オスプレイ撤去 普天間閉鎖 辺野古新基地中止を

沖縄報告 建白書から10年―日本政府は沖縄県民の意思に基づき
沖縄 K・S 1月29日

 沖縄県議会と全市町村の首長と議会が連名で、オスプレイ配備撤回・普天間基地の閉鎖撤去と県内移設断念を訴える「建白書」を手に代表団が上京した2013年から10年が経過した。150人に及ぶ派遣団の団長は、当時那覇市長を務めていた故翁長雄志知事だった。日比谷野外音楽堂で開かれた集会とデモには4000人が参加し、沖縄が置かれている過酷な軍事の重圧の解決を求めて共に国民にアピールした。集会の翌日、沖縄代表団は首相官邸を訪れ、建白書を当時の安倍首相に手渡したが、全く顧みられることはなかった。
 翁長知事は、この時の東京行動のことを振り返って次のように述べている(『戦う民意』P188、角川書店、2015年)。

 「銀座でプラカードを持ってパレードすると、現場でひどいヘイトスピーチを受けました。巨大な日章旗や旭日旗、米国旗を手にした団体から「売国奴」「琉球人は日本から出て行け」「中国のスパイ」などと間近で暴言を浴びせられ続けました。このときは自民党県連も公明党も一緒に行動していました。
 驚かされたのは、そうした騒ぎに『何が起きているんだろう?』と目を向けることもなく、普通に買い物をして素通りしていく人たちの姿でした。まったく異常な状況の中に正常な日常がある。日本の行く末に対して嫌な予感がしました」

 仲井真前知事の辺野古埋立承認を取り消し、安倍政権との全面対決のさなかに出版された本書は、2018年8月在職中に急逝した翁長知事の「遺書」ともいえる性格の著作であり、沖縄と日本の将来を考えるうえで示唆に富んでいる。一読をお勧めする。

建白書10年―地元二紙の
特集記事

 琉球新報・沖縄タイムスの二紙は特集記事を組み10年前の東京行動を振り返ると共に、今年開かれた日比谷野音集会とデモの様子を伝えた。「辺野古新基地建設断念!沖縄の民意を日本の民意へ!」とのスローガンと共に赤いハイビスカスを描いた横幕を掲げ、伊波洋一参院議員、県民投票の元山仁士郎さん、オール沖縄会議の福元勇司事務局長らが行進の先頭に立った。
また、両紙は共に「建白書10年」をタイトルに社説を掲げ、「この10年の間に沖縄を取り巻く風景はすっかり変わってしまった。基地問題をめぐって浮かび上がった本土との溝はさらに深まり、沖縄に対する差別的言動がはびこる。……沖縄を二度と戦場にしないため、戦争に巻き込まれないためにどうすればいいか。戦場となった経験のある沖縄だからこそ、県民が結束し、行動する必要がある。……建白書の精神を引き継ぎ、新たな反戦のうねりをつくりたい」(タイムス)、「政府は県民の願いに背を向け、米国と共に南西諸島の軍備増強を進めている。この危機的状況の中で、沖縄の苦難の歴史と平和希求の精神に根ざした『建白書』の持つ普遍的価値は一層増したと言える。……安全保障3文書の対極に『建白書』を据えながら、沖縄の意思を引き続き発信しなければならない」(新報)と論じた。両紙の社説はおおむね県民多数の考えを表しているものと言っていいだろう。

「軍事は国の専管事項」ではない!

 対中軍事対決の最前線に押し出される沖縄県民の危機感は大きい。日本政府は、東シナ海で中国とのミサイル戦争を演出するアメリカのアジア軍事戦略を受け入れ、那覇基地に駐屯する陸自の師団化、宮古・石垣・与那国でのミサイル基地建設、司令部の地下化、兵站補給体制の増強などを急激な勢いで推し進めている。
沖縄島では、米軍機・自衛隊機が爆音を轟かして訓練を続け、辺野古埋立と新基地建設関連工事、辺野古弾薬庫の大規模改修、普天間飛行場の軍施設新設、陸自勝連でのミサイル部隊配備などの軍事関連工事が進行中であり、さらに、沖縄市での自衛隊兵站拠点、嘉手納弾薬庫の共用、陸自師団化に伴う各地の自衛隊施設増強などが次々と着工される。文字通り沖縄は軍事要塞とされる。「不沈空母」と称して飛行場と陣地壕建設にまい進した天皇制日本の沖縄戦と同じことが進行中である。
 国会での安定多数を背景とした安倍―菅―岸田と続く自民党政権の独断専行は最悪だ。戦争をしないことを国是として経済成長し「一億総中流」と形容された戦後日本社会のそれなりの安定は、日米同盟の下、軍事・政治・経済のすべての面でアメリカ型社会へと移行する中で崩壊している。国家予算の軍事偏重・民生軽視の積み重ねが進み
軍事大国化と社会の二極分解が進行する。恩恵を受けるのは国家権力周辺の政・官・軍・学・報の支配者たちだけで、一般民衆はいっそう増税・福祉縮小・低賃金・物価高で苦しむことになる。
 10年前、翁長知事が感じた「嫌な予感」の通り、政府による「異常の状況」、沖縄をミサイル要塞基地とし戦場となることを想定する、日本が米国と共に中国との戦争を準備するという国を揺るがす大問題が大問題と受け止められない。国民は国の形を変える大問題について主権者であるにもかかわらず、主体になれない。月に一度のマスコミのアンケートは「コロナの5類移行の是非」など表面的な事柄と相も変わらない内閣・政党支持を問うだけだ。
「軍事は国の専管事項」という言葉は支配者が常套とする言葉だ。多くの国民はこの言葉にマインドコントロールされてしまっているのか。国民が主権者の自覚を示すことができるなら、自分の手で自分の首を絞めるような現在の不合理な政治の在り方を打ち破ることができるに違いない。

1・28「建白書10年」県民集会・デモに500人


 前日の日比谷野音集会・デモを受けて、1月28日(土)午後2時から県庁前広場で、「県民総意の建白書から10年 国会請願署名で民意実現を求める県民集会」が開かれた。主催は、辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議。はじめに主催者を代表して稲嶺進さん(オール沖縄会議共同代表)があいさつし、10年前の東京行動で共同代表を務めた元連合沖縄代表の仲村信正さん、池田竹洲副知事、玉城デニー知事の音声メッセージが続いた。
 国会議員は赤嶺政賢さん(衆院沖縄1区)、高良鉄美さん(参院沖縄選挙区)。県議会与党各派は、照屋大河さん(てぃーだ平和ネット)、渡久地修さん(共産党)、崎山嗣幸さん(立憲おきなわ)、仲宗根悟さん(おきなわ南風)がそれぞれあいさつした。さらに、山城博治さん(現闘部長)が決意を述べ、最後に、高里鈴代さん(オール沖縄会議共同代表)のリードで、参加者全員が手にした「辺野古新基地建設NO!」のボードを高く掲げると共に、「ガンバロー」の代わりに「辺野古新基地NO!」と叫ぶ力強い声が響き渡った。
 そのあと、国際通りの片側車線いっぱいに各団体のノボリやプラカードを掲げて牧志公園までデモ行進した。久々の行進は活気にあふれた。宣伝カーのマイクからは、「日本政府は沖縄の民意を尊重せよ」「辺野古新基地建設を断念せよ」「子供たちに平和な沖縄を残そう」などの訴えが繰り返された。沿道からは、興味深そうに見入る人、手を振る人、写真を撮る人などが多くみられた。解散地の牧志公園では、二三分咲きの寒緋桜がデモ隊を出迎えた。基地のない平和で安心して暮らすことのできる未来に向けて、県民の果てしない闘いが続く。

1・17~21那覇市のミサイル避難訓練に抗議
避難訓練より沖縄からミサイル撤去を!

 

 那覇市は1月21日午前、おもろまちの那覇市民協働プラザを避難先としたミサイル避難訓練を実施した。
 実施計画が明らかになるや、辺野古バスのメンバーたちが中心となり「那覇市の国民保護訓練に反対する会」が立ち上がり、1月17日から連日、那覇市役所前で手作りのプラカード・ポスターを手に、抗議のスタンディングが行なわれた。参加者は次々マイクを握り、「恐怖をあおる訓練を止めよ」「避難訓練するよりミサイル配備に反対すべき」「戦争より友好を」などと訴えた。
 知念市長は「外交が第一だが備えも必要」と、ミサイル避難訓練を政府に申し込んだ理由を語るが、実際のところ、自治体のミサイル避難訓練は何の役にも立たない。かつて米軍の空襲に備えるとの触れ込みでバケツリレーの消火訓練を地域の隅々にまで強制しかえって被害を拡大した歴史と重なる。沖国大の佐藤学教授が述べるように、「危機が迫っているという空気を醸成し、国のいうことを受け入れさせるための宣伝」以外の何物でもない。
 最大の安全保障は戦争をしないこと。中国をはじめアジアの国々は敵ではない。米国に追随して対中国の軍拡スパイラルに入り込んではならない。住民の安全のため、アジア諸国民との友好のため、攻撃のためのミサイルを決して保有しないことを求めるのが自治体行政の役目だ。

1月22日健堅の慰霊とフィールドワーク

 78年前の1945年1月22日、沖縄の地上戦の前段、フィリピン攻撃を前に、米軍は「グラティテュード作戦」と称する大規模空襲を実施し、その一環として沖縄各地の飛行場・港湾・船舶に攻撃を加えた。海軍徴用船の彦山丸(2073トン)は、本部方面に駐屯していた陸軍混成第44旅団の嘉手納方面への移動に伴う物資を輸送する作業にあたっていた。作業は深夜から始められたが、朝7時、米軍機が来襲し銃撃と爆撃をくり返し行なったため、彦山丸は火災を起こして座礁、救助に向かった工兵隊員も合わせて死者、重軽傷者、行方不明者数十人を数えた。
 ユージン・スミスが瀬底島をバックに撮影した14の墓標の写真は、沖縄戦のさなかに、『LIFE』誌1945年5月28日号に掲載された。墓標に書かれた名前は、一人の海軍上等水兵を除き、全員が陸軍軍属であり、うち二人が「金山萬斗」「明村長摸」という創氏名で記されている強制連行された朝鮮人だった。二人の本名は「金萬斗(キム・マントゥ)」「明長摸(ミョン・チャンモ)」。金萬斗さんの故郷は慶尚南道南海郡、1942年のある日、集落に乗り込んできた日本兵に兄と共に捕えられ、兄の萬実(マンシル)さんは広島方面へ、弟の萬斗さんは沖縄へ連行されたのである。
 萬実さんの首には日本兵により拷問された刀の切り傷がある。長男の昌琪(チャンギ)さんによると、「弟を奪われ、家族をバラバラにされ、人生を壊された」と語り続けたという(琉球新報2017年6・.20)。金萬斗さんは2019年6月23日慰霊の日に、平和の礎に刻銘された。彦山丸の機関部に勤務していたとの記録がある。
 2020年2月、韓国、北海道、沖縄、日本各地、台湾から有志が集い泊まり込んで、墓標が立っていたと思われる場所で大々的な遺骨発掘作業を行なった。残念ながら遺骨を発見することができなかったが、彦山丸犠牲者を忘れないために、現場の崖下脇に花壇をこしらえ、ムグンファ(むくげ)とハイビスカスを植えて追悼と記憶の場を残した。
 1月22日(日)午後1時から、花壇の前で、「本部の戦跡を保存する会(仲宗根須磨子共同代表)」によって、追悼とフィールドワークが行われ、各地から30人近くが駆け付けた。墓標のパネル前には旧正月にちなんでモチと飲み物が供えられた。発掘に従事したメンバーたちの話のあと、記念写真を撮り、十数台の車を連ねて健堅森の日本軍陣地壕・本部町立博物館へのフィールドワークに向かった。

1月19日千葉さん国家賠償裁判


 1月19日午後2時半から、那覇地裁で、ヘリ基地反対協カヌーチームの千葉和夫さんに対する海保の暴力に対し謝罪と国家賠償を求める民事訴訟の第7回口頭弁論が開かれた。法廷では、被告の国側の準備書面に対し逐次反論した原告側の準備書面の内容が述べられ、次回期日を3月16日と指定し閉廷した。
 その後、裁判所向かいの城岳公園で集会が開かれ、弁護士の林千賀子さん、三宅俊司さん、千葉和夫さんがそれぞれ発言した。海保の千葉さんに対する暴力は、末端の海上保安官たちによる一つの犯罪である。はじめは過失であったかもしれない。ところが、詭弁を弄して責任逃れをし自らの誤りを認めようとしない中で、それは組織ぐるみの権力犯罪になる。また千葉さんは、この民事請求とは別に、もう一件の海保の暴力に対する刑事訴訟を提訴している。詳しくは、千葉さんの裁判を支援する会(共同代表=金井創、鈴木公子)にコンタクトを。連絡先はEメール、chibasannosaiban@yahoo.co.jp。

2023.1.28 建白書から10年民意実現を求める県民集会のあと、国際通りをデモ行進。

2023.1.17 那覇市役所前。那覇市が実施予定のミサイル避難訓練に対する抗議行動第一日目。
2023.1.22 本部町健堅の「追悼と平和の花壇」。彦山丸事件78年の追悼とフィールドワーク。

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