ラテンアメリカにおける人種と差別

コラム「架橋」

 メキシコはメスティソの国と言われる。スペイン系白人と先住民の混血の国という意味である。地球の歩き方の2017~18版ではメスティソ60パーセント、先住民30パーセント、スペイン系白人9パーセントとなっている。
 これは一例であって、資料によって分類の仕方も数字も様々である。コロンブスがバハマ諸島に到達してからすでに530年。当初は先住民と白人の間で、ついで黒人と、そしてアジア人と混血が複雑に絡みあい、人種別に区分するというのが無理なのである。
 1960年代には混血の種類は140種、現在では千種類を越えるという話を聞いたことがある。これだけ細分化されると人種という言葉は意味をなさなくなり、現在では人種構成という言葉ではなく、民族構成という言葉を使っているようである。もちろん、人種区分という言葉には差別的要素が含まれるからでもあるのだろう。
 これだけ細かく混血を分類したのは、白人に近ければ近いほど自らの他者に対する優位性を主張できたからである。つまり、ラテンアメリカには白人を頂点とし、最下層に先住民、黒人、先住民と黒人の混血を置く無数の差別の階段が存在しているわけである。
 メスティソの国と言われるメキシコでさえ、上流階級のほとんどは白人であり、大多数の先住民は貧しい生活を強いられている。私がメキシコによく行っていた20年ほど前、メキシコのTVでは毎日各種メロドラマを長時間放送していた。そのドラマのヒロインのほとんどは、街中では外国人の旅行者以外見かけることがない白人女性であった。
 メキシコの同志にJさんとFさん夫妻がいる。彼らはクエルナバカに住み、同市郊外の先住民の人たちと活動を共にしていた。ある時私はHさんに「あなたはメスティソか」と尋ねた。彼はシィー=そうだと答えたのだが、念のために「先住民なのか」とも訪ねてみた。すると「シィー」という答えが返ってきた。別な機会にFさんにも同じ質問をすると、同じく「シィー」、「シィー」という答えが返ってきた。今考えると、なんと愚かで無意味な質問をしたものかと思う。 (O)