エコ社会主義・反レイシスト・反軍国主義・反資本主義・反植民地主義・フェミニスト的な革命の客観的必要性

 世界中で極右・権威主義・準ファシスト勢力が力と影響力を得つつある。後期資本主義の危機に対するオルタナティブの欠如が絶望を作り出し、そのことによって一般的には女性嫌悪・レイシズム・同性愛嫌悪・気候変動拒否や反動的考え方が生み出されている。億万長者たちは、気候危機が客観的に利益蓄積に脅威を与えているがゆえに怯えながらも、嘘や社会的デマゴギーを通じてシステムを守るために奉仕することを申し出る極右の方に向きを変えつつある。権威主義政治家やオリガルヒ[新興富裕層]は、資本の力を守るために強力な同盟を形成している。彼らは環境保護だけでなく、社会的プログラムも標的にしており、労働者や貧困層を代表して自由主義的支配層に反対すると主張しながら、実は労働者・貧困層に対する戦争を仕掛けているのだ。
 資本は勝利しても、その勝利によってマルクスが強調した克服できない矛盾に陥っている。ローザ・ルクセンブルクはこうした矛盾に直面して、1915年に「社会主義か、バーバリズムか」という警告を発した。110年を経て、警告を発することはかつてなく緊急性を要するものとなっている。われわれをとりまく破局が空前絶後のものであるからだ。戦争、植民地主義、搾取、レイシズム、権威主義、あらゆる種類の抑圧といった災厄に加えて、人類の生存がかかっている自然環境が資本によって加速度的に破壊されているという新たな災厄が加えられ、それが他のすべての災厄を悪化させている。
 科学者は、生態系の持続可能性を示す9項目の世界的指標を明確にした。科学者はそのうちの7項目について危険限界に達していると推定する。蓄積という資本主義的論理のために、少なくとも6項目(気候、生態系の機能的一体性、窒素循環やリン循環、地表水と淡水、土地利用の変化、新たな化学物質による汚染)はすでにそれを超えている。特に貧しい国々では、貧困層が主な犠牲者となっている。
 競争の渦の中で、巨大な産業・金融は人々と地球に対する専制的な支配を強めている。科学の警告にもかかわらず、破壊は続いている。利潤への渇望は、まるで自動機械のように、より多くの市場とより多くの商品を求め、それゆえにさらなる労働力の搾取と天然資源の略奪を要求する。
 合法資本やいわゆる犯罪資本、そしてブルジョア政治は密接に絡み合っている。銀行・多国籍企業・富裕層が地球をつけで買っている。政府は残忍な弾圧とテクノロジー支配によって、人権と民主的権利をますます締め付けている。
 社会的格差と環境悪化の根底には、同じ原因がある。社会的なレベルでも持続可能性の限界を超えていると言うのは控えめな表現である。
 資本主義がもたらすのは、何十億人もの人々にとっての欠乏、そしてごく少数の人々にとっての無限の富である。一方では、仕事・賃金・住居・公共サービスの不足によって、万人のニーズを満たすのに十分な資源がないという反動的な考え方が煽られている。他方では、ヨット、ジェット機、プール、専用の巨大ゴルフコース、多くのSUV、宇宙旅行、宝飾品、オートクチュール、そして世界の隅々にある豪華な邸宅など、1%の富裕層は世界人口の50%と同じだけの富を所有している。「トリクルダウン理論」は神話である。富が「したたり落ちる」のは富裕層に向かってであって、その逆ではない。貧困は「先進」国でさえ増加している。労働者の収入は無慈悲に搾り取られ、社会的保護は(存在するところでも)解体されている。世界の資本主義経済は、債務・搾取・格差の海に浮かんでいるのである。
 労働者階級の中でも、最も弱い立場に置かれている人々や人種差別を受けているグループが最も大きな打撃を受けている。民族的・人種的コミュニティは、有毒廃棄物や有害廃棄物で汚染された地域や、都市計画の欠如した危険性の高い地域(たとえば丘の中腹)に意図的に配置されている。環境レイシズムの犠牲者であるこうした人々は、環境政策の立案や実施からも組織的に排除されている。
 女性に介護の義務を課すことは、資本が安価な社会的再生産から利益を得ることを可能にし、公共サービスにおける残酷な緊縮政策の実施を促すことになる。一般的に言って、格差と差別は、無償であろうと有償であろうと、家事や介護の仕事の大半を提供し続ける女性に特に影響を与える。彼女らは労働収入の35%しか受け取っていない。世界のいくつかの地域(中国、ロシア、中央アジア)では、その取り分は減少しており、時には著しく低下している。女性は仕事以外でも、女性であるがゆえに、性差別主義や性的暴力-フェミサイド、レイプ、セクシャル・ハラスメント、性的な目的や労働力を得る目的での誘拐など-から、食料を得る権利、教育を受ける権利、尊重される権利、自分の体をコントロールする権利に至るまで、あらゆる面で攻撃を受けている。
 LGBTQI+の人々、とりわけトランスジェンダーの人々は、世界的に反動攻撃の標的にされており、そのことによって、そうした人々の脆弱な立場や差別がより悪化し、医療へのアクセスが危うくなり、その結果として公衆衛生へのアクセスも損なわれている。
 障がいをもつ人々は、利益を生み出す仕事ができなかったり、仕事をすることで利益を減らす調整が必要となったりするがゆえに、資本によって切り捨てられている。その中には、強制的な不妊措置の犠牲者もいる。優生学の亡霊が復活しつつある。
 労働者階級の高齢者も切り捨てられている一方で、将来の世代の生活は全般的にあらかじめ切り刻まれている。労働者階級の親たちのほとんどは、自分の子どもたちが自分たちよりも良い暮らしができるとはもはや考えていない。ますます多くの若者たちが、恐怖・怒り・悲しみ・嘆きの感情を抱きながら、自分たちの世界がレイプされ、焼き尽くされ、コンクリートの中で溺れ、利己的な計算の冷たい水に飲み込まれて、組織的に破壊されているのを目の当たりにしている。
 飢餓・食糧不安・栄養失調という災禍は、20世紀末には緩和されていた。新自由主義・軍国主義・気候変動が破滅的に集中した結果として、それらは再び急増している。ほぼ10人に1人が飢えている。ほぼ3人に1人が食糧不安に襲われている。30億人以上が健康的な食事する金を持っていない。資本主義周縁部諸国の子どもたちの圧倒的多数を占める1億5000万人の子どもたちが飢餓によって5歳までに発育不全に陥っている。彼らの圧倒的多数にとって、唯一の間違いは資本主義の周縁部に生まれてきたということだけなのである。
 平和な世界という希望は消え去っている。スーダン、イラク、イエメン、パレスチナ、シリア、ウクライナ、リビア、コンゴ民主共和国、ミャンマーなど、世界の30カ国以上がかなりの規模の戦争の渦中にあるか、最近になって戦争状態になった。気候危機そのもの、鉱物(「レア・アース」など)をめぐる激烈な競争、気象現象、それに起因する激しい移民の流れが、世界中で多くの紛争を激化させている。人々の苦しみ、強いられた移住、死はとてつもない大きな規模になっている。
 帝国主義がいがみ合う一方で、気候の移行や持続可能な未来のための緊急対策が問われている。戦争は人命にかかわる大惨事であるばかりでなく、女性の身体を攻撃し、レイプを恐怖の道具とし、集団生活を非人間的なものにするなど、われわれが住む地球にとっても有害である。戦争は生息地を破壊し、森林破壊を引き起こし、土壌・水域・大気を汚染し、炭素排出の大きな原因となっている。
 ロシアのウクライナに対する残忍な戦争と、ガザにおいておこなわれている、一般的にはパレスチナ人に対する新たなレベルの民族浄化は、人道に対する重大な犯罪である。どちらのケースも、今日の資本主義の野蛮な性質を裏付けている。ウクライナに対するロシアの帝国主義的侵略は、世界規模の地政学的緊張を助長した。それは、世界の覇権をめぐって帝国主義間競争が繰り広げられる新たな時代に入ったことを裏付けている。土地・エネルギー・鉱物資源は、この帝国主義間競争において重要な利害となっている。
 誰もが地球上で良い生活を送ることができる。しかし、資本主義は搾取的・マッチョ的・人種差別的で、戦争好きの、権威主義的で致命的な略奪形態である。この2世紀で、資本主義は人類を深刻なエコ社会的な行き詰まりへと導いた。生産主義は破壊主義である。天然資源の過剰開発、とめどない資源略奪主義、最大限の短期的収益の追求、森林伐採、土地利用の変化が、生物多様性の崩壊、すなわち生命それ自身の崩壊へと導いている。
 気候変動は生態系破壊の最も危険な側面であり、歴史上前例のない人類生活への脅威である。地球は、この災厄に責任のない何十億もの貧しい人々が住むことのできない、生物学的なゴミ捨て場と化す危機にある。この破局を食い止めるためには、2030年までに世界の二酸化炭素とメタンの排出量を半減させ、2050年までに温室効果ガスの実質ゼロを実現しなければならない。したがって、優先されるべきなのは、化石燃料、アグリビジネス、食肉産業、ハイパーモビリティをなくすこと・・・つまり、世界的に生産量を減らすことである。
 こうした状況において、恐るべき条件の中で暮らしている、そのほとんどがグローバルサウス諸国(注1)に住む30億人もの民衆の正当なニーズを満たすことは可能だろうか? 答えはイエスである。1%の最富裕層が50%の最貧困層の2倍近くのCO2を排出している。10%の富裕層がCO2排出の50%以上に責任を有している。貧困層は一人当たり年間2トンから2・3トン(50%の可能性で2050年に排出実質ゼロを実現しようとするならば、2030年に到達すべき平均排出量)よりもはるかに少ない量しか排出していない。世界人口の50%を占める最貧困層の社会的ニーズを満たすために1ドルを投資するのではなく、30倍ものCO2を排出する1%の最富裕層に奉仕するために1ドルが使われている。

(注1)この文書では、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの従属国、被支配国、周辺国を「グローバル・サウス」という言葉で表現している。これらの表現はすべて、同じ現実を指すために使用している。われわれは、中国、ロシア、石油君主国など、世界資本主義支配体制の中で特定の地位を占め、「支配されている」とは見なされない国々を「グローバル・サウス」には含めない。

 人間のニーズを満たすことを目的とした生産が気候に与える影響は-とりわけ社会的平等のもとで民主的に計画され、公共部門によって担われた場合には―GDP成長と利潤追求のためのやみくもな市場競争を通じて富裕層のニーズを満たすことを目的とした生産が気候に与える影響よりもはるかに小さい。それは、1%の富裕層の二酸化炭素排出量の根本的削減―富裕層は「北」でも「南」でも数年のうちに排出量を30分の1にしなければならない-と全員の節制によって、ほぼ相殺されるだろう。実際のところ、破局を食い止めるには、幸福を提供し、かつてないほどの平等を保証する社会が必要だ。しかし、最富裕層はわずかな努力さえしようとはしない。それどころか、さらなる特権を求めているのだ!
 各国政府は、気温上昇を1・5℃以下にすること、生物多様性を維持すること、いわゆる「持続可能な開発」を達成すること、エコロジー危機における「共通だが差異ある責任と能力」の原則を尊重することを約束した。・・・しかしその一方で、さらなるエネルギーを使って、さらに多くの財を生産している。これらの組み合わさった約束が資本によって尊重されることはないだろう。以下のような事実がそれを示している。
 リオの地球サミット(1992年)から33年経った今でも、世界のエネルギーミックスは化石燃料に完全に支配されている(2020年には84%)。化石燃料の総生産量は、1992年の8万3千テラワット時から、2021年には13万5千テラワット時へと62%増加している。再生可能エネルギーが化石燃料を中心としたエネルギーシステムに加わることで、資本家により多くの発電能力と新たな市場を提供している(注2)。

(注2)テラワット時(1TWh=10億kWh)。このエネルギー単位は、発電所の電力生産量、または国の生産量を測定するために使用される。キロワット時は、1キロワットの定常電力が1時間運転されることに相当し、360万ジュールまたは360メガジュールに相当する。

*パンデミック後に爆発し、かつロシア帝国主義のウクライナ戦争によって深刻化したエネルギー危機のために、すべての資本主義国は石炭・石油・天然ガス(シェールガスを含む)・原子力を復活させた。
*巨大IT企業と資本主義政府による人工知能(AI)の推進は新たな環境への脅威を生み出している。データセンターやクリプトマイニング[仮想通貨の採掘]はすでに世界の電力のほぼ2%を消費している。この消費量はAIが広がるとともに劇的に増加するだろう。エネルギーや水を大規模に使用することで、多くの面で人々の生活に影響が生じるだろう。AIは何千万もの仕事を脅かし、芸術的・文化的創造を劣化・損傷させ、制度的なレイシズムを強化し、極右による嘘の拡散を加速させる。さらに、AIとデータセンターは、勝手気ままな資本主義の愚行を加速させ、人々の関心を独占し、我々の自由時間と社会的絆を蝕む。
*気候変動に歴史的に責任を負う主要勢力であるアメリカ帝国主義は、破局と闘う膨大な手段を持っているが、その政治的代表者たちはこの危機を単に否定するだけでなく、犯罪的なことに自分たちの世界覇権を守ることにこの闘いを従属させている。
*「脱炭素化」という旗印のもとで巨大汚染源が実施する対策は、気候危機の重大性に対処できないだけでなく、住民と生態系を犠牲にして、主に被支配諸国において、さらには「北」や海洋においても、資源略奪主義を加速させている。
このいわゆる「脱炭素化」は、現地のブルジョワジーとの連携のもとで、帝国主義の「南」における土地収奪、環境レイシズム、労働搾取を悪化させている(先進国の産業に供給する「グリーンな水素」を生産するための、グローバルサウス諸国のとりわけ伝統的コミュニティ、先住民族、農民、熟練漁民のテリトリーや経済特区における風力・太陽光エネルギーの利用にもとづいたさまざまなプロジェクトがその実例である)。
*自然を資本として理解することにもとづく「炭素市場」、「炭素補償」、「生物多様性補償」、「市場メカニズム」は、ほとんど責任のない人々、貧しい人々、とりわけ先住民族、人種差別を受けている人々、一般的に「南」の人々に重くのしかかっている。

 「循環型経済」、「レジリエンス」[環境分野で想定外の事態に対し社会や組織が機能を速やかに回復する強靭さを意味することば]、「エネルギー移行」、「バイオミミクリー」[生物模倣。生命や自然界の仕組みから学び、それを模倣して技術やシステムの開発に活かすこと]といった抽象的な概念は、理論的には有効でも、資本主義的生産主義のために使われるやいなや、実際には空虚な公式となってしまう。生産転換を目指して社会全体が実行する計画がない場合、(エネルギー生産を安価にするなどの)技術改良はしばしばリバウンド効果をもたらす(注3)。エネルギー価格の低下は、一般的にエネルギーと原料の消費増加をもたらすからである。

(注3)このリバウンド効果は「ジェヴォンズのパラドックス」としても知られている。[技術の進歩により資源利用の効率性が向上したにもかかわらず、資源の消費量は減らずにむしろ増加してしまうというパラドックスのこと]

 右派は、地球温暖化や生物多様性減少を、人口増加の「暴走」のせいにしている。こうすることで、抑圧された人々に人口抑制策を押し付けるために、危機と自分たちの不幸の責任をなすりつけようとしているのだ。現実には、高い人口増加率は貧困の原因というよりむしろ結果である。所得保障、食料・教育・医療・住宅へのアクセス、ジェンダー平等、女性のエンパワーメントはすべて、人口動態の移行に貢献する。というのは、死亡率が減少し、そのあとで出生率が低下するからである。
 蓄積に対する資本主義の物神崇拝はこの真実を認識できなくしている。気候危機を前にして、この物神崇拝は、結局のところ二つの選択肢しか残さないだろう。魔法使いの弟子による技術(原子力・炭素回収貯留・地球工学・・・)を導入するか・・・あるいは、「自然」が決めることだと言って、貧困国の数十億人もの貧しい人々を犠牲にするか・・・。
 無力であり、不公正でもあるグリーン資本主義は、政治的には、化石燃料依存で、陰謀的な、帝国主義者・レイシストであり、暴力的・マッチョ的で、LGBT嫌悪のネオ・ファシズムの術中にハマることになる。富裕層の一派は、皮肉にも自分たちの富が自分たちを守るということに賭けて、貧しい人々を見殺しにしながら、人類に対する巨大な犯罪に向かって行進している。
 世界資本主義は、平和と持続可能な発展に向けて徐々に前進しているのではなく、後退しながら、戦争、エコロジー災厄、大量虐殺、ネオファシストによるバーバリズムに向かって突き進んでいる。
 この課題に直面したとき、新自由主義体制に疑問を呈し、国家の役割を再評価するだけでは十分ではない。蓄積の力学を止める(資本主義のもとでは不可能な目標!)ことでさえ十分ではないだろう。最貧困諸国ではエネルギー消費は社会的ニーズを満たすために増やさなければならないが、世界の最終エネルギー消費を根本的に減少させなければならない(そのことは、世界的に生産や輸送を減らすことを意味する)。
 それこそが、万人の幸福という正当なニーズと、地球生態系の再生を両立させる唯一の解決策なのである。公正な充足と公正な脱成長-エコ社会主義的脱成長-が救済のための必須不可欠な条件である。
 生産主義という袋小路から脱出するのは、以下の条件下でのみ可能である:

*「技術解決主義」、つまり、解決策は新しい技術からもたらされるという考えを捨てること(新技術のエネルギーや資源への影響は、しばしば過小評価されたり、考慮されなかったりしている)。エコロジー的に賢明な方法で、今ある手段を使うように決めること。われわれが今持っている手段は全員のニーズを満たすのに十分である。
*すべての人が良い生活を送れるように、富裕層のエコロジカル・フットプリント[人間が消費し廃棄する需要量]を大幅に削減すること。
*資本の自由市場(株式市場・民間銀行・年金基金など)に終止符を打つこと。
*財・サービス市場を規制すること。
*社会のあらゆるレベルにおいて、生産者と消費者の直接的な関係を最大化すること。使用価値やエコロジー的・社会的優先順位の観点からニーズと資源を評価するプロセスを最大化すること。
*こうした使用価値が充足させなければならないニーズとは何か、またどのように充足させるべきかを民主的に決定すること。
*民主的討議の中心に、人間と生態系への配慮、生物やエコロジー的境界への慎重な敬意を含めること。
*その結果として、むだな生産やむだな輸送を抑制し、すべての生産活動とその循環と消費を見直し、再編成すること。

 これらの条件は必要なものではあるが、十分ではない。社会危機とエコロジー危機は一体のものである。われわれは、被搾取者と被抑圧者のための解放プロジェクトを再構築しなければならない。それは、階級に基礎を置くプロジェクトであって、基本的なニーズを超えて「所有すること」(having)よりも「あること」(being)を優先する。それは、行動、消費、その他の自然との関係、幸福の概念、人間が世界に対して抱くビジョンを完全に変えるプロジェクトである。それは、太陽系で唯一居住可能な惑星で、生物を大切にすることによってよりよく生きようとする反生産主義的プロジェクトである。
 資本主義は以前にも人類をこのような殺伐とした状況に陥れたことがある。とりわけ第一次世界大戦の前夜において。愛国主義の集団的興奮が大衆と社会民主主義を支配し、社会民主主義は戦争には革命で対応するという公約を裏切った。そして人類史上最悪の殺戮にゴーサインが出されたのだった。にもかかわらず、レーニンはこの状況を「客観的に革命的」であると定義した。彼は、革命だけが殺戮を止めることができると述べたのだ。歴史は彼が正しかったことを証明した。ロシアにおける革命とその拡大傾向がブルジョアに虐殺を止めさせたのである。この比較には明らかに限界がある。革命的行動へ向かって橋渡しすることは、今日、限りなくより複雑になっている。しかし、同じように意識を覚醒させることが必要である。それでもやはり、エコロジー危機に直面して、反資本主義革命は客観的により必要となっている。綱領・戦略・戦術を練り上げるための基礎として機能しなければならないのは、この基本的な判断である。なぜならば、破局を止めるための他の手段は存在しないからである。