耳が聞こえない

コラム「架橋」

 4月の中旬、自宅介護している叔母が発熱し、急きょ駆けつけてくれた訪問医の判断で救急車を呼び、近所の行きつけの病院に緊急入院することになった。叔母の介護に入ってから2年ほどになるが、救急入院は4~5回目になるのではないだろうか。幸い叔母の熱もすぐに下がり、検査の結果は「尿器感染による発熱」ということであった。入院は9泊10日で、私は退院までの間、4回通院している。
 叔母が退院してから3日目の朝、叔母をデイサービスに送ってから洗濯の間シャワーをしたのだが、急に右耳が聞こえなくなってしまった。しかし、あまり焦りはなかった。20代の中盤から30代の初めにかけて、同様の経験をしていたからだ。
 当時の私は三里塚開港阻止闘争の被告で「実刑間違いなし」と言われていたのだが、どうしたことか執行猶予の判決となりその後、地区の青年同盟の専従をやることになった。右翼労戦統一反対闘争が全国方針化されるが、小さな全金労組に一人のメンバーがいるだけで、方針化できない。全国一般の労組づくりも結局はまるごと潰される。カンパニアの全逓や国労支援しかできない。そして組織内女性差別問題の全面化である。
 こうした中で私が最初に経験したのが、左肺の「自然気胸」であった。肺内部の気泡が破れて出血し、正常な空気の出し入れができなくなってしまう疾患である。左肺の肥大化により圧迫される心臓の痛みに耐えながら、どうにか近所の病院にたどり着き手術、入院であった。次にやらかしたのが「自律神経失調症」だった。
 多分この時に「右耳が聞こえなくなった」と、記憶している。どれくらいの期間で自然回復したのか記憶は定かではないが、それ以上に悩まされたのが4~5年続いた「円形脱毛症」であった。病院へも行ったが、この時に神経科の医者に言われたことは今でもしっかりと憶えている。「考えるのはやめなさい」だった。心配して同伴していた妻は、声を上げて笑っていた。
 今回は娘がとても心配していたこともあり、しばらくしてから近所の耳鼻科に行くことにした。右耳の鼓膜をきれいに掃除してもらい、すべてが解決したと思われる。今は「聞こえているよ」 
(高松竜二)