4.16石川一雄さん追悼集会

石川さんの意志を引継ぎ第四次再審を請求

偲ぶ会に千人参加

 【東京】4月16日午後1時から、東京・日本教育会館で「石川一雄さん追悼集会」が部落解放同盟中央本部、狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会の主催で開かれ、約千人が参加した。全国から多くの参加者があり、別階のサテライトルームも用意された。

 会場には、「私は無実です」という肌着を着ている笑顔の大きな石川一雄さんの遺影が飾られ、「差別裁判うちくだこう」という曲が何度も流された。
 追悼会の前段に、金聖雄監督がこの日のために作った「みえない手錠をはずすまで――石川一雄さんを偲んで」が上映された。このショートムービーによって、石川さんの半生が凝縮されて映し出された。
 石川さんは3月11日に86歳で亡くなった。61年前に女子高校生殺害容疑で死刑判決が出されたが、その後無期懲役が確定した。石川さんは「私は無実です、女子高生を殺していない」と訴える。32年間刑務所にいた。3次再審で必ず再審を勝ちとる。勝利するまで倒れない。
 再審無罪を勝ちとった桜井さんらと慰安旅行に。王将を歌う石川さん。獄中で石川さんを知っていた袴田巌さんも参加。2024年9・26袴田さん無罪判決に、石川さんも参加。
 24年11・1狭山全国集会で、石川さんは「来年の5・23集会までに決着をつけたい」と訴えた。無罪を勝ちとったら、「アフリカのケニヤへの旅。夜間中学で学ぶこと、そして両親のお墓参り……」がしたい。「最後まで戦う。みえない手錠をはずすまで」。
 次に、小室等、こむろゆい、李政美さんによる追悼のうたが披露された。

第三次再審請求を引き継ぐ

 山崎玲子(部落解放同盟中央執行副委員長)が「石川早智子さんを請求人とした第四次再審において、絶対に再審の扉を開かせ無罪判決を勝ちとるため、心を一つにする追悼集会としたい」と開会のあいさつをした。
 集いは黙とうから始められ、参加された各界のみなさんが追悼のことばを述べた。そのうちの何人かのことばを紹介する。

 西島藤彦さん(部落解放同盟中央部執行委員長)。
 「石川さんは誤嚥性肺炎で逝去された。昨年から体調を壊されたが、正月は早智子さんの生まれ故郷の徳島で過ごされた。その後入退院を繰り返したが3月11日帰らぬ人となった。4月の三者協議で、事実調べが行われるのではないか、いよいよ再審の扉が開かれると言う大きな希望を持てる状況に来ていたので残念だ。我々は何としてでも勝利に向けてがんばる決意である」。

 竹下政行さん(弁護士、狭山事件再審弁護団事務局長)。
 「4月8日の三者協議の時、証拠の採否についての結論を出すと裁判所から言われた。早智子さんが石川さんの闘いを継いで、第四次の再審を申し立てをすると表明をいち早くしてくれた。新証拠だけで段ボール箱で四箱。これを4月4日に提出した。東京高裁第四刑事部で担当することになっている。第三次での新証拠、主張の積み上げはそのまま第四次の弁論・証拠として、私たちとしては力を尽くしていきたい」。
 続いて、参加した近藤昭一さん(立憲・民主党)、西岡秀子さん(国民民主党・副幹事長)、福島みずほさん(社民党党首)の代表が追悼の言葉を述べた。
 
袴田ひで子さんが涙ながら追悼の言葉

 再審無罪を勝ちとった袴田巌さんのお姉さんの袴田ひで子さんが、遺影に向けて涙を流しながら、 「石川さん、なんでこんなに早く逝っちゃったの。今度こそ石川さんの再審開始ができると思っていたのに。残念でなりません。巌もがっかりしております。東京拘置所ではかずちゃん、いわちゃんと言って、過ごしていた。本当にありがとうございました。62年も闘っていたのに、悔しいですね。今度こそ石川さんの再審です。がんばっていきましょう」と述べた。

再審法改正について

 鴨志田祐美さん(弁護士、日弁連再審法改正推進室長)
 「昨年の九月に袴田さんの再審無罪と再審法改正をひろく世の中にアピールしようということで、日比谷野音で大規模な集会を開いた。そこに一雄さんも来てくれた。再審を闘っている人がその闘いの半ばで亡くなったのは徳島ラジオ商殺し事件、1979年に第五次再審の途中で再審請求人の藤茂子さんが亡くなられた。その後、弟さんと妹さんが再審請求を受け継いで、1980年再審開始決定が出て、1985年に再審無罪が確定した。亡くなってから再審無罪が確定したのはこの事件だけだ」。
 「1983年から1989年までの間に相次いで免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件と四つの死刑事件で相次いで再審無罪という歴史的な局面を日本の再審は迎えた。その時再審法が改正されることはなかった。再審の制度に不備があることは明らかだった」。
 「再審法の改正に向けて国会が動き出した。昨年の3月に、超党派の議員連盟ができ、4月の時点でいま、384人の国会議員が入会している。国会議員は700人くらいなので過半数だ。この国会に議員立法で再審法の改正を実現したい。①証拠は全部出そう②再審開始決定が出たら検察官の不服申し立ては認めない。③証人尋問がなぜ行われないのか。手続きの規定がないからだ。手続き規定をきちんとしよう、という内容の法改正が今、議員の手によって進められようとしている」。
 「しかし、一方でそういう動きを察知した法務省や警察庁は法制審に諮問して、そこで慎重に議論をしなくてはと言い始めている。今が再審法改正ができるかどうかの正念場に差しかかっている。再審の意思決定がでたらすぐに、再審公判に進むことができるように、絶対に法改正を実現させたい」。

 金聖雄監督の発言の後、鎌田慧さん(狭山事件の再審を求める市民の会事務局長)が発言した。
 「遺体が石川さん宅の近くから発見され、犯人は部落のものだとなった。初めから部落を集中的に捜査して、若者たちをみんな警察にしょっ引いて調べていった。一雄さんはうちでご飯を食べていたからアリバイがなかった」。
 「日本のマスコミは警察発表に依存して記事を書いているので、警察の悪意がそのまま、広がっていく。そうした所にえん罪の構造がある。獄中に入ってから、一生懸命に漢字を練習した人間が獄中に入る前に脅迫状を書く、文字によって人を脅かして、カネを取るということを考えるわけがない。
 ところが刑事も検事も裁判官もそういう苦痛を知らない。石川さんは初めから、私は字は書けませんから、脅迫状は書いていませんと供述している」。
 「彼は死刑判決があっても一番の関心は控室に行ったときに、ジャイアンツが勝ったかどうかと聞いている。まったくやっていないことを証明している。これから再審開始までかんばる。再度署名運動をやっていく。5・23狭山再審を求める日比谷野音集会をやるので参加してほしい」。
最後に、石川一雄さんの意志を引継ぎ第四次再審の請求人となった石川早智子さんがあいさつした(別掲)。
 集いの終了後、献花をして終えた。 (M)

小室等、こむろゆい、李政美さんによる追悼のうた(4.16)

鎌田慧さんによる追悼のことば(4.16)

一雄さんの生きざまと早智子さんの決意

 待って、待って、待ち続けたね。待ちくたびれたんだね。でも決して泣き言いわず頑張ってきたね。一雄。長い闘いだったね。えん罪を訴え続け、裁判を開いてほしいと闘い続けた60年余りの人生。弁護団や支援者のみなさんの闘いがあって、やっと光が見えてきた。その矢先に志半ばで、逝ってしまった一雄。無念だったね。いつも希望を持ち続けていた。それは私は無実、真実はきっと明らかになる。そういう揺るぎない信念をもてたのは支援者みなさん方の熱い闘いがあったからだね。
 夫は常々百歳まで生きたい、と言って通販から様々な機械を取り寄せて、身体を鍛えていただけに、えん罪を晴らせないまま天国に行き、どんなにか無念だったか、後は私が全国の支援者たちのご協力を得て、冤罪を勝ちとるから、と言って送りましたから、期待して行ったと思います。
 たくさんの短歌も残していた。「私がウグイス 縦横無尽に飛んでいく えん罪訴え 支援のお願い」。今頃はウグイスになって、縦横無尽に飛び回ってえん罪を訴えているのかもしれない。
 えん罪を訴えて60年余り、第三次再審があって19年もの歳月を費やし、その間10人もの裁判長が代わった。検察は証拠開示を拒み続け、再審法の不備も一雄の願いを断ち切った。86年の生涯のほとんどをえん罪を晴らすためにだけ走り続けてきた夫、これから第四次再審が始まるよ。一雄、あなたの笑顔が大好きだったよ。いつもそばにいて、時々私のことをハラハラして見ながら、チェックしていた。でももうあなたはいない。一雄のいない狭山闘争、でもあなたの精神は狭山闘争に生き続けているよ。あなたに出会ってとても幸せだったよ。第四次再審、一雄の分までがんばるから、ウグイスになって見守っていてほしい。誇らしい人生だったよ。一雄今までありがとう。

石川早智子さん

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