大田元沖縄県知事の夢再び

コラム「架橋」

 大田昌秀氏が沖縄県知事になって間もなくの頃だったろうか、彼の講演会を大阪で聞いた記憶がある。会場を一杯にした参加者を前にして、氏はスライドを使い、沖縄自由貿易圏構想について熱く語った。
 その構想は私の記憶に間違いがなければ、人的な自由な交流も含む、日本政府からも一定の自立性を持つ貿易圏構想だったように思う。30年以上も前であり、まだ、十分に若かった私は「大田さんの夢だな」と思って会場を後にしたことを覚えている。
 沖縄の自由貿易圏構想は、復帰前にも以降にも様々な形で論じられ実行に移された。しかし、氏の施策も含めて、大きな成果を上げることはなかった。それも当然であり、それらの構想は従来の保税貿易地帯の焼き直しに過ぎず、また、日本政府の管理下での制度だったからである。
 ところで、私は昨年4月の奄美大島から始まって、宮古島、石垣島、与那国島、今年の種子島まで、台湾有事を想定した対中軍事強化が進められている島々を訪問した。その過程でしばしば、想起されたのが、今までほとんど忘れていた大田元知事の構想であった。
 与那国島の日本最西端の碑の前で、「台湾との身の丈に合った人的、経済的交流」について熱く語ったYさん、22年12月宮古島で行われた集会の講演で「沖縄を非武装地帯に」と提起した伊勢崎さん等々の発言が、私の記憶を呼び覚ましたのだろう。
 しかし、現実はその夢とは正反対の方向にひた走っている。言うまでもなく、馬毛島から与那国島に至る島々の軍事要塞化、ミサイル基地化であり、それらの基地と連携する九州各地の自衛隊基地の再編強化である。
 その動きは今年になって、ますますエスカレートしている。3月の陸上自衛隊石垣駐屯地の開設、与那国島へのミサイル基地配備計画、敵基地反撃能力を持つ中距離ミサイルを沖縄島に配備し、南西諸島で運用する計画等である。
 以上の計画は関西のマスコミでも多少なりとも報道された。しかし、計画はそれだけではない。週刊金曜日9月22日号によれば、与那国島の糸数町長は滑走路の延長と冬季にフェリーが着岸できる新しい港湾=比川港湾の新設を求めているという。ミサイル部隊が新設される与那国駐屯地との一体運用がされるであろうことは想像に難くない。
 うるま市の陸上自衛隊勝連(かつれん)分屯地へのミサイル部隊配備計画については、「かけはし」10月9日号にあるとおりである。また、防衛省は9月1日、宮古島駐屯地に「電子戦部隊」を来年度までに配備することとし、それに伴い宮古島駐屯地の拡張を決めた。電子戦部隊とは通信機器やレーダーが発する電波の情報を収集し、また妨害を任務とする部隊である。
 私は毎月第三土曜日に行っている「南西諸島への自衛隊配備に反対する大阪の会」のスタンディングに参加している。その際、一番多く寄せられる私たちへの反論は、「非武装では国を守れない。あなたたちの意見は非現実的だ」という意見である。はたしてそれは夢なのか、多くの人たちに問いかけ続けていきたいと思う。       (O)

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