新疆ウイグル自治区での地名変更に思う

コラム「架橋」

 2025年3月3日の毎日新聞朝刊は、中国政府が新疆ウイグル自治区で、少数民族の文化や歴史に由来する地名を「団結」や「紅旗」等に変更していると報じた。これまでも、中国政府は新疆ウイグル自治区や、内モンゴル自治区等で北京語を強制し、新疆ウイグル自治区に漢人を大量に移住させ、ウイグル族との人口比率逆転を図ってきた。
 先住民族の文化的基盤を破壊し、アイデンティティーを失わせ、彼らを中華民族に一元的に統合するための政策なのだろう。大日本帝国がかつて台湾で朝鮮で中国東北部(旧満州)で行った政策であり、そのモデルはスペインがラテンアメリカで行った政策である。
 スペイン人は先住民の宗教施設を完全に破壊し、その廃墟の上に教会を建てた。先住民の文化を、アイデンティティーを完全に破壊した上で、先住民にキリスト教を、またスペイン語を強制していったのである。
 ところで、私が生まれ育ったのは東北のF市で、須川という川の南側に住んでいた。私の通った小学校は北側にあり、私は須川を橋で渡って小学校に通った。夏の水泳を始め、遊んだ思い出のほとんどは須川に結びついている。
 50年ほど前だろうか、F市に帰郷し須川の堤防に上った私を驚かせたのは、荒川と記された大きな看板だった。須川の支流に荒川という支流があり、荒川の方が須川よりも距離が長いので、正式名称は荒川になるというのが建設省の説明であったという。
 しかし、本当の理由はそうではない。旧建設省の土木事務所が行った荒川の砂防工事を建設省内で誇るため、また、その功績をF市民に知らしめるための名称変更であった。
 市街地から遠く離れて流れる荒川を、F市民のほとんどは知らない。一方、須川はF市の中心部近くを流れている。そこで、須川を荒川に名称変更したわけである。F市が通過地にすぎない建設省の役人にとって地名に思い入れはなく、自分たちの功績を誇ることの方がずっと大事だったのだろう。   (O)