子ども食堂と大食い番組
コラム「架橋」
「子どもの貧困は、大人の貧困である」。これはある革新系女性県会議員の発言である。たまたま奉仕団体のテーブルで、隣り合わせになったときに耳にした言葉だ。彼女は、地方の県庁所在地で自ら「子ども食堂」を開設して、その陣頭指揮をとっている実践派。口先だけの議員発言ではない。
ボクもある奉仕団体の活動で、子ども食堂に大型冷蔵庫や食洗機などを寄贈したことがある。
ここでは、子ども食堂の他に、子どもたちのたまり場として放課後、部屋を開放し、学習指導などをしている。共稼ぎやひとり親世帯で、学校が終わったあと行き場のない子どもたちが三々五々集まってくる。建物は古く傷んでいるが、これも地域や奉仕団体の手により修理され小ぎれいに整理されているのがうれしい。やはり、地域の人々に守られてこそ子ども食堂があるのだと思わずにはいられない。
「子どもの貧困は、大人の貧困である」と冒頭に記したが、まさにそのことは周知の事実である。子ども食堂には、その親たちもやってくる。これらはすべて地域住民の善意と真心。
無料のところ、低額のところとその有り様はさまざまだが、人々が無償で食材を提供して成り立っていることは事実だ。現在の米不足や野菜の高騰に、自分の身銭を切っている人も決して少なくないだろう。
ウィキペティアによれば、「子ども食堂」という名称が一般的に使われるようになったのは2012年ごろとされる。「気まぐれ八百屋だんだん」の一角に店主である近藤博子氏が、2008年に設置したのが始まりとされるが、近所の小学校の副校長から「給食以外の食事以外バナナ一本で過ごす子どもがいる」と聞いたのが、子ども食堂のきっかけになったという。
まさにその時期は、自民党総理小泉純一郎が掲げた新自由主義的労働政策と機を同じくする。企業を追われた労働者たちが、行き場を失い上野公園や隅田川畔にテントが立ち並んだ光景を思い出す人も多いだろう。
そんな中、子ども食堂と正反対のテレビ番組を時折目にする。それは、タレントやスポーツ選手どもが大食いを競う「フードファイター」だ。お腹を空かした子どもや大人たちがその様を見たらどう思うだろうか。フジテレビに限らず、テレビ番組の陳腐化こそが日本の政治情況を映しているに違いない。
(雨)