白人国家アルゼンチンの罪悪
コラム「架橋」
ラプラタ川とネグロ川の間に広がる大草原はパンパと呼ばれ、ヨーロッパ人がこの地にやって来るはるか以前から、先住民の遊牧の地であり、狩猟の地であり、従って、生活の場であった。
一方、アンデス山系で白人支配に抵抗していたアラウカノ族は次第に、政治的にも、経済的にもパンパの先住民族を支配下に置くようになり、19世紀初頭にはアラウカノとパンパの先住民は一つの文化圏を形成し、国家ともいうべき形態をとっていた。
そのパンパに、遅れて南米大陸にやって来たヨーロッパ人が、牧畜の地を求めて侵入してきたのである。国家形成の段階にまで達していたパンパの先住民が激しく抵抗したのは当然の帰結であった。
当時のアルゼンチンのカウディーヨ=独裁者、ロサスは先住民討伐作戦を敢行、ブエノスアイレスからネグロ川に至る地域で先住民の大虐殺を行った。1833年の作戦では6千人の先住民を虐殺したと言われている。
しかし、この作戦によって先住民を絶滅できたわけでもなく、先住民の抵抗がなくなったわけでもなかった。
19世紀後半になると、アルゼンチンにはさらに大量の移民が流入してくることになり、この受け入れ先がパンパであった。アルゼンチンはパンパの支配権を確立するために、第二次先住民討伐戦を行うことになる。今度は重砲隊を備えた近代的軍隊で。
こうしてアルゼンチンは白人国家になったのである。「先住民の頭一つが一ヘクタール」という言葉は、この先住民討伐戦を象徴する言葉である。
ビーグル号でパンパに上陸したダーウィンは、たまたまネグロ川でロサスの討伐軍に遭遇した。彼はその航海記に「こんな悪漢然として盗賊風の軍隊は前代未聞である」と記している。 (O)