勤続半世紀の風景

コラム「架橋」

 JR田端駅はかつて山手線の終点だった。品川を起点とした同線は新宿・池袋を経由し田端に至るのが正式な区間。駅名の由来は「田畑」「田の端」など諸説あるが、特筆すべきは武蔵野台地と荒川低地の境界に立地すること。他の駅とは異なる歴史を刻んできた。
 駅舎の北西には「田端文士村記念館」があり、この地に住んだ芥川龍之介ら著名な作家、芸術家の軌跡を学べる。急な江戸坂のL字の中央に位置し、高台入口には月極駐輪場がある。
 今年3月末、同僚のAさんが退職した。埼玉県から京浜東北線を使い田端で下車。坂を上がって留めてある自転車に乗り、二つの坂を下って職場まで通っていた。
 昨年4月の異動で同じ職場になり、仕事を教わる関係になった。Aさんは70歳を超えてなおパソコンに強く、処理が正確で早かった。「同じことはできない」――私は習得を諦め、同じ定年後職員として世間話に花を咲かせていた。
 妻をなくし単身赴任の息子と暮らす。月に数回、親が遺した旭川の無人の実家へ赴き、換気や雪下ろしに精を出していた。北海道の高価な菓子がお決まりの土産だった。
 大先輩だが威張ることはなかった。日焼けした顔に笑みを絶やさず、長身で細身の体形は健康そのもの。会計年度任用制導入前から更新を繰り返していた。若い組合員に自分が執行委員時代の思い出を語っていたが、どれほど理解されたのか。私はその傍らで、余計な口を挟まぬよう心がけていた。昨年秋の「雇い止め通告」に、同僚は全く気がつかなかった。
 Aさんのようにあらゆる業務を経験し、その確かな技量によって「余人をもって代えがたい」と信頼されることは、決して「普通」なのではない。周囲に悟られぬように、机の荷物を静かに片付けていた。
 勤務最後の日に上野で開かれた送別会にも、自転車で来場した。雨の日も風の日も、急坂を上がっては降り、黙々と働き続けた。彼が見てきた通勤の風景に、私は今も思いを寄せている。
 どんな理由であっても、人が去っていくことは寂しい。残された者はせめて、その人が生きた世界に、想像力を働かせるべきなのだ。人生の終点は、まだ先にある。 (隆)