白保の海

コラム「架橋」

 バス停から真っ直ぐ海岸へと伸びる日に照らされた細道を5~6分も進むと、一気に目の前に海が広がる。白保の海である。左手、北方カーラ岳の裾野に沿って海岸線が伸び、サンゴ礁の海が輝いている。右手、南方に目を転じる。干潮時なのだろう、黒く干瀬(ひし=干潮時に現れる岩や洲)が広がり、その先はさえぎるものもない海である。
 私は「かけはし」2022年10月10日号に「石垣島、与那国島訪問記」を投稿し、「幸いにも基地を巡っている間は時折晴れ間も覗く穏やかな天気だった」と記した。その文章に嘘はないのだけれど、その後が大変だった。
 民宿の女主人の「台風が来たら与那国島に居たらどうしようもない」という言葉に急かされて、二泊の予定を一泊で切り上げて石垣島に戻った。しかし、私たちを待っていたのは、帰阪予定便の欠航の知らせだった。
 台風12号が石垣島を直撃したのである。コンビニも閉まり、酒もなく、食糧も乏しく、その上に停電。私たちは暴風雨に大揺れする木々を窓越しに眺めながら、なすこともなく狭い民宿の部屋のベッドの上で二日間を過ごした。結局、私たちが取れた航空券は予定より二日遅れの9月14日、それも夕方の便だった。
 14日は朝からまあまあの晴れ。陸上ではそれほどでもないのだが、まだ海上では風が強いらしく西表島等に行く離島便はまだ欠航していた。
 ぽっかり空いた予定のない数時間、同行のN君は自転車で散策するという。体力に自信のない私は、石垣島一周の観光バスに乗る。川平(かびら)湾で散策し、海を見下ろすレストランで昼食を取り、空港に戻っても、まだ1時半。白保の海を見たいと思った。
30数年前、私は白保の海を一度訪ねたことがある。サンゴ石を積み上げた石垣に囲まれた赤瓦の古い家々、そして、集落を縫う細道に漏れ聞こえてくる三線の音色。
 しかし、今回歩いた海に通じる細道の両脇の家々には、もうサンゴ石の石垣も赤瓦の家もほとんどなく、漏れてくる三線の音色もなかった。
 海岸の埋め立てこそ免れたが、カーラ岳の裾野を切り崩しての空港建設にも問題があった。石灰岩洞窟崩壊の危惧、建設に伴う赤土流出によるサンゴへの影響等々である。反対運動は続いたのだが、結局、新石垣空港は建設された。
 コンクリート製の展望所の低い側壁に腰をかけ誰もいない海を見る。赤土流出や、空港の排水によるサンゴへの影響はあるに違いない。それでも、この海は埋め立てられずに残ったのだ、残ったのだ、と思う。
 空港へ戻るバスを待つたった15、6分にすぎなかったのだが、私はなにすることもなくただ海を見続けた。     (O)

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