2・22関西ガザ緊急アクション講演会

トランプ政権とパレスチナ

 【大阪】関西ガザ緊急アクションの講演会が2月22日エルおおさかで開かれ、約100人の市民が参加した。役重善洋さん(同志社大学人文科学研究所嘱託研究員)が「ガザ情勢の行方と日本の課題」と題して講演をした。

役重善洋さんの講演から

ガザ情勢の行方と日本の課題

 私の出会ったガザ

 役重さんがガザを初めて訪れたのは2000年、第2次インティファーダの頃だった。植民地支配下の街というのはこういう所なのかということが強く印象に残った。ガザはパレスチナの南のはずれにあるが、数千年にわたってパレスチナの中心都市で、日本が縄文時代の頃にはすでに都市文明があり、東西交易の拠点として数千年の蓄積をもつ都市だ。その後イスラム世界の一員になるが、イスラムはギリシャ文明の継承者である。私たちは西欧経由でイスラムを見ているが、イスラムは西欧より先進的な世界であり、オリエント文明と地中海文明を統合した世界として生まれた。ガザはそのような世界の地域であった。
 2000年にガザに出会ったとき、ガザは外国人への垣根が低く、ホスピタリティとコスモポリタニズムの街で、人種概念や民族概念は希薄なところだった。初めてガザに行った頃は、まだイスラエル人の入植地があった。ガザの人々は、老若男女すべての人々が、ガザの状態をなんとかしなければいけないと思っていた。ガザの教育レベルは高く、人々は洗練されていた。外国人に出会うと、みんながガザの状況を説明し、これからのガザに役立つような行動をした。役重さんが出会ったガザの青年は、彼を葬式の場に連れて行った。その葬式は友人の葬式に参列し、それに続くデモに参加しているときに、イスラエル兵に投石をして射殺された15歳の少年の葬儀だった。
 ガザの入植地はその後撤収され、ガザ全体が壁で封鎖された。2023年10月7日のハマスの越境攻撃の背後には、1948年以来暴力的に抑圧管理されているガザをなんとかしなければいけないという民衆の思いある。ネタニヤフやトランプは、ガザには民主主義は適用できないというけれど、問題の本質はアパルトヘイト・システムであり、ガザに200万人、ヨルダン西岸地区に100万人、全世界で1100万人のパレスチナ人の置かれている状態を見れば、抵抗運動が起きないはずがない。

 シオニズム運動

 帝国主義は、植民地を経済的に収奪するのが一般的だが、イスラエルのやり方は入植型植民地主義だ。これには英国の責任が大きい。1917年11月イギリスはバルフォア宣言(イギリスが第1次大戦後にパレスチナにユダヤ人の国家を建設することを認めた)が出されるが、当時はユダヤの閣僚たちはこの宣言に反対で、今いる土地で安全に暮らせることを望んでいた。パレスチナにユダヤ人の入植地をつくるシオニズム運動は、当初は余り広がらなかった。この状況が一変するのは、独のナチの台頭からである。金持ちや中産階級は米国に亡命し、その他は1930年代からパレスチナへの入植が始まった。
 1947年の国連パレスチナ分割決議に基づき、欧米の後押しで1948年イスラエルが建国され、イスラエル領になった所にいたパレスチナ人の8割は追放されたが、イスラエルのユダヤ人人口は当初は50%程度だった。隣国ヨルダン、レバノン、シリアに避難したパレスチナ人も多数いる。パレスチナの中心課題は、難民の帰還権である。ガザに住んでいるパレスチナ人の80%は難民である。第3次中東戦争(1967年)以降米国のユダヤ人にもシオニズムが広がっていくが、ユダヤ人社会はシオニズム派もいるし、そうでない人もいて、立場は多様である。

入植型植民地パレスチナ

 1993年のオスロ合意(イスラエルとパレスチナのPLOとの和平合意)により、イスラエルとPLOが相互承認をし、パレスチナのガザ地区と西岸地区に暫定自治政府を置き暫定自治を行い、五年後までに最終的地位協定を発効させる。地位協定の交渉課題は、エルサレムの帰属、パレスチナ難民の処遇、安全保障、国境確定、パレスチナの地位が含まれるとされた。(しかしその後、ヨルダン川西岸地区は面積の60%以上がイスラエルの軍事支配下に置かれ、常に厳しく監視され、 また、各地に多くのイスラエルの入植地が作られて行った)。このオスロ合意が示す2国家解決案には限界がある。オスロ合意後、現に今、ガザとヨルダン川西岸のABC三地区に分かれている状況を見ても、これをイスラエルの国とパレスチナの国に分けることは無理な話だ。シオニズムの歴史は高々100年の歴史しかない。共存の歴史の方が比べようもなく長い。PLOがイスラエルに押されてチュンスに撤退した後、ガザ地区の民衆の中から自発的に起きたインティファーダ(一斉蜂起)。ガザ住民の8割を占める難民には、オスロ合意に対する強い反発がある。2018年から2019年にかけてガザの難民の帰還大行進が起きたが、国際社会は無反応だった。

 ガザ・ジェノサイド

 2023年10・7に始まったガザ・ジェノサイドから15カ月、欧米帝国主義国はイスラエルの自衛権擁護を掲げ、「川から海までパレスチナ解放」のスローガンを口にするだけで反ユダヤ主義と見なされ、イスラエルの遺産相は「ガザに原爆投下も選択肢のひとつ」と公言した。しかし、ガザ住民を南のラファに追い込んで爆撃し、さらにラファの西側、つまり地中海側に追い込むというイスラエルの作戦には、流石に米国も黙認はできなかった。バイデンは焦り、危機感を持ったエジプトとカタールが交渉を仲介しアラブ諸国は一斉に停戦を求めていった。イスラエルは、ガザ侵攻の出口戦略を失い、ハマス殲滅・人質奪還・住民追放という戦争目的は達成できない。そこでイスラエルは、イラン・レバノンに戦線を拡大する戦略をとったが思うようには行かず、シリアのアサド政権は崩壊したが、それは必ずしもイスラエルを利することにはなっていない。
 停戦交渉はガザにしぼり、3段階の停戦合意案が論議されている。第1段階(6週間の停戦、ハマスは33人の人質解放、イスラエルは1000人の政治囚の釈放、ガザの人口密集地からのイスラエル軍の撤退、住民を北部の家に帰還させ、食料・燃料・支援物資を搬入する)は、合意された。今後、第2段階(恒久的停戦、ハマスは残りの生存人質全員の解放、イスラエル軍の完全撤退)、第3段階(戦後ガザ統治の協議、人質の遺体返還、ガザ再建への着手)が課題として残っている。ハマスは、人質を安全に確保できるインフラは持っているといえる。交渉を仕切っているのはハマスである。

国際社会の態度が問われている

 今後のガザ統治について、パレスチナ住民(ガザとヨルダン川西岸地区)の圧倒的多数は統一政府を支持している。後は国際社会が何をするかという問題だ。
 イスラエルは周りを敵に囲まれていて、イスラエルを不安にさせる。それは事実だ。そこでイスラエルは、拡張主義を採っている。しかしそこに焦点を当てるよりも、それを容認してきた欧米列強の方の問題を考えたい。イスラエルの中から問題を解決する変革は起きないだろう。一方、パレスチナ人は、どのような階層に属していようが、みんな精一杯やるべきことをやって来た。後は、国際社会が解決のために知恵をしぼるべきなのだ。
 パルチナ問題では、日本政府も基本的には欧米諸国の考えに沿って動いているが、それでも相対的には欧米の政府よりましだ。ひとつ例をあげると、日本は国連パレスチナ救済事業機関(UNRWA)支援を継続している。これは日本外務省官僚の多数の立場だと思う。私たちは、BDS運動(イスラエル商品のボイコット・投資撤収・制裁を目的とした国際的なキャンペーン)や、イスラエル製ドローンの輸入中止、日本の年金基金によるイスラエル投資の中止、特に入植地で生産されているイスラエル産ワインのボイコットなどの外、ガザ地区・ヨルダン川西岸地区の現地の人々の声を広げる活動をするべきだと思う。

 以上が講演要旨。4人のアピール、金昌範さん(伊大統領弾劾について)、村上薫さん(西岸地区を訪れて)、新井信芳さん(スタンディング・アピールを続けて)、松尾和子さん(トランスジェンダー差別問題に寄せて)があった。     (T・T)

講演する役重善洋さん(2.22)

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