「疑うことの正しさ」
コラム「架橋」
先日、話題の映画「君たちはどう生きるか」を観に行った。観客席を見渡すと、若い人たちが比較的多く来ているなと感じた。上映前に、鑑賞時の注意が流れ、そそくさとスマホ「電源断」を確認し「いよいよ」。突如、航空自衛隊「ブルーインパル」が画面いっぱいに飛行し、艦隊を組んだ軍艦、陸上自衛隊の観閲式等が次々と映し出され最後に「自衛官募集中」と。
中国軍の動向、緊迫する台湾有事と連日報道され、国民に意見を問うことなく密室協議で軍事一体化が急速に進んでいる。
︿Hoi an Viet nam﹀ベトナム中部のダナン、フエ、ホンアン等を巡るベトナム旅行に行った友人の土産の品「メモ帳」の刺繍の話。萌黄色の扉にアオザイを着た女性の姿や、物を積んで渡る小舟。天秤棒を担ぎ急いで市場へ行く農民の様子、ヤシの木と川端の長閑な集落。刺繍をよく見ると、細長く切った色紙を渦巻状に加工し貼り付けたもの。
作成者は、解放闘争時、米軍の非人道的な「枯葉作戦」(10年で7200万㎘の猛毒ダイオキシンを空中散布)による先天的障碍、後遺症に苦しむ人達だ。化学物質を兵器に人々を殺傷し、大地を汚染した。
だが米国は、ベトナム人民に謝罪はおろか補償すら行っていないのが実態だ︿法による支配・民主主義・人権﹀の美辞麗句。外交は「米国のため」だけであり「敵対」すれば軍事力を行使してきた。嘘も真実とする「確かな証拠」。恐ろしいことだ!
私は、二つの記録映画「太平洋戦争の記録 日本かく戦えり」と「ベトナム戦争」から大きな衝撃を受けた。見果てぬ地で死んでいった兵士の姿。波間に揺れ動く兵士の屍。何のために殺し合い、何のために死んでいくのか? この不条理が戦争なのだ。為政者の言葉を信じたらろくなことはない。そんな気がする。
静かに、お盆が通り過ぎて行った。(朝田)