反動的政治勢力台頭の意味は?

世界現象としての極右
特定の歴史的な時期に成長中の一つの多様な現象の分析不可欠

ミシェル・レヴィ

 世界的に極右の広がりが注目を集め、たとえば朝日新聞はつい最近、米国の極右であり、フェイクニュース発信の頭目とも言えるスティーヴ・バノンへのインタビューを大きく掲載した。そしてこれらの動きは、一定の警戒感を高めているが、同時に各国の右翼を鼓舞する作用もつくり出している。事実極右自身が、先のインタビューでバノン自身が明らかにしているように、それらの国際的結合を意識的に追求している。二一世紀の社会主義をめざすわれわれにとって必ず克服・打倒しなければならない動きであり、この世界的現象についての明確な認識が求められている。そこに向けた予備的検討の一つを以下に紹介する。(「かけはし」編集部)
 近年、反動的、権威主義的、あるいはファシストの体制が世界中いたるところで上げ潮となってきた。それはすでに、世界の諸国半分を統治している。中でももっとも知られた例として次のような者を上げることができる。つまり、トランプ(米国)、モディ(インド)、オルバン(ハンガリー)、エルドアン(トルコ)、ダイッシュ(イスラム国)、サルヴィニ(イタリア)、ドゥテルテ(フィリピン)、そして今ボルソナロ(ブラジル)だ。しかしわれわれの下には他の数ヵ国でも、たとえそれらには先のような明白な定義が当てはまらないとしても、こうした傾向にもっとも近い政権がある。つまり、ロシア(プーチン)、イスラエル(ネタニエフ)、日本(安倍晋三)、オーストリア、ポーランド、ビルマ、コロンビアその他だ。事実として上記二グループ間の区別は完全に相対的なものだ。

ポピュリズムとの規定は危険


 この極右は各国でそれ自身の特性を抱えている。多くの場合(欧州、米国、インド、ビルマ)、「敵」――つまりスケープゴート――はムスリムあるいは移民だ。またいくつかのムスリム諸国では、それは宗教的少数派(クリスチャン、ユダヤ教徒、ヤジズ教徒)になっている。いくつかの場合では、外国人排撃の民族主義やレイシズムが、他の場合では左翼、フェミニズム、同性愛への憎悪が有力だ。
 こうした多様性があるとしても、すべてではないとしても、多数に共通の特徴がいくつかある。つまり、権威主義、原理主義的民族主義――「何をさておいてもドイツ」やその各地ごとの変種、たとえば「アメリカ・ファースト」、「ブラジル最優先」その他――、宗教的あるいは民族的(レイシズム的)不寛容、諸々の社会問題や犯罪に対する唯一の対応としての警察/軍の暴力だ。ファシストあるいは半ファシストとしての特性化もいくつかには当てはまるかもしれないが、しかしそれはすべてに対してではない。エンツォ・トラベルソ(著名な歴史家)は、「ポスト・ファシズム」という用語を使っている。そしてそれは、連続性と違いを示す点で有益である可能性がある。
 他方、何人かの政治学者、メディア、また左翼の一部が使っている「ポピュリズム」という概念は、問題の現象を完全に説明することはできず、ただ課題を混乱させる役を果たしているにすぎない。一九三〇年代から一九六〇年代のラテンアメリカでその用語が相対的に正確に一定のものごと――バルガイズム(戦前と戦後の一時期、ブラジル大統領としてペロンと似た政策を行ったバルガスに由来:訳者)、ペロニズムその他――に対応したとしても、一九九〇年代以後の欧州に対するその使用は、ますます曖昧かつ不正確になっている。
 ポピュリズムは、「エリートを敵として民衆を支援する一つの政治的立場」として定義される。しかしそれは、ほとんどあらゆる運動や政党に適用可能なのだ! 極右諸政党に適用されたこのまがいものの概念は、それらの正統化に、共感化ではないとしてもそれらを受け入れ可能にすること(エリートに対決して民衆のため、に誰が反対だろうか?)、問題含みの用語、つまりレイシズム、外国人排撃、ファシズム、極右、を慎重に回避すること、に導く――自発的にか、意に反してか――。
 「ポピュリズム」はまた、新自由主義のイデオローグたちによって、意図的に人を惑わすやり方で利用された。新自由主義の諸政策や「EU」その他に反対する「右翼ポピュリズム」と「左翼ポピュリズム」との特性付けをもって、極右と急進的左翼間に融合をもたらすためにだ。

適切な認識へのいくつかの仮説

 諸政権の形態をとった、しかしまた、まだ統治にはいたっていないとしても、幅広い選挙基盤を保持し、国(フランス、ベルギー、オランダ、スイス、スウェーデン、デンマークその他)の政治生活に影響力を及ぼしている政党形態をとった、極右のこのめざましい台頭をわれわれはどう説明できるだろうか? 各国あるいは世界の地域に特定的な諸矛盾を示すこうした違いをもつ現象に対し、全体を網羅する説明を提起することは難しい。しかしそれが地球的な傾向である以上、われわれは少なくともいくつかの仮説を深く考えなければならない。
排除されるべき一つの「説明」は、この急進的右翼の台頭を移民の波に、特に米国と欧州のそれに帰する説明だと思われる。移民は、外国人排撃とレイシストの諸勢力業界が抱える在庫品であり、便利な口実だ。しかしいかなる意味でも、彼らの成功を導いた「原因」ではない。その上に極右は、移民へのいかなる言及も行うことなしに、今多くの諸国――ブラジル、インド、フィリピン……――ではびこっているのだ。
もっとも明白な説明、そして疑いなく妥当なそれは、残忍な文化的均質化過程でもある資本主義的グローバリゼーションが世界的規模で、アイデンティティ・パニック(この用語はダニエル・ベンサイードのものだ)の諸形態をつくり出し再生産し、不寛容な民族主義あるいは宗教的な感情表明に導き、民族的対立や信仰告白的対立を好都合にしている、というものだ。諸民族が彼らの経済力を失えば失うほど、それだけ民族の限りない栄光が「とりわけ」高らかに示されている。
もう一つの説明は、二〇〇八年から経済的後退、失業、社会的周辺化を引き起こしてきた、資本主義の金融危機だと思われる。この要素は、トランプやボルソナロに勝利を可能にする上で重要なものだったかもしれない。しかしEUにとっての妥当性ははるかに小さい。つまり、オーストリアやスイスといった、中でも危機による病的影響が最小であった裕福な諸国でも、極右は極めて強力だ。他方で、スペインやポルトガルといった、危機によって最大に苦しめられた諸国では、左翼と中道左翼が支配的影響力を保ち、極右は周辺的にとどまっている。
これらの歩みは、新自由主義が一九八〇年代以来支配力を保ち、社会的紐帯や連帯を破壊し、社会的不平等や不公正や富の集中を深刻化してきた資本主義諸国で起きている。われわれはまた、いわゆる「現存社会主義」の崩壊に続いた共産主義左翼の弱体化、しかもそれが他のもっと急進的な左翼諸勢力が共産党左翼の政治空間を占めることに成功しないまま起きていること、をも要因として取り出さなければならないだろう。
これらの説明は、少なくともいくつかの例では有益だが、不十分だ。われわれは、グローバルである一つの現象、そして特定の歴史的時期に起きている一つの現象に対して、グローバルな分析をまだもっていない。
これは一九三〇年代への回帰なのだろうか?
歴史はそれ自身を繰り返さない。われわれは、諸々の類似性や類推点をいくつか見つけ出すことができる。しかし現在の現象は、過去の諸モデルとはまったく異なっている。何よりもわれわれの前には、戦前のものに匹敵する全体主義国家が――まだ――ない。
マルクス主義のファシズムに関する古典的分析はファシズムを、労働者運動から発する革命的脅威を前にした、プチブルジョアジーの支持をテコとした大資本の対応と定義した。人は、この解釈が一九二〇年代、一九三〇年代のイタリア、ドイツ、スペインにおけるファシズムの台頭を本当に説明しているのかどうか、をいぶかっている。
いずれにしろそれは、今日の世界では妥当性を欠いている。そこでは、「革命的脅威」はどこにもないのだ。大資本が極右の「民族主義」に対する熱中をほとんど示していない――必要とあればそれに合わせる準備はしているとしても――という明白な事実は言うまでもない。

ボルソナロ現象に際立つ諸特徴


この世界的な「茶色の波」では最新のエピソードであるブラジルのボルソナロ現象には、二、三語る必要がある。それは、その暴力礼賛や左翼と労働者運動に対する理屈抜きの憎悪に基づけば、古典的なファシズムにもっとも近いように見える。しかしそれは、さまざまな欧州諸政党――オーストリアのFPO(自由党)からフランスのFN(国民戦線、現在は国民結集、RN)までの――とは異なり、ブラジルの場合一九三〇年代にプリニオ・サルガード(サンパウロのジャーナリスト:訳者)が率いたAIB(ブラジル統合主義運動)に代表された、過去のファシズム運動に根をもっていない。
またそれは、欧州の極右とは異なり、レイシズムをその主要な旗印にもしていない。確かに彼はレイシズム的言明をいくつか行った。しかしこれは、彼のキャンペーンの焦点ではまったくなかった。この点から見るとそれはむしろ、ヒトラーとの連携以前の、一九二〇年代のイタリアファシズムに似ている。
われわれが欧州極右とボルソナロを比較してみれば、次のようないくつかの重要な違いがあることに気付く。
▼一九五〇年代以来ブラジルで、保守的右翼の古びて飽きのきた物語である、「汚職との闘い」というテーマの重要性。ボルソナロは、汚職政治家たちに対する正統な民衆の憤激を何とか操作できた。このテーマは、欧州の極右の発言に不在ということではないが、中心の場を占めると言うにはほど遠い。
▼左翼、あるいは中道左翼(ブラジル労働者党、PT)に対する憎悪は、ボルソナロの主な動員テーマの一つだった。それは、前人民民主主義のファシスト諸勢力の場合を除いて、欧州ではほとんど見出されない。しかしこの場合では、過去の実体的経験に関係しているものは、一つの人心操作(悪魔化)だ。
実際にブラジルでは、共産主義への恐怖に類するものはまったくないのだ。つまりボルソナロの暴力的な反共産主義の主張は、ブラジルの過去と現在の現実とは何の関係もない。冷戦が終わって何十年も経ち、ソ連邦はもはやなく、PTは明らかに共産主義とは何の関係もない(この用語のあり得るあらゆる定義において)ということを考える限り、それはむしろ大いに驚くべきことだ。
▼欧州の極右が、「国際金融」を敵視し、保護主義、経済的民族主義を大義として新自由主義的グローバリゼーションを糾弾している中で、ボルソナロはウルトラ新自由主義の経済綱領、つまりもっと進んだ市場化、外国投資に向けた開放、私有化、そして米国の諸政策への全面的同調、を提起した。これは疑いなく、伝統的右翼の候補者(ゲラルド・アルキミン、PSDB――ブラジル社会民主党――の有力政治家)の明らかな不人気を認めるや否や、支配的な諸階級がボルソナロの立候補に大挙して結集したことを説明する。

 一方トランプ、ボルソナロ、欧州の極右に共通しているものは、反動的な社会・文化的扇動に関する次の三テーマだ。
▼権威主義、「秩序回復」ができる豪腕な人間、指導者への執着。
▼抑圧的イデオロギー、政治的暴力の礼賛、死刑復活の要求、「犯罪に対する防衛」のためとして、住民への武器の配布。
▼性的マイノリティ、特にLGBTIの人々に対する不寛容。それは、反動的宗教宗派によって、カソリック(フランスで)であろうが新福音派(ブラジル)であろうが、いくつかの成功と一体的にそこかしこで扇動されているテーマだ。
これらの三テーマは、「汚職との戦争」と一体となって、ソーシャルメディアによるフェイクニュースの巨大な広がりにも助けられ(それほど多くの人々がこれらのはなはだしい嘘を信じた理由をどう説明するかは、今後に残されている)、ボルソナロの勝利にとっては決定的だった。
しかしわれわれは、暴力、彼の内戦を煽る発言の残忍さ、女性攻撃、綱領の欠如、そして軍事独裁と拷問に対する彼の謝辞にもかかわらず、彼の立候補の、わずか二、三週での信じ難い成功について、納得のいく説明をまだ得ていない。

首尾一貫した反ファシズムとは


これに対しわれわれはどう闘うか? 残念ながら、この新たな茶色の波と闘うための魔法の定式はまったくない。「世界反ファシズム戦線」に向けたバーニー・サンダースのアピールは、一つのすばらしい提案だ。同時に、関係各国でも民主的自由を守る幅広い連合が建設されなければならない。
しかし、資本主義システムは、特に危機の時代、ファシズム、クーデター、また権威主義体制のような現象を変わることなく生み出し、再生産する、ということも深く考えられなければならない。これらの傾向の根源は体系的であり、オルタナティブは抜本的で、つまり反システムでなければならない。一九三八年、「批判的理論のフランクフルト学派」で指導的思想家の一人であったマックス・ホルクハイマーは「あなたが資本主義について語りたくないのであれば、あなたにはファシズムについて言うべきことは何もない」と書いた。つまり、首尾一貫した反ファシストとは、反資本主義者なのだ。

▼第四インターナショナルの活動家である筆者は、エコ社会主義者、社会学者、また哲学者だ。彼は一九三八年サンパウロで生まれ、一九六九年以後パリで暮らしてきた。CNRS(フランス国立科学研究センター)で研究主任、社会科学高等研究院(EHESS)で教授を務め、数多くの著作が二九カ国語で出版されている。「インターナショナル・エコソーシャリスト・マニフェスト」の共同著者(ジョエル・コヴェルと共に)であり、二〇〇七年にパリで開催された第一回「国際エコソーシャリスト会議」を組織した一人でもあった。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年一月号)

THE YOUTH FRONT(青年戦線)

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