分かっていなかった。ピーピーと鳴る。鳴る度に元請けの社員が待機所に、リセットしに行っていた。帰って来ると止まっていた。

爆発した福島第一原発での作業

――その後、福島第一に戻ってこられた。そこでの仕事は。

 第一原発に入って、4号機でカバーリング工事。4号機の上が吹っ飛んで、燃料プールの中に、使用済み燃料が入っている。使用済み燃料を大きなクレーンで引き抜いたりしていた。使用済み燃料を取り出すための構造体を作る作業に従事した。

――事故が起きた時、4号機は定期検査中で燃料は全部外のプールに出ていた。それでその水がなくなってしまうとそこがメルトダウンするとたいへんだと自衛隊機が飛んだりして、一生懸命水を入れようとしていた。それを取り出すための工事に関わった。具体的などんなことをしましたか。

 現場の750トンあるクレーンが走行できるために、32ミリの鉄板を二枚重ねで作る。それがづれないように、溶接で鉄板を止めた。

――福島第一地下は地下水がものすごく流れていて、それ自体がものすごく汚染しているから、地面から結構放射線が来ている。地面にへばりついた作業だったので、結構被ばくしたのではないかと思う。

 放射線遮蔽のことについては一言の説明もなかった。

――4号機の元請けが竹中工務店だった。現場での安全管理はどうでしたか。

 鉛ベストを付けないといけないと竹中の社員からも聞いていた。鉛ベストが少ないんで、働く人間の数と合わなかった。鉛ベスト全員分用意すればいいじゃないかと質問すると高いからとか言われた。この時は下請けで入っていて、現場の人間を管理していたので俺にはくれると言った。自分だけ着るわけにはいかないので、「俺はいらない」と断った。
 建屋が吹っ飛んだ瓦礫の撤去の作業とかでガラの片付けをしていた人たちが緊急片付けで使用していた鉛ベストを自分たちが使いまわしていた。表向きはプラスチックのチャック式だが、コンクリのカスが詰まって、閉まらないとか壊れているとか、そこでガムテープで止めている、ずさんだった。

――本来だったら、遮蔽ベストも毎回サーベイして安全確認して使わなくてはいけないはずだが、とてもそうは見えない。

 そうですね。この鉛ベスト自体も竹中工務店の4号機の作業の場合は、木に釘を打ってヘルメットを掛けたりとかハンガーに野ざらしにされていた。圧力容器のふたのそばで作業をしていた。

――遮蔽ベストを着ている場合は、線量計がもし遮蔽ベストの下にあると遮蔽された線量を計っている。そういう場合は遮蔽ベストからむき出しになっている腕とかに一個線量計を付けて、遮蔽ベストの下の胸の所でも測定して、身体の露出している所の割合からトータルで計算しなければいけないと決まっていた。ところがそうは全然されていなかった。誰もむき出しの腕の所で計っていない。実際の被ばく量よりも低い数値しか記録されていない。

――3号機のことで話しておきたいことは。

 カバーリング工事だった。鹿島建設の600トンのクレーンがリモコン操作で鉄を噛みついて取った。そのクレーンがある日突然、ねじ曲がって使い物にならなくなったので、そのクレーンの解体をやった。

――やった作業がカバーリング作業の合間だった。裁判の中で、線量を自分たちで求めようと思って、あらかぶさんが働いた日々の現場の日報を出してくれと資料を要求した。クレーンを切った作業の資料が出てこない。その日はカバーリング工事の名目で入っているけれども、その途中であれやってくれ、これやってくれという作業が山のように入る。そういうことは実際には日報に記録されていない。無茶な現場だった。
 断続的に2年間原発で仕事をして、最後に福島第一から引き揚げてくる時の経緯を教えてください。

 2013年中頃、作業員の危険手当のピンハネ問題がニュースで出てきた。自分が働いていた会社ではまともに出ていなかった。会社を追及したら、予算がないので全員には出せないと言われた。これは潮時と思った。ちゃんと工程どおりに終わらせて、正月前が一区切りだったので帰った。

あらかぶさん 白血病発症

――そこから白血病が発症する過程を話してください。

 帰ってからもすぐに仕事を始めないと子ども3人と妻もいるので生活していかれないので現場に戻った。働いていて、息切れがしたり、空咳が出たり、微熱が出ていた。漢方薬を飲んでいたが、症状が緩和しなかった。原発を退所する時に、白血病に罹っていないとか黄疸が出ていないという電離放射線検査を受けてから帰らないといけなかったが年末ぎりぎりだったので、地元に帰ってから検査することになった。電離検診を受けたら、あなたの血液からガン細胞が出ているので、もしかしたらガンかもしれないと言われた。何のガンですとかと聞いたら、たぶん白血病と言われた。大きな病院で検査して白血病と分かった。

――入院して、闘病生活になった。白血病の治療はどんなものでしたか。

 すぐに抗がん剤治療を始めないと後20日ぐらい遅いとアウトだったねと先生に言われた。芸能人の夏目雅子、本田美奈子が亡くなっている。俺もそうなるしかない、病院から退院する時は棺桶で出るしかないと思った。子どもたちの顔を焼き付けて入院しようと思い一日だけ退院することを願い出た。一日帰って、川の字に寝て腹をくくって入院した。

――治療はどんな感じでしたか。

 抗がん剤治療、もう一回やれと言われれば絶対やりたくない程のきつさがある。最初の抗がん剤で頭の毛が一発で抜けた。強い抗がん剤だった。すごい吐き気がした。地球が回るぐらい目が回った。

――家族もなかなか会えない。

 嫁さんは一年ぐらい入院している間、一日も欠かさずお見舞いに来てくれた。無菌室に入っていた。子どもたちとはガラス張りの外でしか会えなかった。子どもは理解できないので、自分を見てチンパンジーかなにかと思いけらけら笑っていた。

――その白血病が労災認定されることになった。経緯は。

 2014年1月の初めに入院して、何カ月か過ごしていた時に、鹿島建設の課長からもう一回福島に戻って来てくれないかと連絡があった。白血病で入院していることを話したら、労災認定の基準を調べてくれて、高額医療費について提出したら、払わなくて済んだ。鹿島建設が労災の認定になるまで全部動いてくれた。

労災認定後、 損害賠償裁判に訴え

――労災は勝手にしてくれるわけではなくて、申請しなくては審査もしれないし認定もされない。認定がされた後、損害賠償裁判を訴えた。経緯は。

 原発関連では十何件しか労災認定がされていない。自分は無理だと思っていた。被ばく労災としては初めて労災認定された。認定された翌日に、新聞の一面に報道された。今回の労災はお涙ちょうだいのような、科学的因果関係が証明されたものではない、とされた。東京電力が働いている人の作業員向けに原発で働いていることに不安はありませんかなどのアンケート調査をした。アンケートのパンフレットの一部に、自分のことを引用して、2015年10月に、労災認定された方がいるが、ただちに因果関係が証明されたわけではないと書いていた。
 家族に淋しい思いをさせながら行っていて、あげくの果てには一年間死ぬ思いの闘病生活して、5年生存率も何割かしかないと言われて、治療中も敗血症になって、42℃の熱が何週間も続いた。家族にはこの抗生物質が効かなかったら、ちょっとあれでしょうと言われたりもした。そうした苦しい思いもしてきたのに、何でそんなこと言うのかと思って腹立たしくなって、裁判しようと決意した。
 
――労災認定の裁判でも東電は自分たちはコメントする立場にないとまったく他人事のような態度だった。初めて、裁判で東電は因果関係を否定した。裁判の経緯で感じていることは。

 事業保険を掛けてくれていて、労災認定が下りたら、おカネが下りると聞いていた。労災認定された時も、おカネが下りるとなっていた時に、約款に、核燃料施設で働く人には支払いできないことが後で分かって、そういう保険も効かないようなものすごい特殊な現場に、自分たちを入れていたことを、電力会社は分かっているのに、なぜ言わずに働かせて、なおかつそういうのが効かないのであれば、なおさら補償すべきだと思った。自分だけのことではなくて、未だに廃炉作業などに関わっている人がいっぱいいる。もし自分みたいになった時に、泣き寝入りとかさせたくない。労災認定もハードルが高いので、それを少しでも低くできればと支える会の人たちとも相談して裁判を続けていこうとなった。

――労災認定されれば、労災保険が下りる。休業補償に相当するものとか医療費が払われる。元の給料の6割、それ以外のものを入れても8割分くらいしか補償されない。一般的には雇用している事業主がそういう時のために、保険に入っている。それでもし労災があった場合は足りない部分を事業主の保険から補填する。あらかぶさんも福島に行く前に、雇用した業者が一番良い保険に入り直したから安心して行ってくれとそういう話だったが、原発事故の場合は適用されないとされていた。
 原子力損害の賠償に関する法律 (原賠法)に基づくしかないが、それが今まで適用された例がない。それで何とか突破するために多くの原発労働者の次のステップになるだろうというのがこの裁判の大きな意義だ。あらかぶさんの思いでもある。最後に補足することは。

 支える会の人には心から感謝している。あとどれくらいかかるか分かりませんが、自分のように悲しい思いになることが増えないことを祈っている。もしそういう人が出た時は、自分が一番浮かばれないということはおカネのために行ったわけではなく、東北の人たちのため、震災で津波で家が流されたり、そこに住めなくなって県外に移住したりとか、そういう悲しい人たちを見ていたら支援した。

裁判に勝ち、声をあげられない人に伝える

――そういう思いで集まってきた労働者を食い物にして廃炉作業が進んでいるのが現実ですよね。あらかぶさんが労災認定の時に、過去のことを調べた。福島事故が起きる前、原発労災が認定された人は13人、JCOの事故で3人。この事故が起こった後、福島に行って地域の人から話を聞いたら、福島の原発で働いている人が多くて、周りに白血病を発症した人が一杯いると言う。13人は発症した人のごく一部だろうと思う。この裁判の重要なことは既存の判断されている基準だとか、認められてこなかったことをきちんと突破する。
 こういうことを伝えることによって、今まで被害を受けた人たちがきちんと自分で声が上げられるような、そういう環境づくりが重要ではないか。その時に、当事者が立ち上がって声を上げないと変わっていかない。そういう人が具体的にいることによって、自分がガンになったり、白血病になったりしているのは原発で働いたせいだと思っている人がいても、声が上げられない環境がある。勇気をもって手を上げてもらえるような環境にしていかなければいけない。
 その時、あらかぶさんがきちんと声を上げて、行くたびにつらかった時間の話をしなければならない。それでもやって下さっている。そういうあらかぶさんに感謝しています。あらかぶさんの努力を無にしないようにきちんと裁判で勝つ。あらかぶさんももっと楽になればいいと思うし、多くの被害を受けている声を出していない労働者にそれを伝える。原発なんかなくて、被ばく労働がなくなるのが一番良いが、少なくとも労働で受けた被害がきちんと補償されることをめざして今後も取り組んでいきたいし、あらかぶさんを支えていきたい。

 この後、池田実さんが「竹中工務店不当労働行為裁判」を報告、地域の仲間の発言、平野敏夫さん(東京労働安全センター代表理事)の閉会のあいさつがあり集会を終えた。あらかぶさんの東日本大震災や原発事故被害者への思いや自分が被ばくすることになった悔しさとそれを作り出した東電や元請け会社との闘いの思いを直接聞くことができ、改めて原発の継続と再稼働を行うとしている政府・電力会社との闘いの重要性を再確認する大切な集会であった。あらかぶさん裁判を支えていこう。      (M)

あらかぶ裁判の経過

・あらかぶさんの原発労働 2011年11月14日―2013年12月27日(福島第二、玄海、福島第一)
・2014年1月14日 急性骨髄白血病と診断
・2014年3月11日 白血病労災申請
・2014年5月8日 うつ病と診断
・2015年10月20日 急性骨髄白血病で労災認定
・2016年5月 うつ病で労災認定
・2016年11月22日 原賠法に基づく損害賠償を求め東電・九電を提訴(東京地裁)
・2017年2月22日 第1回口頭弁論・報告会
・2024年3月13日 第23回口頭弁論、進行協議(原告・被告弁護団プレゼン)@東京地裁
・2025年2月14日、5月14日、8月25日、10月30日 裁判所・弁護団 書面による準備手続き

重要な論点

 あらかぶさんの体験した収束・廃炉作業では、杜撰な安全対策や違法な放射線計測、さらに危険手当の中抜きなど、いくつもの労働問題が指摘できる。また、裁判の中でも元請の報告を鵜呑みにする(=元請の責任にする)東電の不作為と無責任さが浮き彫りになってきている。
 しかし、この裁判は原賠法に基づく損害賠償なので、電力事業者の過失の有無は焦点にならず、基本的にはあらかぶさんの仕事での被ばくと白血病発症の因果関係が争点となる。その中で、因果関係がないとする電力事業者(および国・業界)の誤った線量評価や理解、放射線防護上の制度的問題を明らかにする裁判となっている。
 それゆえ、一人の労働者の損害賠償請求や労働問題の枠組みでは収まらない問題提起となっており、この裁判の判決は大きな社会的影響・波及効果を持つと考えられる。(担当:なすび)

働く仲間のためにも、と語るあらかぶさんと対談したなすびさん(写真中央11.13)  


 
 

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